恋愛の仁義
別にいがみ合っているわけじゃないけど、わたしたちは同じものを奪い合うライバルでもある。最初に動いたのはそのうちの一人、蛇ノ塚さんだった。未だにわたしが踏み出せない一歩を簡単に大股で乗り越えてしまう。
千尋とのデートから二日後の放課後、ついに蛇ノ塚さんが千尋を呼び出した。用件はわかりきっているからわたしも止めなかった。場所はきっとあの喫茶店だろう。
「邪魔はしないけど、ついていくのはいいわよね」
二人が出ていく前に喫茶店へと向かう。細い通りを何本も通ったけど、道はだいたい覚えていた。
「いらっしゃいませ」
「ブレンドをいただきます。あと奥の席に座るけど、蛇ノ塚さんには黙っていてほしいんです。悪いことはしませんから」
わたしの話をマスターはすぐに理解してくれたみたいで、席を勧めてくれると、間仕切りの壁を動かしてわたしが見えないように隠してくれた。
「ありがとうございます」
コーヒーを持ってきたマスターにお礼を言うと、何も言わずに子どものようにいたずらっぽい微笑みが返ってきた。
数分すると、わたしの予想通り蛇ノ塚さんが千尋を連れてお店にやってきた。思ったより遅かった。さすがの蛇ノ塚さんでも足取りは重くなっていたんでしょうね。頬に照明を受けた汗が光っているのが見えた。
「いいお店だねえ」
千尋もこの雰囲気が気に入ったようでお店の中を見回している。間仕切りがなかったらわたしも気付かれていたかもしれない。マスターのおかげだわ。二人は前にわたしが来たときと同じようにカウンターに座り、ブレンドを注文した。
サイフォンで淹れるのが珍しいみたいで千尋はずっとマスターの手の動きを追っている。ちょっと恥ずかしそうなマスターがコーヒーを差し出すと、ようやく蛇ノ塚さんの方へ向き直った。
「それで話って何?」
「あぁ、それはじゃな」
言い淀んでいた蛇ノ塚さんはふぅ、と大きく息をはく。開いた目に力がこもっている。さすがの男気だわ。
「千尋、うちの女にならんか?」
「なんで女? っていうか僕は男に戻るんだって」
「それでも今は女じゃろうが」
意を決した告白も千尋の天然の前では意味がない。少しひるんだけど、蛇ノ塚さんはすぐに思い直して直球を投げなおす。
「未来のことは知らん。じゃがうちは今、お前が欲しい。うちの彼女になって、将来、妻に迎えたいと言っとるんじゃ」
「つ、妻って。なんでそんな話になってるの?」
「自分の女を決めるんじゃ。そこまで考えてやらんと失礼ってもんじゃろうが」
何度聞いても誠実なのか前のめりなのか判断できないわ。千尋はわたしと同じ考えみたいで、ちょっと焦ったように手をぶんぶんと振り回している。落ち着くために手をつけたコーヒーも熱かったみたいで渋そうな顔で舌を出した。
「でもそんなこと急に言われても」
「わかっとる。ただ今言っとかんとおえんかっただけじゃ」
「なんで?」
「そのうちわかるじゃろ。わかったら答えを聞かしてくれんか」
千尋は首をかしげて蛇ノ塚さんを見ている。このぽやぽやした雰囲気に調子を崩されるのはわたしにとってはいつものこと。だけど、蛇ノ塚さんは一世一代の告白を流されてちょっと悔しそう。
「よくわからないけど、わかったよ」
「うちが言いたかったんはそれだけじゃ。楽しみにしとるで」
わたしのときと同じように、蛇ノ塚さんは言いたいことだけ伝えるとすぐにお店を出ていってしまった。乱暴なんじゃなくてきっと空気に耐えられないのだ。自分の言ったことに対してどんな答えが返ってくるかをどっしりと待つのは男気があっても難しいんでしょうね。
人の言葉はときに銃や刀よりも深く誰かを傷つけることができる。それはわたしもよく知っているから。
残された千尋はまだよくわからないながらも、なにか重大なことだったということはわかっているみたい。
「映画の真似、って感じじゃなかったよね」
ようやく千尋から出てきた感想はやっぱりちょっぴりズレている。千尋に恋した人たちは大変ね。わたしも他人のことは言えないんだけど。
それでも千尋はすぐにいつもの調子に戻って、喫茶店の雰囲気を楽しみながらコーヒーを飲んで帰ってしまった。
「蛇ノ塚さんに同情するわ」
「恋というのはケンカのように簡単じゃありませんな」
カウンターに席を移して、わたしはマスターにおかわりをお願いする。喜んで洗っていたカップを置いてすぐにおかわりを注いでくれた。
「特に千尋は難攻不落でしょうから」
「ずいぶんと嬉しそうですね」
マスターはわたしの顔を見ながらそう言って微笑んだ。嬉しい、というよりはほっとしているという方が正しかった。変に仰々しく言ってくれたから助かったかも。
千尋のことだから、結婚とか女になれ、じゃなくてまっすぐ付き合ってほしいなんて言われたら、勢いに押されて首を縦に振ってしまうかもしれない。ちょっと一緒に出かけるくらいに勘違いするかもしれない。
「不安はいくらでもありますよ」
そういう意味では狙ったゴールにまっすぐな黒羽根さんがどうアプローチしてくるのか気になってくる。
「助けになるものは置いていませんが、コーヒーは少しの間、心を安らげてくれますよ」
「そうですね。ほっとします」
「男女の仲というのは燃え上がる炎よりもこんな関係の方がよいのかもしれませんね」
それは暗にわたしに有利って言ってるのかしら。ううん、マスターは今日初めて千尋を見たわけだし。考えすぎかな。
もう一杯のおかわりを頼もうとして、さすがに飲み過ぎたとカップを差し出す手を止めた。カフェインだってとり過ぎたらよくないものね。何事もほどほどが肝心よ。
「また来ます。ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
しわの深い顔をほころばせたマスターに手を振って、わたしは学校へと戻った。
ずいぶんと遅れて出たのに、千尋と校門でばったりと出くわした。どうやら途中で道に迷っていたみたいで、頬を膨らませてすねている。
「あ、伊織だ。どこか行ってたの?」
「ええ、最近お気に入りのお店を見つけたの」
「へぇ、僕も今度連れてってよ」
わたしがあのお店で二人の話を聞いていたのには気付いてないみたい。鈍感な千尋は置いておいて、蛇ノ塚さんは気付いていたかもしれない。
「今日はトレーニングお休みだって」
「あぁ、黒羽根さんも用事?」
「うん。あと、明日一緒に遊びに行くことになったよ」
負けじと黒羽根さんも動き出したみたいね。
「それで伊織も一緒に行く?」
わたしや黒羽根さんの気持ちも知らないで、千尋は的外れなお誘いをしてくれる。まったくもう、乙女心がわからないと、モテる男にはなれないわよ。今回の相手は女装男子ばっかりだけど。
「明日はわたしも用事があるのよ。二人で行ってきたら?」
もちろんそんなものはない。ううん、一応二人のデートを尾行する用事があるわね。
「そっかー。どこに行くんだろ?」
「きっと素敵なところなんでしょうね」
人生最大の告白の舞台に黒羽根さんはどこを選ぶんだろう? 明日の尾行はそれもちょっぴり楽しみだった。
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