学ぶという言葉は真似るからきている

「あ、戻ってきた。千尋ちゃん捕まった?」


「えぇ、ついでに助っ人も見つけてきたわよ」


 校庭では一人で黙々と練習を続けていたらしい黒羽根さんが手を振っている。顔には見ているだけで疲れそうなほど汗が浮かんでいるのに、爽やかな笑顔を浮かべている。本当に体を動かすのが好きなんでしょうね。


「これで烏丸高校筋肉部の設立まであと一人だね」


「何それ?」


「千尋ちゃんを育てる部活の名前」


 黒羽根さんは汗を拭って一枚の紙をわたしに手渡した。ちょっと砂のかかった紙を払って見てみると、部活設立の申請書類みたい。部員の名前にはわたしたちのもの。そして部活の名前は『筋肉部』とかわいい顔からは想像できない力強い字で書かれていた。


「違うわよ。千尋プロデュース部でしょ」


「何の話しとるんじゃ?」


「っていうか部活にしないでよ」


 千尋が止めに入ろうとしても止まるはずがない。ここでびしりと言えない辺り、まだまだヘタレからは卒業できそうにないわね。


「そうじゃ。なんじゃ筋肉部って」


「そうよね、蛇ノ塚さんもこう言ってるし」


「作るんじゃったら任侠部に決まっとるじゃろうが!」


「いやそれじゃ余計にわからないよ」


 話に割り込んだ蛇ノ塚さんもやっぱり明後日の方向に向かって進もうとしている。


「筋肉部!」


「プロデュース部!」


「任侠部じゃ!」


「もう僕の話も聞いてよー」


 たった四人なのにもう完全に収拾がつかなくなってきた。肝心の千尋はというとほとんど蚊帳の外で華やかな見た目とは対照的なしょうもない言い争いを眺めているだけだ。


「なんでこうなったのかなぁ。っていうかいつの間に増えたんだろう、七緒。あれ、僕あの人のこと知ってたっけ?」


 黒羽根さんと言い争っている蛇ノ塚さんの背中を見ながら千尋が首をかしげる。それもそのはず。知らないうちに自分に協力する人が増えてるんだから。怖くなっても不思議じゃない。


「さっき会ったときに少し話したじゃない。さ、休んだしランニング再開よ」


 千尋の疑問が大きくならないように、わたしは自分の体にムチを打って千尋の背中を押して走り出した。


 それにしても脳筋ばかりじゃ先が思いやられるわね。少しくらい落ち着きのある人が間に入って場を和ませてくれるといいんだけど。千尋にその役割をさせるのはさすがに無理があるわよね。


 十秒足らずで急ブレーキのかかった千尋の隣をゆっくりと走りながら、わたしはこれからのことを考える。でもいいアイデアは浮かびそうになかった。




「おっしゃ、今日はうちの番じゃ。男気っていうもんをうちが教えたるわ」


「男気って言われても僕にはよくわかんないんだけど」


「男じゃったらわかるはずじゃ。さぁ、いくで」


 先を行く蛇ノ塚さんの背中についていきながら、千尋はわたしの顔を見る。


「いや、わたしもよくわからないんだけど。それに今の千尋は女の子だし」


 翌日は蛇ノ塚さんが担当すると言い出して、今日のランニングは中止になった。わたしも千尋も全身筋肉痛でそれどころじゃなかったから嬉しいんだけど、男気ってそんな簡単に身につくものかしら。


「それじゃついてきいや」


「どこに行くの?」


「多目的室じゃ。鍵は借りてきたから心配いらん」


「へぇ、顔が利くのね」


「うちが頼むとみんなすぐに言うこと聞いてくれるんじゃ。義を受けたら義で返す。先生は立派なお人じゃ」


 たぶん蛇ノ塚さんの家のことを誤解してるから怖がってるだけだと思うんだけど。本人はそんなこと少しも気付いてないみたいで、恩義の大切さを千尋に語っている。


 千尋も千尋ですごい人と話してるみたいな変にキラキラした目をしてるし。これを誰が収拾つけるのよ。


「はぁ、教室行って何するの? 私、勉強とか嫌いなんだよね」


「昨日あれだけやってまだ足りないの?」


 肩を落とした黒羽根さんは今にも廊下を走り出しそうなくらいにうずうずしている。


「それなら部活に入ればいいじゃない」


「でもそれってやっぱりズルいと思って。男が女の子の中に入るわけだから。だから試合も練習試合でしか助っ人に行かないようにしてるよ」


 なかなか面倒な考え方をするわね。わたしはもう考えるのも面倒になって、そんなことはやめちゃったわ。モデルの仕事も向こうが勝手に配慮してくれるんだから、それに甘えてしまってる。


 男であることを隠さなくなってから、わたしは自由になったのか、それとも社会から外に追い出されたのかよくわからなくなるときがある。


「やめやめ。暗い気分になりそう。ねえ、それで何をするのかそろそろ話してくれてもいいんじゃない?」


「まぁ、そう焦らんと。楽しみは最後までとっとくもんじゃ」


「楽しみなのはあなただけでしょ」


 蛇ノ塚さんの言ってることが全然繋がらないんだけど、本当に大丈夫かしら。当の本人は自信満々で、それが余計にわたしを不安にさせる。


「ええか。なんでも形から入るんが大事なんじゃ」


 蛇ノ塚さんは多目的室のスクリーンを引っ張り出し、棚の鍵を開けてノートパソコンを出す。手慣れた動きから何度も先生の手伝いをしているとわかる。


 仁義だとか任侠だとか言ってるけど、会ったときといいわたしたちに協力してくれることといい、人の手伝いをしたり助けたりすることが好きなのに違いはなさそうね。


「そういうわけで今日はこれを見る」


 もう顔のにやつきが止まらない蛇ノ塚さんが大事そうに持っていたカバンから何かを取り出す。やや古臭く感じるパッケージのDVDのケースだった。


「これ、任侠映画?」


 昔はこういう映画が流行った時期があるって話は聞いたことあるけど、まさかカバンいっぱいに入っているのを見る機会があるなんて思っても見なかったわ。


「何事もまず形からじゃ。今日はこれを見まくるんじゃ」


「なるほど。まずは真似からってことだね」


「千尋を変な方面に引きずり込まないでよ」


 たった一日で千尋はやけに蛇ノ塚さんを気に入ってしまった。実際は違ったとはいえ、いじめの現場を見て真正面から止めに入る、っていうのはきっと千尋がずっと憧れてきた男の姿に近い。


 わたしがからかわれても頭を撫でて、手を握ることしかできなかった自分が嫌でしかたないのだ。わたしはそれだけで十分救われたっていうのにね。あの日の理想を抱いたまま、千尋は女の子になってしまったのだ。


「もしかしてその変な言葉も映画の真似なの?」


「何を言うとるんじゃ。任侠といえば広島弁は常識じゃろうが」


「やっぱりエセなんじゃない」


 戦時中からこの有松市に住んでいた一家なんだから、よく考えたら当たり前の話よね。蛇ノ塚さんはちょっとバツの悪そうな顔でわたしを見ているけど、すぐに手元に視線を落とした。


「ええい。まずは見てみい。そうすりゃ広島弁の魅力っちゅうんがわかるはずじゃ!」


「はいはい。期待してるわ」


 任侠だとか男気だとかは脇に置いておくとして、こうして友達と映画を見るなんていつ振りかしらね。そう思うと仰々しい音楽で始まった映画もなんだか面白そうに思えてきた。

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