星に願いを、また会えますようにと

樹一和宏

星に願いを、また会えますようにと

 空、いや、宇宙を見上げていた。

 山奥で見上げるそれは「黒」という単純な言葉では表現しきれなかった。黒なのに光り、されど「光」という単純な言葉でも表現しきれない星の瞬き。ビーズを真夜中のプールにばらまいたように、奥行きをもって色とりどりの鮮やかさを放つ。

 青空をキャンパスと例えるなら、眼前に広がるこの光景はさながら、水彩アートだった。

 これだけでも夜中に連れ出された意味が充分にあったが、目的はそれではない。


「あっ!」


 一瞬の光に思わず声を上げた。それを皮切りに、次々と白い閃光が夜空を泳ぎ出す。

 数百年に一度の流星群。


のぞむ、流れ星が流れている間に願い事を三回唱えると願いが叶うんだぞ」

「マジで!?」


 お父さんの言うことを信じた俺は指を絡めた。


「宇宙人に会えますように。宇宙人に会えますように。宇宙人に会えますように」

「プッ、何だよその願い事」


 お父さんが馬鹿にしたように笑ってきたので、ふくらはぎを叩いてやる。


「こっちは真剣なんだぞ!」

「はいはい、悪かったな」


 深夜十一時。最後の一滴が流れ切るまで、俺とお父さんは宇宙を見上げていた。


 ※


 文化祭二日前とあって、校舎内の至る所から青春を謳歌する薔薇色の声が聞こえてくる。浮き足だった雰囲気が、そんな気分じゃない俺の目に染みる。

 皆が文化祭の準備に明け暮れる中、一人英語教員の元へ向かう足が重かった。


 ……何でこんな日に。


 廊下ですれ違った生徒が、こんな話をしていた。


「明後日の文化祭の時、流星群が流れるらしいぜ」

「あ、それテレビで見た。でも昼間だから見れるかどうかは微妙なんだろ? 確か」


 耳に入ってきた流星群という単語が頭の中で反芻する。

 十年前、流星群を見た。数百年に一度の奇跡的なものらしいが、当時七歳の俺にはその奇跡の価値は分からなかった。

 何を思って、どうやって見たのかも思い出せない。朧気に思い出せるのは、お父さんと山奥で、という断片的な記憶だけ。

 流れ星が流れている間に願い事を三回唱えれば願いが叶う…… だっけか。

 当然今ではそんなこと信じていない。高校生にもなって、そんなことを信じている奴はきっとサンタの存在もしているだろう。

 でも今の俺は現実を知ってしまっている。手を伸ばせば届きそうだったあの月に行くまでに、英語をマスターして科学系の博士号を取得して社会経験が三年以上必要だということを知ってしまっている。

