第5話 それ、僕の頭です。イテテテテ、ギブギブギブギブ

『これは現実的な問題なのですよ!』

『そうは言っても、彼だけのためにこのような法案を通すなどということは言語道断です!』


 この市議会がこれまで白熱したというのはいままでの歴史上なかったことだろう。議長を務める古参の議員もこんなことになるなんてという顔を中継にさらしてしまっていた。


『治安問題が絡んだ特例ですので、個人を特別扱いすればよいのではないかと言っています』

『プライバシーの問題があります。それに彼の家族だと判明したらその子にも危害が加わる恐れがあるでしょう!』


 治安問題というのはどの町にとっても優先順位がかなり高い。安全に住むことのできない町に住みたいと思うものはほとんどいないのだから。特に昨今は怪人の発生問題が顕著になってきたこともあり、すぐさまにヒーローたちが駆けつけてくれる町というのはステータスの一つでもあるくらいだった。

 逆に緊急事態となれば個人の権利などという野生においては本来あるはずのないものが効力を失う。緊急事態にのみ権力をふるうことを許されている公的機関にとって、規律と秩序がなによりも必要であった。

 そのために住民との衝突というのもしょっちゅうのことである。たいていが公務執行妨害が適応され、その証拠提出のために警察機関は常にドライブレコーダーならぬ怪人レコーダーを装備して勤務にあたっていた。


『特例でもなんでも構わないのではないでしょうか。市民の安全というのが全てにおいて優先されると私は考えますが』

『安全を優先するあまりに彼個人のことをないがしろにしろと言うのですか!?』




「あー、市議会が大変なことになってますねえ」

「うるさい、言うな」

「じゃあ、テレビ消します?」

「馬鹿野郎、つけておけ」


 会社の休憩室でテレビを見ているのは黒木と青田だった。それを見て僕は自分で入れたインスタントコーヒーをすすった。自業自得とはこのことだと、ざまあみろと思いながら市議会中継を眺める。


「これ、本当に大変なことになりましたねえ」

「言うな」

「まさか定時レッドが定時前に帰る理由を社長がばらしてしまうなんて」

「……言うな」

「ちーちゃんの通う小学校の1年生が、1学期は15時半下校だなんてねぇ」

「…………言うな」

「確かにあの保育園は17時までお預かりしてくれてましたけど、小学校は意外と下校が早いですからねえ」

「…………もう、言わないでください。お願いします」


 ちーちゃんの下校が1学期は15時半、それ以降は16時ごろなのだ。ならば、家にかえったちーちゃんを一人にさせるわけにはいかないので、僕も帰るのは当たり前である。一人でいて何かあったらどうするんだ。それにお腹を空かせているかもしれないし、宿題もみないといけない。


「それを会見でぽろっといっちゃうもんだから」

「言うなって言ってんだろおぉがぁぁぁぁぁああああ!!」


 黒木がやらかしたのは先週のことである。15時半になって戦闘中の全ての怪人をやっつけて後片付けもせずに撤収しようとした時に、追加の怪人が出たのである。もちろん僕はそんなの知らないので、当たり前のように後をまかせて撤収したわけだが、まだ定時じゃないのに定時レッドが帰ったとマスコミが騒ぎ出したのだ。

 珍しいことに追加の怪人は後から合流した黒木の必殺技「リボールケイーン」で倒すことができ、機嫌がよかったというのが災いした。


「あ、一時的なものです。TAISレッドはすぐにいつもの勤務に戻りますよ。2学期になったら1年生の下校時間が遅くな……あっ」


 もはや、「あっ」とか言っている時点で認めてしまったようなものである。その日の号外新聞は「定時レッドの定時は子供の下校時間だった!」の一面だった。ご丁寧に昨年度の市内の5時まで預かってくれる保育園のリストまで添えた新聞まであった。


「本当にこの法案が通ったらどうするんですか!?」

「だから頭を抱えているんだろぉが!」

「それ、僕の頭です。イテテテテ、ギブギブギブギブ」


 黒木が青田の頭をヘッドロックしながら泣きそうになっていた。されている方の青田も泣きそうである。僕は関係ないので無視することにした。


『全ての小学生の下校は5時までとすれば、解決するのですよ!』

『あまりにも乱暴すぎる!』


 市議会の議題は「(定時レッドの定時を元にもどす、あわよくば伸ばすために)小学生の下校時間を遅らせることの提案」である。なんて市議会なんだとも思う。


「はー、なんなんですかね」

「赤井ぃぃぃぃいいい!! お前のせいでこうなってんだぞ!」

「僕じゃなくて社長が記者会見でやらかしたせいです」

「うるさぁぁぁぁああああい!!」


 どうすることもできずに黒木は泣き崩れた。しかし青田の頭を離さないために青田がずっともがいている。さすがにテイズブルーとは言え、ヘッドロックが首絞めになったら数分間くらいしかもたないのではないだろうか。労災申請できたらいいな。


