天才児の感性
「朝から理科室なんてなんか補習みたいで嫌になるわね」
実際補習みたいなものよね。普段からちゃんと勉強をしておけばやらなくて済んだ話なんだから。そもそもクイズ番組に出なきゃいいんだけど。
「榊原さん、いるー?」
こんな早朝ならいなくてもおかしくないけど、あれだけ食事を用意している感じを見るとここに泊まっててもおかしくなさそう。
「それはなぜですか?」
「えっと、この式だとyの部分をまず因数分解して」
「朝から真面目にやってるのね」
放課後はトレーニングがあるから勉強は朝に。普段は全然やる気がないのに、一度始めると止まらなくなる。千尋のそういう真面目なところはカッコいい男の子として誇っていいと思う。
「忙しそうなら昼か放課後にしようかしら、ん?」
回れ右をしようとした体が止まる。ちょっとだけ理科室を覗いて帰るつもりだった。でも目の前に入ってきた光景にその考えを捨てた。
わざとらしく足音を立てて勉強中の二人に駆け寄る。
「ちょっとちょっと。何してるのよ?」
「お勉強ですよ。千尋さんは真面目な人ですね」
「なんで勉強教えるのに千尋の膝の上に座る必要があるのよ!」
「ここにいるとなんだか落ち着くのです」
落ち着くとかそういう話じゃないでしょ。千尋も嫌がらずに普通に順応しないでよ。
小柄な榊原さんなら千尋の膝でも収まりが良さそうだけど、一応今の千尋は体は女の子なんだからね。榊原さんも女の子にしか見えないけど、ダメなものはダメよ。
「そんなに怒らなくてもいいじゃん。詩栄理は教えてくれてるわけだし」
「なんで千尋はそんなに冷静でいられるのよ」
やっぱり男だとか女だとかいうものに一番こだわってるのはわたしなのかな。もっと自由になれれば気分も軽くなるのに。わたしには簡単にはできないのよね。
「そういえば伊織はどうしたの? 朝から勉強してるって言わなかったのに」
「なんで秘密にしてたのよ?」
「お仕事忙しいのかなって。最近ずっと僕のこと面倒見てくれてるから」
「そんなこと千尋は気にしなくていいのよ。わたしが好きでやってることなんだから」
まったく変なところで気を遣うんだから。今一番大変なのは千尋なんだから、自分の心配だけしてればいいのよ。
「ところで伊織さんもお勉強ですか?」
「そろそろ千尋から降りなさいよ。まぁそうね。ちょっと仕事でね」
二人にクイズ番組に出ることになったと話してみる。本当はこういうことをなんでも話すのはよくないけど、この二人なら大丈夫よね。
「それでお勉強ですか。仕事熱心な方なんですね」
「バカにされるのは好きじゃないのよ」
「伊織って結構負けず嫌いだよね」
ずっと周りから気味悪がられてたんだからしょうがないでしょ。実力で相手に勝てなきゃ、今の自分を守れないんだもの。
むしろ女の子みたいってずっとからかわれてた千尋がそんなにぽやぽやした性格になったのが驚きだわ。
「でもクイズ番組じゃどんな問題が出るかわからないね」
「学校の試験勉強とは違いますからね」
「まぁ現役高校生らしいところくらいは見せたいわよね」
「でもそれじゃ全然目立てないんじゃないの? せっかく初めてのテレビ出演なのに」
別に出続けたいわけじゃないからいいんだけどね。わたしにとってこの仕事は高校生の身で生活するのに必要なお金が稼げるってだけ。あの華やかな世界に身を置きたいっていうわけじゃない。
とりあえず千尋の膝から軽い榊原さんの体を持ち上げて隣に座らせる。その横に丸イスを持ってきてわたしも座る。しっかりと監視しておかなきゃ。
「二時間の特番で一度もカメラで抜かれないってことはないと思うけどね」
「つまり、しっかり目立つ場面を作れば伊織さんがたくさん映るということですね」
「たくさん映りたいわけじゃないけど、そういうことね」
モデルとかテレビとか言うとこんな感じでみんな食いついてくるのよね。実際はそんなにキラキラした世界じゃないわ。必要な時に呼び出されて、いらなくなったら声もかけてもらえない。実力至上主義の世界。
