ちーちゃんとパパの日常

本田紬

第1話 娘は無情にもスマホの通話を斬った

「パパ、遅い!」


 保育園に迎えに行った時に娘に言われたのがこの言葉である。ほんと、情けない。先生もおもわず苦笑いするくらいにうちの娘はマセている。ちなみに僕が遅刻したのは三分だけだ。


「せんせい、バイバーイ」


 さっきまで父親を叱っていたとは思えないほどの笑顔で僕に抱かれた娘は先生に手を振っていた。これから自宅に帰るのであるが、今日のご飯はどうしようか。これが僕らの日常である。


「ちーちゃん、ハンバーグたべたい」

「昨日もハンバーグだったよね」

「たべたいの」

「じゃあ、ニンジン混ぜてもいいかい?」

「や!」


 夕方の五時、今日はまだ夕日が落ちていくのが遅いようだ。徒歩でスーパーの駐車場に入ると娘はいつも走り出そうと地面に降ろしてくれとせがむ。でも、駐車場はまだ危険だから僕は娘を放さない。車が入ることのできない入り口付近になるまでじたばたともがく娘を優しく押さえつけるのがいつもの事だった。


『緊急警報は解除されました。繰り返します。緊急警報は解除されました』


 町のいたるところに設置されているスピーカーからアナウンスが聞こえてきた。そうか、まだ警報は解除されていなかったんだな、と僕は失敗した事を自覚した。


「パパぁ~?」

「ごめんごめん、でも大丈夫だよ。もう解除されたって」

「けいほうが出ているあいだは、おそとに出ちゃだめなんだって、パパが言ったんだよ」

「そうだね、ごめんね。でも、パパは警報が解除されるのを知ってたんだよ」

「いいわけしない!」


 その手におもちゃ付きのお菓子を持って娘が言い切る。僕に対する罰だとでも言うかのごとくそれをかごに入れた。なんてしっかり者なんだ。

 母親に似て細い黒髪をキャンディーのようにくくってそれぞれリボンをつけている。これは僕がしてあげられる髪型がこれとポニーテールの二種類だけだからだ。大きくなったら他の髪型にも挑戦しないといけないかもしれない、三つ編みとか。


「ちーちゃん、ハンバーグ食べるんだ」


 娘が精肉売り場のおばちゃんに話しかける。それに対して満面の笑みで返してくれるおばちゃん。僕もそれを見てほっこりしながらも牛と豚の合いびき肉を手に取った。今日は娘にばれないようにニンジンを入れる割合を少な目にしようか。昨日もばれなかったし大丈夫だろう。


「おうちに帰れるようになって良かったね」


 おばちゃんは娘の頭をなでるとそう言った。そして僕のほうにも笑顔を向けてくる。


「今日もテイジレッドがあっという間に」

「ええ、そうみたいですね」



 テイジレッドではない。

 TAIS(テイズ)RED、Tactical Action In Systemsというよく意味の分からない名前の警備会社に所属するヒーローである。


 さきほどの緊急警報は町に怪人が現れたという警報だった。 テイズレッドはそれをすぐに倒した。午後四時五十分のことである。警報が解除されたのがさきほどの午後五時半頃、暴れていた怪人の完全な確保および他に怪人がいないかを確認してからの解除となるためにどうしてもすぐに解除するわけにはいかないが、警察としては迅速な対応だろう。


「警察も頑張っているけど、テイジレッドにはかなわないわね」

「ええ。そうですね」


 だからテイズレッドだと。でも僕は口にだして反論したりしない。おそらくはおばちゃんもテイズレッドが本当の名前だと知っているのだ。



 アパートの階段を娘が駆け上がる。このくらいの時間帯ならば大きな足音をしても誰も文句を言わない。深夜帯に同じ音をたてるとすぐに大家さんからの苦情がくることだろう。


「危ないよ、こけないようにね」

「はぁーい」


 ここ最近の娘の流行はドアの鍵をあけることだ。僕に鍵をわたすようにと手を差し出してくる。ズボンのポケットの中から鍵を取り出して渡すと娘はアパートのドアを開けた。鍵は僕には返さずに玄関の靴箱の上に置く。僕がいつもそこに置くからだ。