 宇宙は、焦がれるだけでは絶対に手が届かない位置にあるのだ。

 手に持ったプリントをもう一度確認する。


もちづき望 英語中間テスト 29点』


 何度見ても溜息が出る。宇宙に行くまでにあと七十一点足りない。

 クラスで唯一の赤点。情に厚いはら先生に


「何を使ってもいいから間違えた所を全部正解にすれば一点足して赤点を見逃してやる」


 と慈悲をもらい、Google先生に直してもらったのだ。

 校舎の端まで来ると、生徒達の喧騒はなかった。遠くから反響してくる楽しそう声が、ハブられた気分にさせてくる。

 良くない、このままでは鬱病になってしまう。第一、先生も先生だ。こんな学生生活で一、二を争う楽しい日に提出させなくてもいいじゃなああああああああああああああ――

 何かを踏んづけたみたいで、視界がひっくり返った。見事綺麗に尻餅を着き、痛みなんかより誰かに見られてないかと恥ずかしくなる。


 ったく、誰だよ、こんな所に……


 踏んづけたであろうものを拾い上げる。それは掌に収まるサイコロのようなものだった。

鉛のように重く、ステンレスのような材質。六面の内の一面には三つの点が表示されていた。


 なんだこれ。


 見たことないし、用途も使い方も分からない。振ってみても変化はないし、中から音がするようなこともなかった。

 指でつまみ、上から下からと観察しながら英語の教員室へ向かう。ドアの前で辿り着いた時、タイミングを見計らったように突然ドアが開いた。反射的に背中に隠す。

 顔を上げると、ドアから出てきた人物と目が合い、ドキリとしてしまう。

 長い黒髪に、癖っ毛の前髪をかき分ける赤いピン止め。制服についた俺らの学年色である赤いリボンが黒髪と一緒にフワリと揺れる。

 向こうも俺だと気付くと、おっ、と少し跳ねた反応を見せてくれた。

 一旦俺に背を向け、退室の挨拶をする。俺はドアを閉めるのを待ってから声を掛けた。


「よっ、あかね、何してたの?」

「机の追加申請だよ。生徒会通すより直接先生にもらった方が早いから」

「そういや文化祭実行委員だったな」

「そう。とどろきくんばっか目立ってるけどね」

「あいつは声がデカいだけだよ。あと腹もね」


 俺の軽口に茜がクスリと笑う。


「確かに。それで、望は何しに?」

「俺はこれ……」


 中間テストを見せると「あっ」と茜が察した声を漏らした。

 昔から英語苦手だったもんねー、と茜が一人回想に浸り出す。

 小学二年生の時に引っ越してきて以来、茜とはずっと学校が同じなのだ。

 しばらくすると茜は思い出したように「あ」と声を上げ


「そういえば、さっき何か後ろに隠さなかった?」


 と、俺の後ろを覗こうとしてきた。


「え、いや何も隠してないよ」

「うっそだー、ねぇ、何隠したのさー」


 興味津々に後ろを見ようとしてきた。背中を見せないように二人してクルクル回る。茜が強引さが増して、体をくっつけてくる。


「ねぇねぇ何隠したのさー教えてよー」


 あーやべぇ、めっちゃ幸せ。


 一生こうしていたい、なんて思ったがそうする訳にもいかない。隠す必要もないが、ノリ的に隠すことにして、サイコロ状のそれを後ろポケットにねじ込み、掌を見せびらかした。


「ほら、何にもないって。ケツ掻いてただけだよ」

「なぁんだ。本当に何にもないのか。つまんない」


 茜はニヤケ面をブーと飛ばすと踵を返した。


「それじゃ、先に教室に戻ってるね。またね」


 振り上げられた手。立ち去ろうとする後ろ姿。焦燥感が溢れ出した。ここ最近何度も感じているものだ。

 文化祭一緒にまわろうよ、三秒と掛からない台詞を言おうと思ってから、既に一ヶ月以上が経ってしまっている。日ごとに焦りが増し、断られるんじゃないかと不安が付きまとう。

 最後の一線を、緊張に足を引っ張られて越えられない。

 今は二人っきり、邪魔をするものはいない。恥ずかしがっているばかりじゃいられない。


「あ……あのさ」――言え! 言うんだ俺!


 大きな瞳と視線がぶつかる。頬が熱くなるのを感じる。もう声は掛けた。後戻りはもう出来ない。勢い任せに口を開ける。


「ぶ、ぶぶ、文化祭の日さ、いつものメンバーが部活の方行くっていうからさ、俺暇なんだよね。だからさ、その、い、一緒にまわらない?」

「んー、文化祭かー、一緒にまわるのは全然いいんだけどー……まぁ時間があれば」


気付けば茜はいなくなっていた。頭が沸騰していたみたいで、今し方何て会話をしてどうやって別れたかも思い出せない。でも、ボヤッとだが、OKを貰うことには成功したはず。

 小さな一歩だが、俺にとって大きな一歩だった。

 スキップでもしたくなるほど軽くなった足取りで教員室のドアを開ける。


「しっつれいしまーす」

「良かったなー望月、デートのお誘いに成功して」

「原先生、聞いてたんすか!?」

「んなドアの前で話されたら聞きたくなくても耳に入ってくるわ」


 原先生は「んなことよりほら、例のぶつ」と危ないものを要求するように手を伸ばしてきた。直した英語のテストを渡し、原先生はそれを一瞥すると「よし」と一人頷いた。


「では、失礼しますね」

「まぁ待て、望月」

「嫌です待ちません。クラスの皆が俺を待っているので」

「誰も待ってないから安心しろ」

「普通に傷つくんでやめてもらっていいですか?」

 

 原先生は俺を無視して、机の脇に置かれたダンボールを指差した。


「これ、いらないプリントが大量に入ってるんだ。ゴミ庫まで運んどいてくれないか」

「何で俺が」

「赤点」

「やらせて頂きます」




 ダンボールを抱えて、校舎裏のゴミ庫に向かう。校庭の方も校内に負けず劣らず文化祭の装飾やテントの設営で多くの生徒で賑わっていた。校舎の壁にも「雛菊祭」と書かれた巨大なプレートが張られている最中だった。立ち上がる看板や、徐々に形を成していくオブジェを見ていると、文化祭の実感が湧いてくる。