「ではここはいにしえより伝わる勉強法を使うときですね」
「なによ、それ」
「ヤマを張るのです!」
「それ普通すぎない?」
榊原さんは手の見えない長すぎる白衣の袖をわたしに向ける。まるで孔明も真っ青な秘策みたいに言ってるけど、いかにもな前置きをした割にはよくある勉強法じゃない。
確かに昔から一夜漬けのお供と言えばヤマを張ることだけど、今回はちょっと範囲が広すぎるわ。いろんなジャンルがあるだろうけど、それは本番にならないとわからないし。
でも天才でわたしたちとは考え方なんてまるっきり違うと思っていた榊原さんでもヤマを張るなんて発想があるのね。なんだか急に親近感が湧いてきたわ。同じ高校生なんだもんね。
「難しい試験に挑むときは十分効果のある勉強法だと思います」
「でもどこに張るの? 学校の試験と違って出やすい傾向なんて簡単にはわからないわよ」
そりゃ今までの番組の問題を全部まとめたりすればわかってくるかもしれないけど、そんなことしてる時間もないわ。時間があってもたった一回の出演だけのためにやりたくない。
「そうですね。でも考えてみてください。高校生離れした知識を見せればとっても目立つことができるのでは? ボクなら物理の専門知識を少し教えてあげることはできます。問題として出るかはわかりませんが」
「一回だけなら博識の振りができるってわけね」
「でも詩栄理の研究してるようなことを伊織が勉強して理解できるの?」
千尋と一緒にしないでよ、と言いたいけど、さすがにわたしもちょっと勉強しただけで賢くなれるとも思ってないわ。
「そんなに難しいことはやっていませんよ?」
「賢い人はみんなそう言うのよ」
「そうでしょうか? 学校の授業とそんなに変わらないと思うんですが」
この間の勉強はとってもわかりやすかったけど、だからっていきなり専門的なことを理解できるとは思えないわ。
「せっかくですから聞いてください。ボク、学校で研究の話ができる相手っていなかったんです。ずっとここにこもっているので友達もいないので」
だから千尋にもくっつくし、わたしが夜に理科室に行ったときも一緒にご飯を食べようとしたのね。まぁうちの学校で大学に認められるようなこと言われてもちんぷんかんぷんでしょうね。
「もっといい進学校なんていくらでもあるのに、なんで烏丸高校に来たの?」
「お姉ちゃんがここの制服が一番かわいいって言うので」
「そんな理由で。そういえば女子制服着てるのもお姉さんに着せられてるって言ってたわね」
今日も学校指定のセーラー服にぶかぶかの白衣を着ている。いつ見ても完璧に似合ってるけど、これで特別きれいになるための努力をしてないのよね? 天然美女装男子って恐ろしいわ。
「ボクは高校がどこかというのはあまり興味がないので。お姉ちゃんがここのセーラー服をボクに着せたかったみたいですね」
「よく抵抗しないわね。普通は嫌がると思うけど」
「勉強は制服でするものじゃないですから。何を着ていてもボクはボクです。それならお姉ちゃんが喜んでくれる方がいいですから」
なんかちょっとカッコいいこと言ってる。でもわたしだって何を着ててもわたしはわたしよね。いいこと言うじゃない。
自分が女装をしていることをわたしも周りの人もあまり触れないようにしていた。それを話すとなんだかわたしを違う何かだと思ってしまうから。みんなと変わらない普通なんだって信じたいと思っていたのかもね。
「わかった。わたしも頑張ってみるわ。榊原さんにはちょっと迷惑かもだけど」
「いいえ。ボクは大歓迎です。夕飯の貯蔵を増やしておかないといけませんね」
全部オムライスはやめてほしいんだけどね。一週間だけ全力でやってみましょ。プロデューサーを一泡吹かせてやったら社長にみんなの分おごってもらわないとね。
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