 

「靴は揃えてね」

「はぁ~い」


 アパートの中に入ると娘は蛍光灯のスイッチを入れていく。いつもの光景だった。脱ぎ散らかされた幼稚園の制服と鞄を回収しつつ、スーパーで買ってきた食材を冷蔵庫の中に入れる。すでに娘はテレビの電源をいれ、自動録画されていたアニメを見始めていた。教えた記憶は皆無だが、いつの間にかできるようになっていた娘は天才かもしれない。

 ちなみに娘がスーパーでむりやりかご入れたおもちゃ付きのお菓子は、思い出されないうちに棚の上にしまっておく。


 米を炊飯器にセットした後にハンバーグ作りを開始する。人参を細かくすりおろして入れるのも慣れたものだった。付け合わせのトマトとレタスはマヨネーズがあればなんとか食べてくれるけど、人参の姿が見えたら何があっても食べてくれなくなるからすりおろすのだ。


「ねぇ、パパ」

「なんだい?」

「パパ、ちゃんとお仕事しないとダメでしょ!」


 なんのことだろう? 僕はきちんと仕事を終えて幼稚園に君を迎えにいったのだけど? 僕が返事をしないのを見て、娘はぷんすか怒りながらテレビの方を指さす。


「かいじん!」


 気が付けば娘はアニメを見終わっていたらしい。地上波に切り替えるとそこにはまたしても怪人が出たというニュースがあった。


『本日二度目の怪人警報です。市民の皆さんは外出を控えて警報が解除されるまで家の中にいてください』


 ナレーターがそう告げる。テレビの中では他にもコメンテーターなどが怪人出現についてなにやら専門的な言葉を使って説明しているようだった。


「かいじん、やっつけてきて」

「ハンバーグできなくてもいい?」

「……はんばーぐ、たべる」


 これから焼くハンバーグのタネをみせると娘は黙った。

 味噌汁はインスタントだけど、豆腐を追加で加える。そうすると僕には冷奴の小鉢が追加される。最近のマイブームは鰹節とごま油に岩塩をまぶしたもので食べる冷奴だ。娘は冷奴は食べない。

 二つ用意した皿にレタスとトマトを切って並べた。もうちょっとで御飯が炊けるというのを確認して、フライパンに油をしく。


『prrrrr prrrrr prrrrr』


 スマホが鳴った。僕はその発信者を見て、無視してタネをフライパンに載せた。ジュゥゥゥゥという食欲をそそる音がする。タネの真ん中は膨らむからできるだけ薄く凹ませておくのは忘れない。


「パパ! スマホ!」

「あっ!」


 僕は全く出るつもりがなかったのに娘が僕のスマホに手を出した。止めようにも僕は現在ハンバーグと格闘中である。


「もしもし、ちーちゃんです」

『あっ、ちーちゃん!? 青田のおじちゃんだよ! よかった、パパに代わってくれる?』

「いいよ!」


 娘はスマホを僕に突き出した。通話画面いっぱいに「青田」の文字が……。頭痛がしてきた。両面に焼き色がついたハンバーグの周囲に少しだけ水をいれて蓋をする。


「パパね、今ハンバーグ作っているか……ら……手が離せな……」


 僕がそう言っている間に娘はスマホの通話画面のマイクのボタンに触れる。教えたことはないのにできるとは娘は天才に違いない。


『赤井さん! お休みのところすみません!』

「お休み中なのでまた明日にお願いします」

『そんな事言わないで!』

「では失礼します」

「しつれいします!」

『あー! ちーちゃんケーキ食べたくない!? あとでおじちゃん買って行こうかなぁ~?』


 通話を切ろうとしていた娘の指が止まった。


「ちーちゃん、ハンバーグ食べないの? ケーキがいいの?」

「ちーちゃんハンバーグたべる!」

『あぁぁ! ちょっ…………』


 娘は無情にもスマホの通話を斬った。残念だったな、青田。


 御飯が炊きあがった音が炊飯器からした。ハンバーグもちょうどよいくらいに焼きあがったようだ。フライパンの蓋を取ると水蒸気が立ち上がった。良い感じに換気扇に吸われていくなぁと思いながらハンバーグをひっくり返してから竹串でつつく。肉汁の感じがちょうどいいことを告げていた。


