髪を染めればモテますか?

 翌朝の寝起きもイマイチだった。昨日はあんなことがあったんだからしかたないのかもしれないけど。


「今日になったらやっぱり戻ってました、なんてないわよね」


 女の子になったのが急だったんだからまったくないってことはないんだろうけど、そんなに都合よくいくわけない。


「今日も迎えにいってあげようかしらね」


 もう一人の千尋が出てくるのは面倒だけど、千尋本人は不安だろうしね。いつもより日課を前倒し。でも朝ごはんはしっかりと。ストレッチも欠かさない。一日サボると取り戻すのに十日はかかる。きれいを持続するのは簡単じゃないわ。


 わたしはこんなに考えてきれいを守っているのに、千尋は全然そんなことを考えてなかったみたい。


 千尋の家の玄関をチャイムも鳴らさず開ける。それで怒られるようなことはない。むしろ目の前に入ってきた光景にわたしが怒鳴り声をあげる側だった。


「ちょっと千尋、何よその髪は!?」


「伊織。おはよう」


「おはようじゃなくて、なんでそんな目に痛いような金髪になってるのか聞いてるのよ」


「だってモテるならやっぱり金髪かなって」


 どれだけ偏った古い知識なのよ。そもそも千尋のキャラじゃないじゃない。まだ制服を着るのを渋っているのか、昨日と色違いのパジャマを着たままの千尋。その髪の色が違うだけで別の家に間違って入ったみたいな違和感がある。


 もしかしてウィッグじゃないかという淡い期待を胸に千尋の髪をなでる。でもやっぱり本物みたいだった。どうしようかと考えていると、お返しとばかりに千尋の手が私の結んだ髪をいた。


