ご注文は女装男子ですか?

 部活の朝練はやってると言っても毎日毎日ケガ人が来るわけじゃない。そもそもそんなことがあったら佐藤先生はお酒なんて飲んでる暇はないでしょうね。


「なんだぁ、宮津。サボりか?」


「年中サボってる佐藤先生には言われたくないわ。ちょっとベッド貸してね」


「まぁ、悩みは心の病だからな」


 仕切りのカーテンを閉めようとした私の背中にぼそりと佐藤先生が言葉を投げた。今日はお酒の代わりにコーヒーを飲んでいる。だてにお酒を飲んでてもクビにならないだけのことはあるわ。わたしの心が透けているみたい。


 カーテンから手を離し、わたしはゆっくりと佐藤先生に向き直った。にやりと笑った顔は榊原さんと同じで予想が当たったことに喜んでいるのだ。


「わたし、そんなに顔に出てる?」


「保険医をなめるなよ。俺ならすぐにわかる」


 ベッドの端に腰かけて、わたしは自分の頬を触ってみる。特別熱くなっているわけでもない。鏡は近くにないけどむくれてる様子もない。それでも他人から見てわかるくらいにはわたしは動揺しているのだ。


「渡会のことか?」


「わたしの悩みなんてそれくらいだと思ってるんでしょ」


「勉強で悩むようなタマじゃないだろ」


「千尋って男の子に戻れるのかしら」


 モテる男になれば戻れるって千尋は信じているけど、本当にそんなことあるのかしら。そうじゃない。もう戻らないでいてほしいとわたしが思っているのだ。


「女になった原因もわからないのに、俺にわかるはずないだろ」


「悩んでるのがわかってるのに、もうちょっと気の利いたことは言えないの?」


「あいにくスクールカウンセラーは別にいるんだよ」


 頼りになるんだかならないんだかわからないわ。アドバイスの一つくらいでもしてくれれば気が楽になるのに。いつもなら他愛もない話をしてくれるのに、今日は澄ました顔でコーヒーをすすっている。


「悩むってのは羨ましいもんだな。若者の特権だ」


「他人事だと思って簡単に言ってくれるわ」


「そういうなって。答えを用意することはできなくはないが、それじゃ面白くないだろ。悩んで自分で答えを出したってことが大切なんだよ」


 そう言うと佐藤先生はわたしの座っているベッドの仕切りのカーテンを閉じた。


「サボりは見逃してやるからちょっと休んでいけ。気が晴れたらちゃんと授業に出るんだぞ」


「ありがと、先生」


 ぐるぐると巡る頭の中を整理するにはまずは時間が必要だもの。思ったよりも疲れていたみたい。ベッドに横になると、昨日もしっかり寝たはずなのにすぐに眠気が体を包んでいく。


 たったあれだけでも佐藤先生と話したことで心が軽くなったみたい。やっぱりバカにはできないわね。


 眠っていた時間がどのくらいかはわからない。ただ覗き込んでいる千尋の顔を見て、朝じゃないことはわかった。


「あ、伊織起きた? 本当に疲れてたんだね」


「あれ、千尋? 今何時?」


「お昼休みがもうちょっとで終わるよ」


 そんなに寝てたのね。ポケットからスマホを出して時間を確認すると、確かに千尋の言う通りだ。


「渡会が休みのたびに覗きに来るから大変だったんだぞ」


「お酒が飲めなくてちょうどよかったじゃない」


「朝は泣きそうな顔してたくせに。調子はよくなったみたいだな」


 そんな嘘つかないでよ。そこまでひどくなかったわ。慌ててわたしの額に手を当ててる千尋がちょっとおもしろい。今はもうよくなったんだから大丈夫よ。


「もうちょっと寝てる?」


「ううん、大丈夫」


 ベッドから起きて大きく伸びをする。うん、もう大丈夫。千尋との関係も全然前と変わってない。これから変えるとしても少しずつ変えていけばいい。焦ることなんてないんだから。


 そう思っていたのに、周りはそれを許してくれないみたいだった。


 授業を終えて、放課後にいつもの四人でトレーニング。そのときから蛇ノ塚さんの様子はおかしかった。


「この後暇じゃったら付き合ってくれんか?」


「え、いいけど」


 いつものトレーニングを終えて汗を拭いていると、蛇ノ塚さんから誘われた。最近は最初のランニングや筋トレは付き合うけど、後半は千尋と黒羽根さんでどこかの部活に行ってしまうから時間ができることが多かった。


 そういうときはだいたい榊原さんのイスになるのが日課だったんだけど。まさか蛇ノ塚さんからお茶に誘われるなんて思わなかったわ。


 学校の近くはあんまりいいお店はないと思っていたけど、蛇ノ塚さんは目的があるみたいでわたしが通ったことのない裏路地をすいすいと抜けていく。


 十分もしないうちに辿り着いたのは小さな喫茶店だった。一枚板の看板には「ハムスターハウス」というかわいらしい名前がついている。


「じっちゃんの代にうちにおったもんが足を洗って開いた店なんじゃ」


「へぇ、素敵なお店じゃない」


「昔、シマ争いで敵の耳を食いちぎったことがあって、そのときからあだ名がハムスターになったらしいんじゃ」


 前言撤回するわ。めちゃくちゃ恐ろしい名前じゃない。その由来を聞くと、急に素敵だったお店から極道のテーマが聞こえてくる気がするわ。


 店内に入ると、中は可愛さも恐ろしさもない。ログハウスのような大きな木の大黒柱が印象的なシックな雰囲気だった。


 寡黙そうなマスターはきれいな白髪に整えたひげをたくわえている。蛇ノ塚さんの顔を見つけると、神妙そうな顔で小さくお辞儀した後、カウンターの席を勧めてくれた。


「ご注文は?」


「いつものブレンド。砂糖たっぷりで頼むわ」


「わたしも同じものを。砂糖は控えめでいいです」


 お湯の沸く音が心地よく響いている。店内を流れる音楽はサックスの音が印象的でジャズっぽく聞こえるのに、どこか聞き覚えのあるメロディーにも聞こえる。


「ここの音楽は任侠映画の曲をアレンジしたやつなんじゃ」


「へぇ、凝ってるのね」


 素敵なお店なのに他のお客さんがいないのは、やっぱり蛇ノ塚絡みだって周囲の人が知ってるからなのかしらね。


「お待たせいたしました」


「あ、ありがとうございます」


 人となりを知っているとちょっと怖く見えるけど、出てきたのは普通のコーヒーだわ。淹れたてということもあって豊かな香りが体を満たしていく。


 軽くかき混ぜてからすすると、家で飲んでいる適当なインスタントとは格の違う風味が流れ込んでくる。


 これからちょっとひいきにしようかな。静かだし、心を落ち着けるには家で一人でいるよりよさそうだわ。


「それで、わたしに話ってなんなの?」


「あぁ、そうじゃったな。千尋のことじゃ」


 千尋の名前に少し体がこわばる。なんだか嫌な予感がする。焦ることはない。そう自分に言い聞かせたのに。動き出した関係はわたしの意志じゃ止まってなんてくれない。

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