過去1 新人教育
「おい山口、こいつお前に付けるから、新人教育頼むぞ〜。」
「えぇ?所長、マジですか?つっても、拒否権無いんでしょ?」
まるで、『ヤ』の付く自由業の方を思わせる風貌をした上司が、俺の元に面倒事を投げてくるのは、何時もの話だ。
目の上にはどんな経緯かは分からないが、深い傷跡があり、だんご鼻は若干右に曲っている。別に睨んでいる訳でもないのに、その三白眼で見つめられると、とてつもない圧力を感じる。我社で色々と伝説を持っている人だ。
とはいえ、悪い上司ではない。
まぁ営業職の管理者なんだから、仕事に関しての叱咤激励は当然あるが、パワハラと言う訳では無い。実際、下っ端ではどうしようも無い困り事があった場合は、真っ先に助けてくれる。
それでもパワハラだと感じる奴はいるだろうがな。でもそれは、適切に業務をこなしていないくせに、権利ばかり主張する勘違い野郎と相場は決まっている。
逆に、この世には、パワハラを叱咤激励と言い張る馬鹿な上司が居るのも事実ではあるが。
さてさて、今回の厄介事は、新人教育か。
「拒否権?ねぇなそんなものは。つぅか、何奴も此奴も、新年度早々予算落としてやがるからな。こんな事に拘ってる暇はねぇだろうさ。お前は見込みではあるが、達成出来るだろ?」
ニヤリと笑う所長。とても、恐ろしいです。
本っ当にこの人は。
俺にやれって言った事を、こんな事とか、拘らうとか言っちゃってるじゃないか。
それにしても、予算落としてるって言ったって、正直まだ半月くらいは猶予があるんだぞ?
まぁ、見込みが立ってないって話なんだろうが。
「はぁ、まぁそうですけどね…んで?」
道を極めた方のような笑顔を向けられ、苦笑いで冷や汗をかきながら、所長の隣にいる若造に視線を移すが、こいつ、なんかニヤニヤしてやがる。
「ほれ、西田。お前の教育係だ。」
西田と呼ばれた若造の背中を、所長がドンと叩くと、よろめきながら、俺の前に出てくる。
デカイな。
身長180は越えてるか?無駄にイケメンでやがる。
「西田っす!山口先輩、宜しくお願いします!」
なんだかな。
当然かもしれんが、ニヤニヤとした表情とは違うその目は、俺を値踏みしているような光が見て取れた。
上等だ。
「おう、宜しくな。じゃあ早速で悪いが、外回りするぞ。」
「了解っす!」
鞄に資料を突っ込み、出口に向うと、西田も後ろから着いてくる。
「行ってきまーす。」
「山口、頼んだぞ?」
「行ってらっしゃい。」
所長と、事務の子達から見送られ、俺達は営業に向う。
そう言えば、事務にも新人入ったんだな。
今日現在、新年度が始まり、二週間が経過している。
入社後、本社で研修を修了して、今日からここの営業所に配属されたって訳か。
「先輩、何処行くんすか?」
「あぁ、すまん。ぼんやりしてた。先ずは、商店街に行くぞ?」
「は?商店街っすか?」
なんでそんな所にってか?仕方ねぇな。
確かに見た目は寂れた商店街だからな。
「いいから着いてこい、新人!」
「えっ?うっす!」
『エレガントロード』
商店街は、何時の頃からそんな通り名で呼ばれていて、つい最近、とうとう正式な名称になった。
というのも数年前、この商店街は、消滅の危機にあったのだが、それを救った会社の社名がそのまま使用されている。
そんな事はさて置き、俺の目的地は商店街に入り、すぐに見えてくる金物屋だ。
店の前に来ると、西田は微妙な表情を浮かべた。
「ここっすか?なんていうか…こういう所って、なんで潰れないんすかね?」
店の外には、売り物の竹箒が並べられ、ガラス戸の中には、如何にも年代物という風な、金ダライや鍋等がぶら下がっているのが見えるが、客の姿は見えない。
まぁ、知らないのなら仕方ないな。
「失礼な事いってんじゃねえ。いいから行くぞ?」
「了解っす。」
中に入ると、初老の男が奥にあるカウンターの席に座り、なにやら電卓を弾いていた。
「こんにちは、鍋山社長。」
そう声を掛けると、頭を上げた男が、ズレた眼鏡を直し、ふにゃりと笑った。
「あぁ、いらっしゃい。シンちゃん。ん?そちらの人は?」
ここ、鍋山金物店の社長である鍋山さんに、西田を紹介すると、西田は先程とは打って変わった態度を見せた。
「西田と申します。山口先輩に同行し、勉強させて頂いています。宜しくお願い致します。」
スっと身を正して、綺麗なお辞儀をするその姿は、とても様になっている。
「西田…お前…」
いい性格してるよ。
少しだけ驚いたが、案外こいつは営業に向いているのかもな。
「へぇ、新人さんかい。シンちゃんはいい営業マンだからね。沢山勉強させてもらいな。」
挨拶も終わり、早速本題に入る事にする。
「社長、今日呼ばれたのは、例の入札が決まったと思っても?」
「ああ、そうそう。それでね、発注しようと思ってね。そこそこ大きな案件だから、数も多いし。」
「了解です。ありがとうございます。」
鞄から資料を出し、納期等を詰めていく。
まぁこれが、所長の言っていた、予算達成の見込みだ。
「ちょっと待ってね。こっちも資料持ってくるから。」
そう言いながら、鍋山社長は、一度店の奥に引っ込んだ。
入れ替わるように、社長の娘さんが、コーヒーを持って出てきた。
「シンさんと…イケメンさん?どうぞ?」
「ありがとうございます。ってか、イケメンさんって、俺は違うって言いたいのかな?」
こういう個人商店では、フランクな接し方が出来るので、とても居心地が良い。
娘さんは、俺と歳が近くて、遠慮なく接してくれる。
「アッハッハ。そんな事ないって。シンさんが貰ってくれるなら、私は嫁ぐ覚悟もあるわよ?」
「何言ってんだか…ほら西田、コーヒーだってさ。」
西田にコーヒーを促し、俺はタバコに火をつけた。
娘さんは、コーヒーと一緒に灰皿も持ってきてくれている。
そうそう、社の方針として、客先での喫煙は禁止されている。が、俺は客先によっては普通に喫煙している。この業界は喫煙者が多い。喫煙自体がコミュニケーションになる事もあるからな。
営業マンがサボル事もあるのは、ある意味仕方の無い事だが、俺は客先でサボル事にしている。
ほら、こうやって、コーヒーも無料で飲めるし、タバコだって吸えるしな?
