女装男子のおしごと

「ほえ~」


「なるほどね。わかりやすいわ」


 情けない千尋の声にツッコむのも忘れて、わたしは榊原さんの説明に耳を傾けていた。ただ公式や解法を当てはめるだけじゃなくて、どうしてその公式ができるのかなんて話までしてくれるから聞き入ってしまった。賢い人って説明も上手なのね。


「賢い人って教えるのは下手なのかと思ってたけど、そんなことないのね」


「なんか頭がよくなってきた気がする」


「それは気のせいですからきちんと復習してくださいね」


 手厳しい榊原さんに千尋は眉根を寄せる。わかりやすい説明でなんとなくできるようになった気になっちゃうけど、帰って問題集を解こうとするとまたわからなくなってたりするのよね。


「ねえ、これからも勉強に来ていい?」


「構いませんよ。なんだか千尋さんといるといいアイデアが浮かんできそうですし」


「まぁ、心が落ち着く顔をしてるわよね」


 千尋といると、このふにゃふにゃした笑顔でなんだか癒されるのよね。それが怪しげな実験とどのくらい関係があるのかはわからないけど。


「わたしもときどき聞きに来ていい?」


「はい。ボクでよければ。今度は一緒にオムライスを食べましょう」


 おいしいお店を紹介してくれるって言うんなら喜んでいくんだけどね。きっと榊原さんが言っているのは、あのビーカーで温めたやつなんでしょうね。


 黒羽根さんのトレーニングに加えて榊原さんの勉強。それから蛇ノ塚さんと任侠映画鑑賞。千尋は一気に忙しくなってきた。それでもわがままも文句も言わずに毎日の練習をこなしている。


「宣言通りどんどん男らしくなってきたわね」


「本当? じゃあモテるようになって男に戻れるのも近いかな」


 モテたところで男に戻れる保証もないんだけど、千尋のやる気が出るなら水を差さないでおくわ。


「じゃあ今日は一人で頑張ってね」


「何かあるの?」


「事務所に呼ばれたのよ。めったなことじゃ呼ばれないんだけどね」


「またモデルの仕事?」


「それなら最近は電話で済ましちゃうんだけどね」


 わたしもいつまでも新人ってわけじゃない。最初は一人で始めたことだった。でも少しずつ人気が出てくるとお金のこともあるし、親と連絡がつかないわたしじゃいろいろと困ることもある。だから事務所の隅に名前を置かせてもらってるってだけ。


「お仕事は大切だもんね。頑張ってね」


「ありがと。わたしがいないからってサボらないのよ」


 二人だけにすると中身のないふわふわとした話だけしてそうなのよね。見ているとこっちまで癒されてくるのはいいけど、勉強には大変だわ。


「こんにちは。社長いますか?」


 住宅街の中のマンションの一室。スリッパに履き替えて部屋の中に進んでいくと、フローリング敷きのリビングには似合わないジムデスクが並んでいる。スタッフさんやマネージャーさんたちは出払ってるみたいで、座っているのは社長の清澄きよすみさん一人だけ。


 ぱっと見ただけだと庭で盆栽をいじっていそうなおじいちゃんなんだけど、これでもいろんな方面に顔が利くベテランだ。おかげで女性服のモデルをする男なんていう使いにくそうなわたしもお仕事を円満にできている。


「おお。伊織ちゃん。おつかれさま」


「おつかれさまです。事務所まで呼ぶなんて珍しいですね」


「いい話が入ったんだよ。テレビのクイズ番組。最近SNSでも伊織ちゃん人気だからね」


「テレビ、ですか?」


 正直あんまり嬉しい話じゃないかもしれない。わたしの立ち位置ってとっても繊細だから。


 自分が男であることはわかっているけど、それを真正面から突きつけられるのは辛い。ドラァグクイーンみたいに自分が女装していることを芸の一つとして扱われると傷ついてしまう自分がいる。


 テレビの求める女装男子の理想像からはわたしは離れてしまっている。扱いにくい性質の男が急にテレビの画面に放り込まれてもうまく立ち回れない。


「枠があるからいい子はいないかって言われたんだよ。で伊織ちゃんを紹介したらプロデューサーなんて言ったと思う?」


「え、やっぱ女装男子って嫌、とか」


「モデルやってるなんてバカ枠としてちょうどいい、って! だから僕は言ってやったよ。頑張り屋の伊織ちゃんならクイズ番組なんてちょいちょいっと優勝できるって」


「なんでそんなこと言ったんですか!」


 千尋には負けない自信はあるけど、成績は最上位ってわけじゃない。紹介してもらったのは普段レギュラーでやってるクイズ番組の特番みたいだけど、他の参加者の中には情報バラエティのコメンテーターや高学歴のお笑い芸人さんの名前が並んでいる。


「この人たち相手に勝つのは無理ですよ」


「わかってるよ。だから今日呼んだんじゃないか。お願いだ。勝てなくともプロデューサーに一泡ふかしてやりたいじゃないか。今度の特番出てくれないか?」


「そんな。社長にはお世話になってますけど。いつなんですか?」


「収録は一週間後なんだよ。急な話だけど、売り言葉に買い言葉で」


 正直な話、今から勉強したところで初めてのテレビ番組で爪跡を残すのは簡単じゃない。モデルの仕事もインフルエンサーの仕事も誰かと話すことはないから、いきなりテレビなんて言われても難しいし。


 社長には悪いけど、そのプロデューサーの言う通りバカな振りをした方が何倍も簡単に視聴者の印象に残るでしょうね。


 でもなんとなく頑張っている千尋の姿を思い出した。最近はトレーニングに勉強に一生懸命やっている。千尋があんなに頑張ってるのに、わたしがこの程度のことで二の足を踏んでいたら千尋に顔向けできないわ。


「わかりました。やるだけやってみます」


「助かるよ。今度ご飯のひとつくらいはごちそうさせてよ」


「ちょっと割に合わなさそうですね」


 安請け合いしちゃったけどどうしようかしら? クイズ番組って結構高校の授業くらいの問題も多いから、せめて現役らしい活躍ができれば社長の顔に泥を塗るってことはないと信じたいわ。


「あ、そうだわ。ちょうどいい相手がいたじゃない」


「ん? 何かいい考えでもあるのかい?」


「別に楽な道じゃないですよ。ちょっと努力するのに力強い味方がいるってだけで」


 榊原さんの研究の邪魔にならなきゃいいけど、いつでも来ていいって言ってたしね。


「よくわからないけど頼りになる友達がいるのはいいことだね」


「社長もいい歳なんだから熱くなって血管切れたりしないでくださいよ」


「はは、手厳しいね。それじゃよろしく頼んだよ」


 悪あがきくらいやった方がわたしらしくていいわよね。とりあえず明日の朝にでも榊原さんの都合を聞きに行くことにしようかな。

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