第一章 バツイチ男と彼女の事情
第1話 居酒屋 ぐっち
金曜日、週末はさっさと帰るのが俺の仕事のやり方だ。その為に木曜日迄に色々と詰めて仕事をし、金曜日は調整と見積もりを主にこなす。
営業とは、雇われながら個人商店を経営しているようなものだ。俺の仕事に限っていえば、目標の数字を落さなければ、仕事のやり方に口を出されることは無い。
そろそろ退社しようかと席を立つと、一人の男が声をかけて来る。
「先輩!ちょっとでいいんで、フォローしてもらえませんか!?この通り!」
「西田、お前先週もそんなこと言って、ガッツリ仕事回してきただろ。」
「うっ…言葉もありませんけど。でも正直先輩だけがたよりなんです。」
後輩の西田。こいつが新入社員の時に俺が教育係だったからか、事ある毎に俺を頼ってくる。
もう三年目なんだから、自分で何とかするべきだと思うが、俺もプライベートな事まで相談してくるこいつを可愛がっている為、頼まれるとついつい手を差し伸べてしまう。
「しゃあねーな。何処の案件だ?」
「あざーす!これです!」
正直、俺もプライベートで用事がある訳じゃない。
家に帰っても一人だしな。
強いて言えば、飲みに行くくらいか。
西田の仕事に終わりが見えてきたのは、退社予定時間を二時間も過ぎた頃だった。
「もう一人で大丈夫だろ?」
「はい!助かりました。ありがとうございました!」
「おう。お前も早く帰って彼女を喜ばせてやれよ。週末なんだから。」
「あー、彼女っすか…別れたんすよね。」
「あれ?そうなの?なんで?」
「なんて言うか、あいつちょっと軽いんですよ。」
「何が?体重?」
「何言ってんすか。尻が、ですよ。別れて三日後には新しい彼氏出来てるんすから。」
俺が離婚する前から付き合いだして、それでも一年はもたなかったかぁ。そろそろ結婚するのかと思っていたが。
「ま、色々あるわな。彼女何してる人だっけ?」
「元彼女ですけどね?よく分からないんですよね。確かあいつの先輩の手伝いとか言ってて、探偵だとかなんとか。よく良く考えれば胡散臭いですよね。」
「ああ、確かにな。んじゃ、帰るわ。」
「お疲れ様でした!」
なんだかんだで、21時になろうかと言う時間になってしまったな。
一人暮らしで自炊もするのだが、仕事で疲れて帰り、誰も居ない部屋で料理を作るというのは、俺にとって苦行以外の何物でもない。
それを逃れる為に、週に何度か訪れる店がある。
『居酒屋 ぐっち』
小ぢんまりとした店内に入ると、十席程のカウンター席に二人、五つあるテーブル席は三席が埋まっていた。
「お、シンちゃん!いらっしゃい!」
大将から声がかかった。
この居酒屋の大将、中々のイケオヤジである。
長い髪を後で縛って顎髭を生やした、一見チャラく見えるが、話すと男らしく大人の色気すら感じる。話も上手く、相談なんかに乗ってもらったりしてる。
まぁ、それは俺だけじゃなく、ここによく来る色んな奴らの相談に乗ったりしてて、カリスマ性があるっていうのかな?皆の兄貴的な存在になっている。
一度、プロレスラーみたいな男に説教してるのを見た事があって、大丈夫かと怖々見てたんだが、プロレスラーみたいな男は、体育会系のノリで、『はい!はい!ありがとうございます!』なんて言ってるから驚いた。
俺が勝てる所は、身長くらいなもんだ。
大将は身長低いんだよ。それでも引き締まった身体をしてて、まるで虎のような俊敏さを備えているかのような…何を言ってんだ俺は。
「大将、適当に晩飯とビールね。」
「はいよー、今日は魚でいいかい?」
「おっけー!」
注文しながら、カウンター席の真ん中辺りに腰掛けると、先にカウンター席に座っていた一人が声をかけてくる。
「ちょっとシン、無視しないでよ。それとも何か?君にとって私ってそんな存在なの?遊びだったの?」
先に店内に居たお客さんが、え?って感じでこっちを見てくる。
「おい、ぶっ飛ばすぞ。いつお前と遊んだっていうんだ?」
「え?昨日スマホゲームで共闘したじゃん?」
「よし。表にでろ!」
お客さん達が苦笑いを浮かべながら、もう此方に興味を無くしたように、それぞれ飲む事を再開し始めたようで、ホッとしていた所に、はいビールねと大将からジョッキを渡された。
「マヤちゃん、からかうのもその辺にしときなよ?」
「ふへへへ」
大将が注意して、変な笑い方をしたのが、先程変な事を宣ってきた女、マヤである。
この居酒屋の常連であり、一人飲みが多い事から、大将を通して知り合いになった。
この女外見は良い。まず、乳がデカい。
ゆるふわパーマでパッチリとした二重、ぷっくりとした唇、20代だと思っていたが、年齢は31歳だそうだ。
しかし、話してみると残念な女だ。
と言うより、俺との相性が良いのか、お互い遠慮なく本音で話せる飲み友になっていた。
大将も、マヤちゃんがこんなに遠慮なく話してるの初めて見た、とびっくりしていたくらいだ。
そんな女が酒を片手に俺の隣の席ににじり寄ってきた。
「おつかれー!カンパーイ!」
「お前何時も出来上がってるな?」
苦笑いしながら乾杯する。
「ねーシン、なんで男って浮気するの?」
「またいきなりだな。」
「知り合いがさー、彼氏に浮気されたから別れるって泣きついてきてさー、しかも付き合いだしたのつい最近だよ?もう鬱陶しいんだけど。どうにかしてよ!」
「いや、知らんし。でも浮気するのって男だけじゃないじゃん?」
「そうなんだよね!その泣きついて来た奴さ、その彼氏と付き合ってる間に元彼と会ったりしてさ、んで彼氏好きだけど元彼の包容力も忘れられないから、どうしたらいいの?なんて相談してきてたんだよね。二人の間で揺れる乙女心、私可哀想!って。馬鹿じゃないの?勝手にどうぞーって思ってた所にさっきの話しだよ!今日だってさ、あのバカ!」
「なんでそんなに荒れてんだよ。そんなに力入れて怒ったら漏らすぞ?」
「私は漏らさない!!」
「お、おう…さっきの話しだけど、それ二人の間で揺れてるビッチ心だろ?つうかお前、よくその話しで男は浮気するのって聞いてきたな。馬鹿なのか?」
その時大将から晩飯が運ばれて来た。
「お待ちどうさま!」
「ありがとう。いただきます!」
うむ、銀鱈の照り焼きだな。家では面倒で魚料理なんてしないから、ありがたい。
「シンって浮気した事あるの?」
唐突にマヤが聞いてきた。
「うん。あるよ?マヤは?」
「マジ?私は…ん〜。それってさ、本命がいて他と関係持ったって事でしょ?好きな人がいて他と関係持つってどう言う気持ち?」
そう問われて暫し考える。
本命や好きな人と言う言葉が、俺の中で違和感を生じさせる。
「本命が好きな人とは限らないだろ?いや違うな…本命が愛している人とは限らない…かな?」
「はぁ?どう言う事?なんか…面白くなってきたな!」
目を輝かせながら話に食い付いてきた。
そう言う話し好きだよね、こいつ。
「まてまて、先ずは飯を食わせろ。」
「えぇー、早く食べてよ!食べさせてあげようか?」
「一人で食えるわ!」
箸を咥え、天井を見上げて、面倒になったなと内心思った。
多分長くなりそうだ。こうなったこいつを相手するのは。
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