女装男子たちの聖戦
「伊織は千尋の幼馴染じゃったな」
「そうだけど」
「そんで一番の理解者じゃ。それはうちも認めるところじゃ」
なんだろう。いつもと違って歯切れが悪いような気がする。わたしと違っていつもならもっと言いたいことだけすっぱりと気持ちよく言い切ってくれるのに。
「それに一人だったうちを助けてくれた恩義もある。じゃから先に言っておく」
「なんでそんな神妙な顔して言うのよ」
「うち、千尋に告白をしようと思う。うちはあいつが気に入った。うちが
「め、娶るってそんなおおげさな」
「一度愛した女は最後まで尽くすのが仁義じゃけえ」
冗談、なんてちゃかしてごまかすこともできない。こんな真剣な話に割り込めるほどわたしも図太くできてないわ。蛇ノ塚さんも冗談を言っているような目をしていない。気迫のこもった表情は見つめ合うだけで負けてしまいそうな気がする。
「でも千尋は男の子で」
「それは知っとる。でも今は女じゃ」
「そうかもしれないけど」
もうみんな気付いているんだ。わたしと同じように。今の千尋はとってもかわいい女の子で、それはわたし以外の誰から見ても同じだってこと。
「あそこまで気概のあるやつはそうそうおらん。見逃すのは惜しい。じゃからこれは一種の抗争じゃ。ハジキは使わんがうちが勝つ」
「それをわざわざわたしに言うのね」
「うちは仁義は通すからじゃ。答えは聞かん。じゃがちゃんと言うたからな」
言いたいことだけ言うと、蛇ノ塚さんはまだ湯気の立つコーヒーを一気に飲み干すと、そのまま出ていってしまった。
「せっかくおいしいコーヒーなのにもったいないわね」
「昔から決めたら前にしか進めない人だ。勘弁してやってください」
出ていったドアをぼんやりと見つめていると、わたしたちのやりとりを見ていたマスターがぼそりとつぶやいた。
「なんとなく知ってます」
やると決めたら必ずやる。だから今日言ったことも嘘や脅し文句なんかじゃない。
蛇ノ塚さんは背も高くて芯も強い。千尋の憧れる男性像に一番近いかもしれない。高校を卒業すれば約束通り女装もやめてしまうだろう。そうすればヤクザを続けるかは別として若社長として働くことになるだろうし。
考えれば考えるほど、わたしよりも優秀に見えてくる。ずしりと重くなった胃はコーヒーじゃ癒せない。
「恋というのはいいですな。私にはもう遠い存在になってしまいました」
「あまりわたしも考えないようにしてたのにな」
自分の性別すらよくわかっていないのに、男女の関係なんて考えられるはずもなかった。自分が男であることはわかっているけど、だからといって女性と付き合うべきだとも思えない。かといって素敵な男の人を見ても恋という感情が生まれた覚えもない。
たぶん相手が千尋だったから。ずっと一緒にいた千尋が変わっていく姿に取り残されるような気がしたから。わたしは千尋を繋ぎ止めたいと思ったのだ。
「もう一杯いかがですか?」
「いただきます。今度はミルクを入れてもらおうかしら」
すぐに出てきたキャラメル色のカフェオレはたっぷり甘く作られていた。疲れた脳に染み渡るように甘さが広がっていく。
夕陽が少しずつ落ちていく。窓から差し込む夕陽の色も黒が混じり始めていた。
「ごちそうさまでした」
お財布を取りだそうとしたわたしをマスターはそっと手で制した。
「七緒さんのご友人ですから。今日は結構です。よろしければまたご来店ください」
「もちろんです。とてもおいしかったです」
今日はマスターに甘えてそのままお店を出た。そろそろ千尋の練習も終わっている頃だろう。
学校に戻るとちょうど着替えが終わったらしい千尋と黒羽根さんが歩いているところだった。蛇ノ塚さんの姿はない。
「あ、伊織どこ行ってたの?」
「蛇ノ塚さんとお茶してたのよ。戻ってきてない?」
「うん。先に帰っちゃったのかな?」
すぐに行動に移るんじゃないかって思ってたけど、さすがにそんなに早くはなかったみたい。女の子としてふるまってきたわけだし、蛇ノ塚さんだって、きっと初めてのことなんだと思う。だったら、わたしにもまだ。
「伊織ー? なんか顔が怖いよ。また調子悪くなった?」
「ううん。大丈夫よ。今日の千尋は心配性ね」
昼まで保健室で寝ていたわたしが言えることじゃないか。さて、後は帰るだけ、と思ったところで、黒羽根さんがわたしの袖を引いた。
「今日の夜、遊びに行っていい?」
