第2話 目から涙がすっと枯れた。それはもう見事に。
「黄池さん、カレーでも行きましょう」
「すまん、青田。赤井さんが公私混同するやつはプロじゃないって言ったから、俺はプライベートでカレーは食べないことにしたんだ。カレーを食べるなら昼に食堂で誘ってくれ」
「ちょ、赤井さん、なんてことを……」
午後4時53分、もうすぐ業務時間が終わろうという時間帯だった。今日は怪人警報も出ない平和な日である。訓練も終わり、後は午後5時になるのを待っている時間帯だった。
「赤井君、ちょっといいかぁい?」
「社長、7分以内でお願いしますね」
僕は腕時計で時刻を確かめる素振りをしてから黒木に答える。後7分で定時なのだ。あ、あと6分になった。
「あの件だけど、考えてくれたかなぁ?」
「ええ、考えましたがお断りします」
「そんな事言わないでよぉ~」
「そろそろ定時ですので、着替えの時間です。それでは」
「ちょっと、まっ……まだ5時じゃないじゃない」
「ええ、5時には退社いたしますので、今のうちに着替えておかなければ間に合いません」
黒木は下手に出る時に口調が気持ち悪くなる。それもパワハラの一種だとは思うが訴えた所で一文の得もないために僕はロッカールームに駆け込んだ。すでに退社の準備は整っており、素早く私服に着替える。
「お疲れ様でした」
「あ、赤井さんお疲れっす~」
「お疲れ様です~」
同僚たちが退社する俺を見送ろうとするが、黒木がそれを遮った。
「待てぃ!」
「待ちません、お疲れ様でした」
がつっと僕の肩をつかもうとする黒木。しかし、すでに変わり身の術は発動済みで、身代わりになった青田がきょとんとしている。その間に俺はタイムカードを通して退社のボタンを押した。
「おっと、保育園に急がなければ」
遅れるとちーちゃんがまた拗ねたふりをしてお菓子を買おうとするからな。足早に僕は会社を去った。
***
「くそぅ! また逃げられた!」
orzの状態会社の床をどんどんとたたきながら黒木が叫んだ。社長がそんな状態であるから、他の社員はできるだけ近寄らないようにしているけど、黒木の反対の手は青田の足をつかんではなさなかった。両手を離した状態でorzするという無駄に腹筋力を使う状況だったが、アクショ忍テイズブラックならば簡単にできることである。
「青田! 飲みに行くぞ! 7時に下に集合だ!」
「えぇっ!?」
立ち直った黒木の第一声がそれである。ちなみに現在は午後5時3分。社長室へともどった黒木が今日の分の仕事を終わらせようと書類仕事に入った。
「ちょっ、もしかして僕はこれから2時間も待機ですか?」
「お疲れ、青田」
横をすっと緑川が通った。彼は青田を見捨てて逃げる気である。すでに黄池はタイムカードを通すところだった。
「えっ! 俺だけ! そんな!」
しかし、誰からも返答はない。すでにこの状況を予想していたかのように黄池も緑川も報告書はすべて終わらせていたのだ。終わっていないのは青田と黒木と……。
「あっ、桃江」
「なんで見つけるんですかっ!」
一番下の女性社員桃江である。青田はさぼっていたために書類ができていないだけだが、桃江は本気で今までかかってようやくできるかできないかというところだった。
「7時までに終わらせろよ、下に集合だってさ」
「ちょっと先輩、なんで私がいくことになってんですか!?」
「それは俺が先輩でお前が後輩だからだ」
「パワハラ!」
「そしてこれからアルハラもあるから覚悟しとけ」
「ぎゃー」
結局、桃江が書類を提出できたのは午後6時30分頃で、午後5時20分に提出しいた青田はずっと桃江の指導をしなければならなかったという。
***
「だから、あいつに常務をやってもらえればな、役員待遇になるじゃねえか」
「ええ、それで時間外報酬なしで午後5時以降も怪人退治に付き合ってくれるってわけですよね。もうここに入ってから7回聞きました」
「まだあと10回は聞けぇぇぇぇぇ」
完全なアルハラを受ける青田を横目に、桃江は追加のペペロンチーノとカルアミルクを頼む。さすがにアルハラといってもここは黒木のおごりだった。遠慮なく頼む桃江を見て、黒木はなぜか逆に機嫌が良くなっている。娘がご飯を食べている感覚なのだろうか。黒木には娘どころか嫁もいないが。
「でも本当に赤井さんいないと僕らの勝率は2割ってところですからねえ」
「そうだっ! お前ら、もっとしっかりしろよ!」
「ちなみに赤井さんいない場合っていうと、社長がいる場合ですからね」
「だって、あいつ時間外報酬ださねえと怪人退治してくれねえじゃん!」
「出せばいいじゃないですか」
