男と女と女装男子と

「結局クビになっちゃったの?」


「うん。なんか僕の方がヤクザだと思われたみたいなんだよね」


 そりゃあれだけの脅し文句を並べたらね。やったのはもう一人の千尋だから、こっちの千尋はとばっちりなんだけど。


 私の部屋でおやつを食べながら、千尋は事件の結末を話してくれた。


 男の子に指示を出したのは大学生のアルバイトだった。万引き現場を発見したその大学生は万引きを黙っている代わりに男の子をパシリとして使っていた。その男の子を使えばうまく金券を手に入れられると思ったみたい。


「仲間を助けるために犠牲になるのもライバルポジションみたいでカッコいいよね?」


 よく覚えてないけど、蛇ノ塚さんを守れたことに千尋は喜んでいる。真相を話すのはまだまだ先にしよう。仕事をした後の一杯はうまい、なんて言いながら、コーラを飲んでいる姿は任侠というよりもサラリーマンっぽい。


「蛇ノ塚さんは?」


「予定通り短期で辞めることになったみたいだよ。でも大学生がクビになった分、人手が足りるようになるまではちょっとだけ続けるって」


「元々プレゼントを買うためだし、ちょうどよかったんじゃない? っていうかもしかしてお給料が月払いだってこと忘れてたのかしら?」


「意外と七緒も抜けてるよねー」


 千尋が笑える立場じゃないわよ。とにかく思ったより早く日常が戻ってきてよかったわ。これでまた放課後は一緒にいられるもの。たった二日でしかないのに、千尋が遠くにいると思うとなんだか自分の半分がなくなったような気分だった。


 今は昔と違う。黒羽根さんも榊原さんもいたのに。それでもやっぱり千尋といるときとはちょっと違うような気がしてしまう。


 ずっと一緒だったからこれからも一緒なんて保障はどこにもない。淳一がそうだったように、千尋だってカッコいい男の子になって、いつか誰かと一緒になる。


「あれ?」


「どうしたの? 何か変なことあった?」


 今の千尋は女の子なのよね。だったら他の誰の目も気にすることなくずっと一緒にいられるじゃない。


 でも千尋は男の子に戻りたくて、わたしは女の子になりたくて。千尋は、男のわたしをどう思ってるんだろう?


「ううん、なんでもないわ」


 気付いてしまった。

 知っていたのに知らないふりをしていた現実。


 女の子の千尋が目の前にいる。そう思っただけで急にこの状況が危なく感じてくる。まだ高校生だって言ったって、一人暮らしの男の部屋に何も考えてないぽやぽやの無防備な女の子が入り込んでお菓子を食べている。


 自分は男じゃないってそう信じてきたのに。この状況にドキドキしている自分がいる。相手は、今の千尋は女の子なのに。


「伊織、もしかして調子悪い? 無理させちゃったかな」


「大丈夫よ。それより千尋は自分の心配しなさい。最近いろいろとやり過ぎなんだから」


「そんなことないよ。でもそろそろ帰るよ。ちゃんと休んでね」


 千尋を見送ると、急に部屋が広くなったように感じた。むしろ遊びに来ている時間の方が短いはずなのに。


「ダメダメ。何を考えてるのよ、わたしは。千尋が男の子に戻れるように協力するんでしょ」


 口で言っていることと頭に浮かぶことは全然違っている。一度決壊したダムは簡単に直らないように、気付いてしまったことは簡単には忘れられない。


 今までなんとも思っていなかったのに、黒羽根さんや蛇ノ塚さんの話をする千尋を思い出すだけで心にトゲが刺さるみたいだった。


「明日からどんな顔して千尋に会えばいいのよ」


 わたしの仕事はモデルであって女優じゃない。演技力には期待できない。少し前に聞いた蛇ノ塚さんの溜息と同じくらい大きな音で、わたしは肺の中を全部吐き出す。でもやっぱり頭の中は少しもすっきりしなかった。


 一人でいると頭の中が絡まりそうで、わたしは意味もなく早くから登校していた。まだ部活の朝練も始まったばかりで、教室に行ってもきっと誰もいないだろう。千尋は、朝はたぶん理科室ね。まだ来てないと思うけど、榊原さんはいるかしら?


「あ、ずいぶんお早いですね。何か悩み事ですか?」


「そんなに悩んでそうに見える?」


「ん、成功しました? 適当だったのですが」


 いつも以上にぼんやりとした瞳で、榊原さんは分厚い本をめくっている。たぶん専門書なんだろうけど、わたしにはさっぱりだった。


「ボクに相談したい、という雰囲気でもないですので詳しく聞きませんが、必要があれば理科室に来てください」


「榊原さんってさ、男の子と女の子のどっちが好きなの?」


「ずいぶん急な質問ですね。ボクはお姉ちゃんが喜ぶから女子制服を着ているだけですから、別に女性になりたいとか男性が好きということはないですね」


「じゃあ、千尋は?」


「なるほど。そういうことでしたか」


 私の質問に合点がいった、と榊原さんは専門書を閉じてわたしに向き直った。新種の動物でも見つけたみたいにまじまじとわたしの顔を見ている。


 わざとらしくわたしの周りをぐるぐると回って観察すると、結局いつものように榊原さんはわたしの膝の上に座った。


「そうですね。千尋さんは男の子なのか女の子なのかというのは難しい問題ですね。心が男の子なら男の子でもいいのですが」


「いいのですが、って何かあるの?」


「人を好きになる上でその分別に何の意味があるんでしょうね? ボクは千尋さんのお膝が好きですが、伊織さんのお膝も同じくらい好きですよ」


 なんだか話をはぐらかされたような気がする。でも榊原さんの言う通りなのかもね。あんまり考えこまないでもいいのかもしれない。わたしと千尋の関係は変わってきてはいるけど、悪くなってるわけじゃない。


「あまり急がない方がいいってこと?」


「そうですねぇ。それがいいのかもしれませんし。そうじゃないかもしれません」


「あいまいな言い方をするのね」


 確信がないことを断定はしない。それは榊原さんの学者としての性なのかもしれない。わたしに体を預けて甘えたように腕に頬を擦りつけている姿を見ても全然そうは見えないんだけどね。


「おはよう。あれ、伊織も来てたんだ」


「おはよ。千尋もずいぶん早いじゃない」


「最近はバイトで勉強してなかったからね。取り戻さないと」


 こういうところも変わったと思う。昔ならそのまま流れに任せて止めてしまっているはずだったのに。カッコいい男を目指していただけの頃と違って、今は黒羽根さんや蛇ノ塚さんの姿を見て目標がしっかり定まっている。


「また無理してるんじゃないの?」


「薫のおかげで筋肉もついたしもう大丈夫だよ」


 ふふ、と得意げに笑う千尋の顔にちょっと言葉に詰まる。昨日だって近くに座って普通に話してたじゃない。


「伊織の方が心配だよ。ちょっと顔が赤いよ?」


 近づいてくる千尋の顔に耐えられなくなって逃げようとするけど、膝の上には榊原さんが乗っていて動けない。


「そうね。ちょっと保健室にでも行ってくるわ」


「ではボクは千尋さんのお膝に移動しましょう」


 それは止めたいんだけど、そうするとここからは逃げ出せないわ。しかたなく榊原さんを下ろすと、住処に帰るノラ猫みたいに千尋の膝へとすぐに座っている。


 焦ることはないわ。急に何かが変わるわけじゃないんだから。


 ベッドで寝ながらゆっくり考えよう。本当に熱が出てきたような額を触りながら、わたしは一階の保健室に向かって歩き出した。

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