四章 モテる男には愛する人と大胆な告白が必要ですか?

小さな大冒険

 周りの意思が確認できたせいか、一周回って気分が軽くなった気がする。誰が狙っているかわからないよりも、真っ向勝負の方が気楽だわ。


 なんとなくはわかっているだろうけど、やっぱり教えておいてあげるのが友情かな、と思ってわたしはいつものように朝の理科室を訪ねていた。


「へぇ、それは急展開ですね」


「ずいぶん他人事みたいに言うのね」


「実際に他人事ですから。あ、恋人ができてもたまにお膝は貸してくださいね」


 千尋はわたしの膝くらい喜んで譲りそうね。わたしは嫉妬深いからあんまり千尋の膝には乗ってほしくないんだけど。榊原さんならそんなこと気にせず乗り込んできそうね。


「それでもうお伝えしたんですか?」


「わたしにそんな男気があるわけないじゃない」


 自分で言うのも悲しいけど、わたしには蛇ノ塚さんみたいな強い意志力も黒羽根さんみたいな行動力もないもの。もしかしたら今まさに誰かから告白されてるかもしれない。


千尋が朝から勉強をするために理科室に来ているのはみんな知っている。そこを待ち伏せてつかまえるのは難しくない。


 だからわたしもまだ告白する勇気も出ないのに、こうしてここにいるんだもの。


「先んずれば人を制す、とは言いますが」


「待てば海路の日和あり、ってことよ」


「何か難しい話してる? 詩栄理って理科以外も得意なんだねー」


 一人だけ何も知らない千尋がわたしたちの気持ちなんてまったく知らないまま、的外れなことを言っている。


「簡単なことわざくらい知っておきなさいよ。テストで出るかもしれないわよ」


「理科だけでいっぱいいっぱいだよ。その内勉強するよ」


「そうですね。ボクの授業ももう少しまんべんなく行うべきかもしれませんね」


 そろそろ定期テストに時期も近づいてきている。勉強の成果が出てるのか気になるところね。


 それにしても千尋の態度は少しも変わっていない。二人に告白されたってことはなさそうだわ。


「なんだかんだ言って伊織も毎日いるよね。詩栄理の教え方上手いもんね」


「勉強しにきてるわけじゃないけどね」


「そうなの? 詩栄理が膝に座るためなの?」


 他に理由が思いつかないのかしら? そんなに勘のいい千尋だったらやりにくくてしかたないからいいけどね。ぼんやりしていて、無意識に誘惑してきて、でも本当にわかってほしいことには気づいてくれる。


 そんな千尋だから好きになったのかもね。


 勇気を出して声を出さなきゃ。まだ核心には触れられないけど、一歩を踏み出す。


「ねぇ、千尋。たまには遊びに行かない?」


「え、なんで?」


「だって最近忙しくてそんなのなかったじゃない。テレビに出たときのギャラも入ったし、パーっと遊びに行きたいのよ」


「そういうことなら。今度のお休みにでも行く?」


 笑った千尋の手をとる。答えがオーケーなら止まっている暇はない。


「ううん。今からよ!」


「え、でも学校は?」


「一日くらいサボったって怒られないわ。さ、行きましょ」


 榊原さんを下ろして、まだ戸惑っている千尋の手を引いた。抵抗したのは最初だけ。すぐにわたしの隣を歩いてくれる。


 学校にいたらあの二人と会うことになる。だから学校から千尋を遠ざけたかったのがわたしの本音。少しでも時間を稼ぐ姑息な手段だと思うけど、わたしの精神の安定のためにちょっと協力してもらうことにするわ。


 まだまばらに登校してくる生徒の流れに逆行して、校門を出る。荷物は理科室に置いてきた。榊原さんが勝手に自分のものにしている準備室なら見つけられることもない。


「どこに行くの? カラオケ? ゲーセン? あ、もう下着は買いに行かないからね」


「それもいいけど、もっと遠くに行きたいわ」


「遠く、ってどこ?」


 ん~、全然考えてないわ。行けるところまで遠く、全然行ったことのない知らない場所がいい。誰も追いかけてこないようなところ。


「とりあえず駅に行って路線図見て決めましょ」


「えぇ。無計画だなぁ」


 平日の通勤ラッシュも少し落ち着いた時間帯。まだスーツ姿の大人の人はいくらか見えるけど、中堅都市の電車なら座れないこともないはずだ。


 改札を通る前に券売機の上に掲げられた大きな路線図を千尋と二人で見上げた。


「こうして見ると広いわよね」


「端っこの駅なんて行ったことないもんね」


 さらにこの先まで線路はどこまでも続いている。昔習った童謡も嘘はついてないわね。乗り継いで行けば日本の端までたどり着くことができるはずだ。普通電車じゃ何時間かかるかわかったものじゃないけど。


「うーん。海とか見に行きたいわね」


「じゃあ、こっちの方に乗ってみる? 海水浴場があったよね」


「そこは昔行ったことあるもの。それより見たことない場所がいいわ」


 南の方は撮影で何度か行ったことがある。有松市からなら一番近い海水浴場になる。泳ぐ以外にもサーファーのメッカとしても有名なところね。


 わたしは水着なんて着ないけど、夏っぽい衣装の撮影で休業中の海の家を借りて撮ってもらったことがある。雑誌に載せるわけだから夏服の撮影はまだ肌寒い時期にするから、潮風が冷たくて大変だったわ。


「じゃあ東の方? 向こうは全然行ったことないなぁ」


「この路線図だと端でも海じゃないわよね? でもとりあえず東に行ってみましょ」


 目標は決まった。改札を抜けて乗ったことのない行き先が書いてある電車に乗る。スマホがあるから迷子になることはないと思うけど、ドキドキが止まらなかった。


 子どもの頃、いつも遊んでいる公園からほんの数メートル先のお店の看板を覗きに行く。そんな大したことのない、でも初めての大冒険。そんな気分だった。


 でも隣には千尋がいる。だからこの冒険は楽しいものに違いないという確信があった。


「降りたらどんなところなのかな?」


「行ってみてからのお楽しみね」


「じゃあさ、今からスマホ使うの禁止にしようよ」


「え?」


 到着時間を調べようとしたわたしのスマホ画面をさえぎるように千尋の手が伸びてきた。千尋の白く細い指が答えを見せないようにしている。


「せっかくの冒険なのに便利なものがあったらおもしろくないもん。だから迷子になるまで使うの禁止ね」


「なるほど。それちょっとおもしろいかもね」


 普段はこれに頼りきって生活している。そのおかげで便利だし不安も少なくなるんだけど、冒険の味方にするにはちょっと強力すぎるわね。


 画面を見ないように電源を落とす。考えていたより不安にはならなかった。千尋も同じように電源を落としてスマホをポケットの中にしまった。この情報社会でそこから切り離されたわたしたちは間違いなく現代の冒険者だ。


「降りたらどんな町になってるんだろうね?」


「いや、降りても日本だからそこまで代わり映えはしないと思うわよ」


 電車から降りたら砂漠だったり氷河だったり亜人の住む失われた街だったりしたらスマホがあっても助からなさそうだわ。


「珍しいお店があったら入ってみようね」


「もちろんよ。冒険なんだから」


 いったいどんなものが待っているんだろう。過ぎていく景色を眺めながら、わたしたちは知らなくなっていく世界に胸を躍らせていた。

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