TS娘をプロデュース
次の日は千尋の家には迎えに行かなかった。もしあのもう一人の千尋が本当に女装男子が好きだって言うなら、あんまりわたしが顔を見せない方がいいのかもしれないわ。
「おはよう。部活はやってないんだね。ちょっと探しちゃったよ」
「あなたは、黒羽根さんね。朝練は出なくていいの?」
「私は部員ってわけじゃなくて助っ人としてときどき参加してるだけだから」
下駄箱の並んだ昇降口の隅。廊下の段差に腰かけていた黒羽根さんがこっちに歩いてくる。当たり前だけど、わたしと同じで女子制服を着ている。少し長いスカート丈だと関節も隠れて本当に男の子には見えなかった。
「昨日は助けてくれてありがとう。その、あの後悪いと思ったんだけど、話をしてるの聞いちゃって。渡会くん、渡会さんの方がいいのかな? 大変だってことは噂で聞いてたんだけど」
恥ずかしそうに頬を掻く姿もかわいらしい。これはそうそう簡単にバレないでしょうね。
「わたしもまだよくわからないの。ただ千尋には言わないでいてほしいの。本人はモテる男になれば戻れると思ってるみたいだから」
「モテる男……確かに憧れるのはわかるなぁ」
「わかるの? 意外だったわ」
「私、スポーツとか何でも好きだったんだけど、あんまり筋肉とかつかない体質みたいで、中学から周りについていけなくなったんだよね。それで女の子の振りをしてスポーツクラブに通うようになって、それから戻るタイミングなくなって」
わたしは自分が女の子に生まれてほしかったと思っている。だから黒羽根さんも同じように女の子になりたいんだとばかり思っていた。
でもそれぞれ事情があるのよね。わたしだけが特別でも不幸なわけでもない。
「でも今のあなたも素敵なんじゃない?」
ポケットから出したスマホで不意打ちに写真を撮る。映し出された画面を黒羽根さんに差し出すと、驚いた表情が少しだけ和らいだ。
「気にすることなんてないわ。好きに生きればいいのよ。わたしがこの服を着てここにいることがなによりの証明なんだから」
「ありがとう。そう言ってもらえると自分のことに自信が持てそうだよ」
「わたしも同じようなものだからね。仲間同士よ」
それにしても画面に映った黒羽根さんの体、やっぱりきれいね。痩せるためや体形維持のためにする運動と違って、スポーツをやっている体って少し違う。うまく言い表せないんだけど、機能美というか、動ける筋肉のつき方ってなんだか不思議な魅力があるわ。
わたしや千尋はインドア派だからね。淳一もちょっと違うし、こういう魅力を見るのは初めてかもしれない。
「あ、そうだ。モテる男を目指すんだよね? じゃあ私が協力しようか?」
「どうやって?」
「モテる男と言ったらやっぱり筋肉でしょ! 割れた腹直筋。デカい大胸筋。キレてる大腿四頭筋!」
「そ、そうね」
変なスイッチが入った黒羽根さんは腕を曲げて力こぶを見せようとしてくれるけど、細い腕からは力強さは全然感じられない。
わたしの困った視線に気がついたのか、黒羽根さんは腕をおろして恥ずかしそうに自分の腕をさすった。恥ずかしいならやらなきゃいいのに。
「私、プロレスとか好きなんだ。あの筋肉の鎧でどんな攻撃もはね返す姿って絶対カッコいいよ!」
「言いたいことはわからなくもないけど、それ千尋に似合う?」
「そう言われると、ちょっと考えちゃうかな」
初対面の人に八割くらいは女の子と間違えられるあの千尋が筋肉モリモリマッチョマンになってる姿なんて想像もできないわ。第三次世界大戦が起きそうよ。
「でもでも、やっぱり筋肉は嘘をつかないよ。ほら、健全な精神は健全な肉体に宿る、っていうし二重人格のことも何かいいことがあるかも」
「そんなことで解決したら苦労しないんだけどね」
とは言っても、やっぱりモテたいっていう千尋のことを考えるならスポーツができて悪いことはないかも。プロレスラーまでいってほしくないけど、どこを見ても今の流行は細マッチョだしね。
「おはよう。何の話をしてるの?」
「あぁ、千尋おはよう。ちょっと黒羽根さんと仲良くなってね」
「そうなんだ。伊織はファッションとか詳しいから女の子との話題が多くて困らないよね」
「あぁ、そうね。あまり意識したことなかったわ。あ、そうだ!」
わたしにも千尋がモテるためにできることがあるってことじゃない。それに黒羽根さんも協力してくれるなら、さらにそれを進めることができる。
「なんか伊織が悪だくみしてる顔をしてる」
「別に悪いことなんて考えてないわ。むしろ千尋のためよ」
「僕のため?」
「そうよ。名付けて、千尋プロデュース計画よ」
わたしが女の子との接し方を教えて、黒羽根さんからスポーツを教えてもらって体を鍛える。実際にモテるかは置いておくとして、千尋の理想の男には近づけるはず。
そうすればこのよくわからない性転換ももう一人の千尋も状況が変わってくるはずだわ。
「そうと決まれば今日の放課後からさっそく実行しましょ。黒羽根さんもいい?」
「もちろんだよ。私がシックスパックまで全力で鍛えてあげるから!」
「えっとお手柔らかにお願いします」
ちょっと不安も残るけど、何かに打ち込んだ方が千尋も悩まなくて済むんじゃないかしらね。問題は打ち込むというよりも打ち砕かれそうなことなんだけど。
「伊織も一緒だよね?」
「え、なんで? わたしはちゃんとスタイル維持のために運動してるし」
「僕にだけあんな目が燃えてる人の相手させないよね?」
やるのは放課後の話なのに、黒羽根さんはもう腕を回して今にも校庭を走り出しそうな勢いになっている。
「わ、わたし今日はちょっと用事があるから」
「逃がさないよ」
私の腕にしがみついた千尋からもう一人のあの雰囲気を感じた。積極的になっているのはわたしが相手だからなのか、それとも性転換のせいなのかはよくわからない。
「はぁ、ケガだけはしないでよね」
やっぱり千尋から目を離さないようにした方がよさそうね。
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