『番組の途中ですが怪人警報です。市民の皆さんは屋内へと非難して警報が解除されるまでは外にでないでください』


 テレビの画面が切り替わると同時に警報がなった。


「赤井! 行ってこい!」

「はいはい、分かってますよ」


 僕は急いでインスタントコーヒーを飲み干すとカップをすすいで、スポンジに洗剤をつけて、口をつけた部分を念入りに……。


「そんなんは誰かにやらせてさっさと行けぇぇl!!」

「でも、ここに置いてても誰も洗ってくれないんだけどなぁ」

「分かった、俺がやるから!」


 僕は社長の黒木が僕の飲んだインスタントコーヒーカップを洗い始めるのを見届けてから、現場へ向かうことにした。スポンジに洗剤をつけすぎだけど、まあいいか。



『本日初めての怪人警報です。時刻は14時半です。この時間帯ならばTactical Action In Systemから定時レッドことTAISレッドが出動するものと思われます』

『ちなみに本日はすべての小学校の下校時間は早くても15時半だとの知らせが入っています。市民の皆様はご安心ください』

『今回出現した怪人は蜘蛛がベースとなっているようです。 しかし、それは日本でみることのできる一般的な蜘蛛のイメージとは違い、蜘蛛の糸で巣を張るものではなく、俊敏な動きで獲物を狩るタイプの蜘蛛ですね』

『あっ、定時レッドが現場に到着しまし……怪人は討伐されました! 警察が討伐証明を確認し次第、警報は解除されます。市民の皆さんはそれまで念のため屋内で待機してください』


 僕は現着すると同時に怪人を殴りつける。いくら俊敏な動きができると言っても、掴んで逃げられないようにしてから殴れば一緒である。そして急いでいるのは理由がある。


「青田、後は任せたぞ。今日は個人面談の日だから。 15時には小学校に着いていなきゃ」

「あっ、そういえばそうでしたね」

「ではっ」


 そしてそんな日に限って、追加の怪人が出るのはお約束である。



「なんか、今日もかいじんが出たって、先生が言ってた」

「そうなんだね」

「パパ? ちゃんとやっつけた?」

「やっつけたよ。 パパはきちんと仕事はやる男だからね。 仕事はね」


 市議会では小学生の下校時間を遅らせる法案が通りそうということだった。僕がそのニュースを聞いたのは家に帰ってテレビをつけてからである。



「ねえ、隣の市だと小学生は午後5時まで学校にいなきゃならなくなったらしいわよ」

「そうみたいだね……あっ、醤油取って」

「はい、……いいの? これ和也のせいでしょ?」

「知らないよ。 それに僕のせいじゃない。 黒木のせいだ」


 今日の夕飯もハンバーグだった。嫁も帰るのが早くて三人一緒に食べることができたのだ。それはささやかではあるけど幸せなことだろう。


「ママ、トマト残ってるよ?」

「えっ……、まあいいじゃない。 ちーちゃん食べる?」

「お残しはダメだってパパが言ってたよ」

「……はぁい」


 娘のためにも一切れは食べろよと言っておいたのが良かった。美和もトマトを食べて、これでちーちゃんもいつの日か人参を食べる日が近づいたのではないだろうか。


「ちょっと、和也もグリンピース食べなさいよ」

「僕が食事を作っているのだから、そんなものが食卓に出てくる日は絶対にこないね」

「分かった、今度は私が作るわ」

「もし、グリンピースが食卓に上ったのならば、離婚届と同じだからね」


 絶対にそこは譲らない。だから僕は今日も夕飯を作るのだ。


 ちなみに Tactical Action In system が活動しているのは隣の市で、怪人警報が出た場合にはこっちも一緒に警報が出るけど、いくら市議会が小学生の下校時間を遅らせようがちーちゃんには関係ないというのを知っているのはごく少数だけだったりする。


「社長に言わなくていいの?」

「あ、黒木は知ってるよ? だから、市議会議員になんて説明すればいいのか頭を抱えてるんだって」



 明日も僕は15時半になったら仕事を終える。だって、ちーちゃんの下校時間だしさ。

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