『おなじみの光景が繰り広げられています! 午後5時を過ぎてしまったテイズ戦隊アクショ忍! アクショ忍ブルーの必死の祈りも届かなかったのでしょうか! 他のメンバーも怪人の前になすすべなし!』

『あの感じだと断られましたね』

『この時間帯、苦戦するたびに戦闘中にスマホを取り出すのがおなじみになってしまったテイズ戦隊アクショ忍ですが、定時レッドことテイズレッドがいないと本当に使い物になりません!』

『しかし、定時レッドは絶対に定時で帰りますね。何か理由があるのでしょうか?』


 テレビでは怪人と戦うヒーローたちが中継されていた。ナレーターのかなりひどい言葉が意外にもウケているというのだから平和なものである。


「御飯できたよ。食べよう」

「いただきまぁーす!」


 娘と二人で両手を合わせていただきますをする。箸でハンバーグを割ってみるが、きちんと火が通っているようだ。少しだけ食べてみると良い具合で出来上がっているのが分かる。娘はデミグラスソースよりもケチャップが好きだから、ハンバーグにはケチャップがかかっている。自分でかけたいというから任せているけど、だいたいかけ過ぎになってしまっている。


「おいしぃ~い」

「良かったね」


 味噌汁と付け合わせ、それから冷奴を先に食べる。娘はハンバーグに夢中ですぐに食べきってしまった。


「じぃぃぃぃぃぃ」

「野菜を全部食べたら少し分けてあげる」

「ほんとう!?」


 いつものパターンである。娘はハンバーグの時は僕の分も食べたがる。付け合わせの野菜を食べるという約束で僕の分を分ける。そのためにいつも僕はハンバーグを最後まで残している。


「御飯と味噌汁は半分でもいいからね」

「うん!」


 口の周りをケチャップで汚した娘の顔をみて、僕は幸せを感じた。


『おおっと、テイズ戦隊アクショ忍! 最後のアクショ忍イエローが倒れた! 同時に警察の機動部隊が突入します! けが人が出ないことを祈るばかりです!』

『やはり駄目でしたか』

『これで定時レッドがいない場合の勝率は3割を切りました』

『怪人には時間内に出現して欲しいものですね』

『そうですね。引き続き、Tactical Action In Systems本社での記者会見の模様を同時中継します。今回の失敗に対して社長であるアクショ忍ブラックのコメントに注目があつまりますが……』

『テイズレッドに時間外報酬を払うつもりがないのではという疑惑を追及するしかありません』

『いずれにしても株主総会が来週に控えるこの時期の敗退はアクショ忍ブラックにとっては痛いものとなったでしょう』


 お腹いっぱいになった娘はまたしてもアニメが見たいようである。僕は食器を片付けるまえにお風呂を入れることにした。


「ちーちゃん、お風呂に入る前に歯磨きしてね」

「はーい」


 アクショ忍ピンクの歯ブラシで歯を磨きながら娘はアニメを見ている。うがいをする度にアニメを一時停止してから洗面台へと向かうのだ。僕は食器を片付けて、冷蔵庫からビールを取り出した。


「さてと……」


 パソコンの画面を開く。インターネットでは、先ほどの怪人の速報がすでに出ていた。警察の機動隊がなんとか制圧に成功したらしい。死亡者はなし。二名ほど負傷者が出たと書いてあり、現場の写真がすでにアップされていた。お仕事ご苦労様です。


「ふーっ」


 ため息を吐く。お風呂が入ったと報せる音楽がなるけど、娘はアニメに夢中である。あれは当分入ってくれそうにないなと思いながら、僕はビールを飲んだ。


「だって、保育園に迎えに行かなきゃならんし。あのブラック会社、時間外報酬出ないし」


 嫁が仕事から帰ってきたのはそれから10分後だった。ハンバーグを食べる顔が娘そっくりだっつーの。

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