 文化祭当日は茜と一緒に…… A組のタピオカを買って、C組のお化け屋敷に入って、演劇部の演し物を見て、それからそれから……

 脳内で当日の行動をイメージする。そこでふと、さっきの茜との会話を思い出した。


『んー、文化祭かー、一緒にまわるのは全然いいんだけどー……まぁ時間があれば』


 結果的にはOKを貰ったが、今思い返せばあまり気乗りしないニュアンスだった。何でだろう。本当は嫌なのかな。でも一緒にまわるのは全然いいって言ってたし、時間があればってことだから、実行委員の方の仕事で何かすることがあるのかもしれない……

 堂々巡りな考えが始まりそうな直後、少し前を茜が歩いているのを発見した。どうやら机を運んでいるみたいだ。

 あー手伝ってやりてぇー。でもこうやって後ろ姿を見続けてるのもいいかもなー。


「やべっ」


 不穏な声に目線を上げる。見ると、雛菊祭と書かれた巨大なプレートが男子生徒の手から離れ、紐一本で宙ぶらりんになっていた。風に煽られ、今にも落ちてしまいそうだ。

 大丈夫かよあれ、とプレートの下を見ると、今まさに落下予測地点には茜がいた。嫌な予感が胸一杯に広がる。そして時として、嫌な予感というのは的中するものだ。

 風が一瞬、大きく揺れたプレートがブツリと紐を引きちぎった。


「危ないっ!」ダンボールを放り捨て、咄嗟に駆け出す。


 俺から茜まで二十メートルはあるだろう。早くて三秒。だけど、プレートが落下しきるまでは三秒と掛からないだろう。

 間に合え、間に合え、間に合え、間に合え!

 視界を暗転させる瞬きの刹那、突如俺の眼前に、至近距離の茜の顔が迫った。


「えっ!?」


 ブレーキも間に合わず、茜とぶつかり、俺達二人は地面を転がった。その直後、茜がいた場所にプレートが落ち、ベニアの鈍い音が鳴り響いた。

 何が起きたのか分からず、呆然としてしまう。茜も何が起きたのか分かってはいないようで、目をパチクリさせていた。

 茜がお礼を言ってくるが右から左に抜けていく。我に返るまでに数秒と時間を要した。

 それから膝を擦り剥いた茜を保健室に行くように促すと、謝りに来た男子生徒に茜が運んでいた机を教室に持って行くように指示をした。俺は改めてゴミ庫へと向かった。

 ゴミ庫は校舎の裏とあり、人気はなく、がらんとしていた。そこに立つ一人を除いて。


「よう轟」

「ゲッ、望月。何してるんだよ」

「ゲッとか言うなよ。俺は原ティーに頼まれてこれをゴミ庫まで。お前こそ何してんだよ」

「俺は下……」

「……下?」

「何でもねぇよ」


 ツンデレみたいに轟はぷいっとそっぽを向いて立ち去っていった。どうしたんだあいつ、と思い改めて下を見たが、何の変哲もない地面に木枯らしが吹き抜けていくだけだった。




 一日の疲れをドッと吐きながら、自室のベッドへと倒れ込む。

 文化祭のこと、茜のこと、轟のこと、一日を振り返る中で、やはりあの出来事が小骨のように引っかかる。

 プレートの落下、あれは確実に間に合うはずがなかった。

 火事場の馬鹿力で早くなった? 急に走る才能が開花した? どの憶測も的外れな気がする。あの出来事を正確に言うなれば、あれは瞬間移動だ。でもそんなことが現実にあるはずがない。

 仰向けになると、尻に違和感を覚え、サイコロをポケットに入れていたことを思い出した。

 取り出してクルリと回す。


 ……あれ?


 点が、二つに減っていた。


 ※


 文化祭の前日になり、全日文化祭準備で学内はより一層の熱を帯びていた。

 忙しく聞こえる生徒達の声はまるで季節外れの夏の蝉。そんな一匹に俺も混ざり、青春の声を上げたかったが、今日は今日とで、俺は今、遭遇してはいけない場面に遭遇していた。

 それは遡ること三分前。

 クラスメイトが装飾に使う折り紙の束を間違って捨ててしまったというので、俺はゴミ庫へと向かった。するとゴミ庫の前にはまたしても轟の姿が。先に折り紙を探しに来てたのかと思い、声を掛けようと横から肩を叩こうとした直後だった。