「……先輩。」
「あん?」
煙を吐きながら、西田に視線を移すと、俺が持ってきた資料に、釘付けになっていた。
「これって…?」
驚いているな。
まさかこの小さな金物屋で、これだけの売上があるとは思わなかったのだろう。
「あら、イケメンさんは、こういう業界初めて?」
西田の隣に腰を下ろした娘さんが、水商売のお姉さんみたいな事を言うから、思わずコーヒーを吹き出しそうになった。
「あ…えぇっと…そうですね。と言うか、新卒なもので、まだまだ勉強不足でした。」
まるで、童貞が初めてキャバクラに連れて来てもらって、戸惑っているかのような態度に、俺は耐えられなくなった。
「クックック…」
「あっ、ちょっとシンさん?何か変な事考えてるでしょ?」
「いやいや、そんな事はないですよ?」
「もぅ。ほら、新人教育しなきゃでしょ?」
「はいはい。西田、どうした?」
西田は要約資料から目を離し、引き攣った笑みを浮かべる。
「これ、総額2000万円越えてますよね?」
「そうだな。」
「こんな…いえ、何でもありません。」
そんな姿を見て、娘さんも、声を押し殺して笑う。
「フフっ。こんな小さい金物屋が、何故潰れないか分かった?」
「あ、いえ、そんな……はい。」
要は、店売りが主な収入源ではなく、土木や建築のプロご用達の資材屋というのが、本職な訳だ。
今回の注文は、大きな現場を仕切っている会社に卸す、資材の入札を落した事により、その資材を鍋山金物店に卸すうちに注文が入ったという状況だ。
当然、額は大きくなる。
そもそも、額が大きくなった方が、掛け率…こちらが得られる利益等も考えると、値引きもし易いからな。
お互いにウィン・ウィンになると言うわけだな。
ウチのような中規模の商社とは、要は卸し屋だ。
実際にその商品を使用する人が、エンドユーザーと言うが、そこには売らない。
商品を右から左に動かすのだが、それだけで中間マージンを取ることが、汚いと言う奴もいる。
それは世の中の仕組みを知らないからだ。
会社には、大きくても小さくても格というものがあり、それは評価になる。
例えばこの金物屋は、三期連続で黒字を出していて、評価は高い。それは、支払い能力があると言うことだが、メーカーが直で取引をするには、不安がある。
全てではないが、そう言うリスクを分散させる為という意味でも、俺達のような仕事が必要なんだな。
当然、ウチの会社は、メーカーから認められる格があり、支払い能力にも問題がないと判断されているから、取引が出来る。
因みに、ウチのような商社でも、売ろうと思えば何でも売れる。車だろうが、家電だろうが、食品だろうがな。
ただ、得意な分野や、それまで培ってきた信用度合いによって、値段が変わってくる。
要は、中間にいくらでも会社を挟んで良ければ、取引が出来る。が、沢山会社を挟むと、当然値段も吊り上がる。
だから、直接メーカーと取引出来る、得意分野に特化していくというのが、普通だ。
そんな説明を西田にしていると、奥から社長が戻って来た。
「お待たせ。」
「いえいえ。しかし社長、入札、尽く取ってきますね?」
「ああ、うん。不思議だよねぇ。以前は散々泣かされたのに、あの商店街消滅の危機を脱してからはさ、売上が凄い事になってるよ。前はこの野郎って思ってたけどね、今は様々だよね。」
「様々ですか…」
「そう、様々。シンちゃんもその恩恵に与っているでしょ?」
「まぁ、不本意ながら。」
「ははっ、そう言いなさんな。何だかんだで、この街はさ、城下町な訳さ。この業界にいたら、何処かで関わる事になるからね。」
はぁ〜。
こんちくしょうめ。
「ですよねぇ〜。」
「そうそう、橘様々だよ。」
社長の言葉に、顔を顰め、ため息が出てしまった。
視界の端で、呆れたように、西田が首を降っているのが見えたが、なんで西田にそんな態度を取られなければならないのか分からず、更に気分が重くなった。
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二章後の幕間へ続きます
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