千尋に聞こえないように小さな声で耳打ちされた。それだけでもう何を言いたいのかわかってしまう。だってついさっき同じような話をしたばかりだから。
「わかった。おやつが欲しいなら自分で用意してよね」
「うん、でも用件はすぐに終わると思うから」
すぐに終わればいいけど。それにしても一度わたしに報告するのはなんでかしらね。やっぱり千尋と同じようにわたしのことを千尋のお母さんか何かと思ってるのかも。
「でもそれって、まだわたしが一歩リードしてるってことよね」
「何の話?」
「なんでもないわ。千尋が最近ちょっとカッコよくなったってことかもね」
それを聞いただけで千尋の顔からにやけが止まらなくなっている。そんなに喜ぶことなのかしら? でも今の言葉に嘘はない。だって今こうして千尋は人生初のモテ期がやってきている。女の子としてだけど。
「そっかぁ。じゃあもっともっと頑張ってカッコよくならないとね」
喜んでいる笑顔も魅力的に見える。すっかりわたしは千尋の
黒羽根さんが訪ねてきたのは夜も更けていた九時前だった。高校生ならこのくらいの時間に出かけていても不思議じゃない。
「こんばんは」
「えっと、黒羽根さん?」
「そうだよ。そんなにびっくりする?」
「だって制服を着ているところしか見たことなかったし」
ラフなジーパンにティーシャツ姿。髪はいつもと同じポニーテールだけど、お化粧をしてないから男らしく見える。そして袋いっぱいのお菓子を持ってにこにこ笑っている姿を見ると、なんだか人懐っこい少年らしさを思わせた。
「まぁまぁ。たくさん持ってきたから食べようよ」
「わたしは八時以降は食べないわよ。太っちゃったら困るし」
「えぇ~、一日くらいいいじゃん」
そういう油断がお腹のお肉に繋がっていくのよ。黒羽根さんの場合は毎日めいっぱい動いてるから大丈夫なのかもしれないけど。
「まあ上がって。立ち話するつもりもないんでしょ」
この間千尋が来たから部屋はきれいに片づけてある。やっぱり人が来るようになると掃除をサボるのもなくなるわ。用件はあんまり聞きたくないけどね。
「一人暮らしって羨ましいなぁ。私も早く一人暮らし始めたいよ」
「全部やるのって結構面倒よ。誰かにやってもらいたくなるわ」
「たとえば、彼女を、作ったりとか?」
途切れ途切れの言葉は黒羽根さんなりに踏み込んだ意思の表れだった。
「そうね。ちょっと考えてるわ」
「やっぱり。千尋ちゃんかわいいもんね」
「でもまだ決まってるわけじゃないの。チャンスは平等よ。黒羽根さんも蛇ノ塚さんも」
蛇ノ塚さんの名前を聞いて、黒羽根さんは少し驚いたように目を見開いて、少しもごもごと口を動かした後、何も言わずに一人頷いた。
「そっか。七緒ちゃんもか。そりゃそうだよね」
「ずっと一緒にいたんだもの。同じタイミングで気がついてもおかしくないわ」
「じゃあ隠すようなこともないね。私も千尋ちゃんのこと好きになっちゃったから。伊織ちゃんが相手でも負けないんだからね!」
それだけ言うと、黒羽根さんは拳を突き上げてから帰っていってしまった。さすがのスポーツ少女、もといスポーツ女装男子ね。気持ちが決まったと思ったら一直線に言いたいことを言って帰ってしまった。
「二人とも自分の気持ちがはっきり言えて羨ましいわ」
置いていったおやつはちょっとずつ千尋にあげよう。餌付けじゃないけど、これでわたしの部屋によく来るようになったらそれもどうかと思うけどね。
「はぁ、焦る必要ないと思ってたのに、そうもいかないみたいね」
いつまでも千尋のお母さん代わりじゃいられないわ。これから変わっていかないと。でも具体的にどうすればいいのかしらね。
考えたってわからない。だってこんなこと初めてなんだから。だったら何も考えずに前に前に進むしかない。
「そういうのって苦手なんだけどね。千尋と、なによりわたし自身のためだもの」
答えは最初から決まっている。譲ってあげる気持ちなんてほんの少しだってない。千尋が選んだ答えだけはきちんと受け入れるつもりだ。たとえどんな答えでも。
今日は休もう。明日からはちょっとだけ変わったわたしたちが待っている。それを少しだけ怖がっている自分がいた。勝負事なんてあんまり経験ないんだもの。しかたないわ。
電気を消して真っ暗な部屋にいると、いろんなことが頭に浮かんできそうで、私は逃げるようにベッドへと潜りこんだ。
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