「伊織ちゃんの髪は真っ黒で艶があって素敵だよね」


「また出たわね」


「そんなに嫌わなくていいでしょ。僕だって千尋なんだから」


「いったい何者なの? 千尋が金髪になったのもあなたが」


「そんなわけないよ。千尋は僕のことを知らないし」


 そういえば千尋はこの子が出てきている間のことは覚えていないみたいだった。気がついたら髪が金色になっていたら、今日も朝から緊急事態の救助依頼が来ていたはずだもの。


「そんなことより、お迎えに来てくれるなんて嬉しいなぁ。学校なんて行かずにデートしない?」


「結構よ!」


 似合わない千尋の金髪に張り手をお見舞いする。きゃん、とあまり痛くなさそうな声を上げて、もう一人の千尋は帰っていった。


「なんで叩くの!?」


「そんな似合ってない色に染めてるからよ」


「だってモテたかったんだもん」


 髪を染めるだけでモテるならこの世界に非モテで悩む人なんていなくなるわよ。きちんと自分に合った身なりにしなきゃ意味がないんだから。


「もう染め直す時間もないし、今日はそれで行くしかないか」


 まぁ、急に女の子になったんだからちょっと混乱してるってことにすれば、一日くらいは何とかごまかせるわよね。


 男子制服を着ようとしている千尋を止めて、部屋にかかっていたセーラー服を着せる。モテる男になるのと制服は関係ないのよ。わたしが着せたいから着せるだけだけど。


「伊織は女子の制服着てるのにー!」


「わたしだって最初は男子制服着てたでしょ。他のクラスメイトを説得してみれば?」


「僕じゃ絶対できないってわかってるくせに」


「モテる以前にその人見知りをなんとかした方がいいんじゃない?」


 わたしと淳一くらいしかろくに話さないじゃない。昔女の子みたいってからかわれたのが今でもトラウマで千尋は自分から声を出すのが苦手なままだ。


 それに比べるとあのもう一人の千尋は真逆の性格って感じがする。今のところわたしの前でしか出てきていないことを考えるとあんまり変わりないのかもしれないけど。


「それは、ちょっと無理かも」


「まぁ、そのうちできるようにならなきゃね、モテたいなら」


「変わる! 変わるよ。絶対男に戻るんだから」


 千尋のこえはだんだんとしぼんでいく。この様子じゃ当面男の子に戻るのは無理そうね。わたしはその間にたくさん写真が撮れそうだから悪い気はしないけど。


「さ、学校行くわよ」


「まだちょっと早くない?」


「佐藤先生に千尋が金髪にしたこと報告しておくのよ。根回ししてもらわないと」


「伊織はそういうところで頭が回るよね」


 きちんと考えていないと大人相手に一人で仕事をするって難しいのよ。騙されないようにいつも考えておかないと足元すくわれちゃうんだから。


 わたしは尊敬の眼差しを送る千尋を連れて学校に向かった。


「大丈夫だったの? 佐藤先生すごく嫌そうな顔してたけど」


「大丈夫よ。アルコールっていう人質がいるんだから」


 朝の保健室を出て、わたしたちは教室に向かう。


 千尋が女の子になった混乱で勢いに任せて髪を染めてしまった。精神の安定のためなので少しの間はこのまま様子を見るということになった、と言い訳を作ってもらった。


「わたしとしては早く黒髪に戻しちゃいたいんだけど、その方が説得力があるとか言い出すし」


「僕はこのままでいいんだけど」


 そう言いながら、千尋は朝日を受けて輝く金色の髪を一ふさつまんだ。やっぱり純朴そうな千尋の顔には似合ってない。


「ダメよ。千尋はもっと清純派な感じの方がいいんだから」


「そんなことないよ。僕だってこういう髪が似合うカッコいい男になるんだから」


 キメ顔で髪をかきあげているけど、背伸びしている子どもにしか見えない。


 千尋の心の中はわかっている。わたしへのちょっとした抵抗なんでしょ。今の千尋はわたしがなれない本物の女の子。だからってただのマネキンみたいに着せ替えられるのは納得いかないのだ。


 そういうことをするからいつまで経っても男らしくなれないのよ。いじけてちょっとしたいたずらをするのはかわいらしくていいと思うけどね。


 すれ違うたびに注目を集めるせいですっかりわたしの背中に隠れてしまった千尋をかばいながら教室に向かうのだった。


「というわけだからみんなも気にしないように。特別措置だから他のやつらは便乗して染めるなよー」


「はーい」


 朝一番のホームルームで担任から釘を刺される。千尋が原因で学級崩壊になんてなったら千尋のトラウマがまた一つ増えちゃうわ。今度SNSに黒髪のアレンジでも載せておこうかしらね。そうすれば少しは効果もあるでしょ。


「かわいいね、千尋くん。ううん、千尋ちゃんの方がいい?」


「あ、えっと。僕もよくわかんなくて」


「どっちでもいいならやっぱり千尋ちゃんだろお!」


「黙れ、男ども!」


 いつも以上に周りに囲まれてるわね。ただでさえ性転換なんてトラブルに巻き込まれたのに、そこに学校に一人しかいない合法金髪が加わればしかたないわね。


「いいのか、助けてやらなくて」


「モテる男になりたいらしいからいい訓練になるんじゃない?」


 もみくちゃにされる千尋を遠目に眺めていると、同じように見物に来た淳一が私に声をかけた。


「あれはモテるの内に入らないのか?」


「どうみてもおもちゃでしょ」


「まぁ確かにな。昔みたいにからかわれるよりはいいんじゃないか」


「そうね。千尋もちょっとずつ変わってるのよね」


 いつかもう一人の千尋みたいに自分から積極的に話す千尋が見られるのかしらね。あそこまで前のめりになられても困るんだけど。


「それに今のところわたしだけだしね」


「何のことだよ?」


「何でもないわ。こっちの話よ」


 そういえば淳一の前には出てこないわね。少しだけ不安を残しながらわたしはそろそろ千尋を助けてあげようと腰を上げた。

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