「出せるか! うちの会社が経営厳しいのはお前らがよく分かってるだえろ」
だえろ、ってなんだよと思いつつ青田は濃いめのハイボールを飲んだ。濃いめを頼んだ理由はちょっとかっこつけただけだが、普通のにしておけば良かったとすこし後悔もしている。
「たしかに、赤井さん引き抜いただけでもかなりの出費ですからね。僕らとは基本給が違いますから」
「まあ、なんだ、その……それで成り立ってるところもあるけどな」
歯切れが悪くなった黒木に青田は少し同情した。確かに赤井がいなければこの会社は回ってない。時間内の怪人討伐率は業界トップなのだ。
「でも、赤井さんはよくこんな会社に入ろうと思いましたよね……あっ、すみません!」
桃江がしゃれにならない一言をぶつける。黒木が酔っ払ってなかったら給料に影響しそうな一言だった。
「うるせぇ! 俺だってその辺は赤井に悪いと思ってんだよ!」
「いやしかし、本当によく引っ張ってこれましたよね」
そうなのだ。赤井ことテイズレッドはもともとこの会社の人間ではない。社長の黒木がヘッドハンティングしてきた人間だった。
「もともとどこの戦隊にいたんですか?」
警備会社の人間は基本的にプライベートを知られるとまずいことも多いために、かぶり物をつけて怪人と対決することがほとんどである。会社の多くはただの警備員であるために、青田たちは総務課に所属していることになっていた。
「カメレオンライダー」
「…………え?」
「だから、カメレオンライダーのエグゼクトだよ」
「ええぇぇぇぇぇえええええ!!!?」
青田の声は居酒屋中に響いた。すぐに黒木と桃江が他の客に向かってすいませんと頭を下げる。もともとそれなりにうるさかった居酒屋の中はすぐに元通りに戻った。
「エ、エグゼクトって、あれですか?」
「ああ、あれだよ」
「すげぇ、業界最大手じゃないですか」
(株)カメレオンライダーはこの業界ではもっとも人気のある会社だった。特に近年はライバル会社だった(株)ウルオ虎マンに差をつけてきている。(株)Tactical Action In Systemなんていう弱小とは規模の違う会社であり、そのカバーする範囲も桁違いに広い。
そんな中でも近年カメレオンライダーが力を入れていたのがコーガというライダー(カメレオンライダーでは対怪人用警備員の事をライダーと呼ぶ)であった。ただし、他のライダーとちがってコーガは一人で戦闘をするわけではなく、チームを組んでいたのである。
しかし、コーガは人気が出なかったために最終的には警備範囲を他のライダーに大きく取られてしまったのがこの1年くらいの流れだ。
そして、そのコーガの仲間の一人だったのがエグゼクトである。
「いっつも、コーガがくるまで怪人にとどめを刺すなって言われ続けてたからなぁ」
「たしかに、不自然でしたもんね」
「業界の人間なら、すぐ分かるわ」
エグゼクトはそれなりに人気があった。ただし、いつも怪人にとどめを指すのはコーガの仕事であり、カメレオンライダーもそのように仕向けて宣伝していた。いつの頃からか、エグゼクトは出会い頭に怪人を瀕死状態にしておき、コーガが来るのをあからさまに待つようになったのである。そして、いつしかエグゼクトはカメレオンライダーを解雇されていた。
「解雇じゃねえ、引き抜いたんだよ」
「エクゼクト、時間外の仕事多かったですもんね」
「ああ、いつも嫁さんに負担をかけてたって。嫁さんも仕事したがってたけど、ちーちゃんの世話を全部押しつけて申し訳ないって言ってた」
「へー、そんな事がねえ……って、桃江!?」
いつのまにか桃江が号泣していた。そっとトイレに立つ黒木。事情を知らない人からすると青田が桃江を泣かしているようにしか見えない。
「ちょっ……な、泣き止もうね。もういい大人なんだから」
「えぐっ、えぐっ……赤井さん、かわいそう……」
どう声をかけていいか分からずに青田がおろおろとしていると、スマホが鳴った。桃江のスマホも同時にだ。それを見て、二人は事態を把握する。桃江の目から涙がすっと枯れた。それはもう見事に。
「おら、お前らいくぞ! あ、お会計お願いします」
トイレからスマホを握りしめた黒木が飛び出してくる。青田はそれをみて、黒木が手を洗ったのかどうかが気になった。
「赤井さん? お休みのところしつれ……あぁっ! 切らないで!」
今日も(株)Tactical Action In Sysytem 所属、アクショ忍は出動する。時間外であるために定時レッドは来ないけれど。
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