「好きです! 付き合ってください!」


 轟がゴミ庫に向かって、予期せぬ台詞を口にした。

 俺の振り下ろし始めていた手は、地球の重力と慣性に従って、告白した直後の轟の肩を叩いてしまう。

 あっ、とする俺に、えっ、と振り返る轟。そして、ぬっ、とゴミ庫の角から顔を出す茜。

 アインシュタインもビックリするほどその瞬間、時間は完全に停止した。


 ……しまったぁ


 冷や汗がドッと湧いてくる。これが正しく修羅場というやつだろう。先に動いた方が負けという決闘みたいな展開になってしまっている。

 豆鉄砲食らったみたいな顔していた轟の顔がどんどん怒っている人のそれになっていく。

 こんな状況で俺はふと昨日のことを思い出し、合点がいった。

 あぁー「下」って告白する場所の「下見」って言おうとしたのかー。


「望月、お前何しに来たんだよ!」


 遂に声を荒らげる轟。正直すまんかったと思う。

 もしこれが俺に関係ない人達なら、俺は間違いなく「失礼しました」と尻尾を巻いて逃げているだろう。でもここにいたのが茜とあっては、謝って引く気にはなれなかった。


「いやぁまぁそのぉ、告白の定番が校舎裏だといっても、ゴミ庫の前で告白はないと思うぞ」

「お前やっぱり邪魔しに来たのかよ。茜と仲が良いからって彼氏でもないお前に邪魔する権利はねぇぞ」

「態と邪魔したわけじゃないんだよ。偶然偶然」

「態とじゃないなら悪いんだけど、どっか行ってくれない?」

「それが昨日のゴミの中から折り紙を回収しないといけなくてー、だからどっちかっていうと仕事サボって色恋にうつつを抜かしてるそっちの方が邪魔かなーって」

「は? てめぇ喧嘩売ってんのかよ」


 柔道部の恰幅のいい体が地面を揺らすみたいにこちらに歩み寄ってくる。

 何で俺、こんな奴に茜が取られる心配してんだろ。轟の告白なかったことにならねぇかな。

 それが起こったのはまた、瞬きをした瞬間だった。


「え、あれ?」


 目の前にいたはずの轟の姿が消えていた。辺りを見渡すが茜の姿もなく、そこには二人がいた足跡すら消えていた。

 先日のプレート落下の時と同じ違和感。

 サイコロが脳裏によぎる。ポケットからだしてみると、点が、一つに減っていた。

 もしかして、と昨日考えていた馬鹿な仮説が裏付けされてしまう。

 ゴミ袋の中から折り紙の束を回収すると、急いで教室へと戻った。そこには別々のグループで飾り付けの作業をする轟と茜の姿があった。恐る恐る轟に声を掛ける。


「え? ゴミ庫? いや、今日はゴミ庫なんて行ってねぇよ。用事ねぇし」


 試しに茜にも同じ質問をしたが答えは似たようなものだった。

 間違いない、いや、たぶん、恐らく、これは何でも願いを叶えてくれる機械だ。

 そう考えればさっきの現象も昨日の出来事も説明がつく。

 やべぇどうしよ…… 何に使おう……

 折角三もあったのに、無駄に使ってしまった気もするが、過ぎてしまったことを後悔しても仕方がない。それにまだ一残っている。本来なら何でも願いが叶えられる権利は一としてもらえないのだから。

 何に使うか、考え出したらヨダレが出てしまう。金、宇宙、魔法使い…… 待て待て、使うならもっと考えろ。慎重過ぎて悪いことはない。


 ……茜との両想い。それも悪くないかもしれない。


 正に一生のお願い。それを使うほど価値は、俺にはあるように思えた。




「晩飯買ってきたよー」


 轟がコンビニの袋を掲げると歓声が上がった。

 時刻は十九時を過ぎ。本来なら完全下校時刻を過ぎているが、文化祭前日に限り準備と称して泊まれることが出来るのだ。

 俺のクラスは準備も終わり、泊まる必要もないのだが、折角だからと泊まることに。泊まるのは十四人。その中には茜も含まれていた。……ついでに轟も。

 熱に浮かされたように俺らははしゃぎ回り、宿直の先生に怒られて二十二時に就寝することになった。

 横になり最初こそ皆で話していたが、二十三時になる頃には疲れたからか、皆寝静まり、俺も微睡みの中に沈みかけていた。

 物音が鳴ったような気がした。ぼやけた頭が少し覚める。辺りを見渡すと、寝息が聞こえるだけ。もう一度寝ようと思ったが、トイレに行きたくなり、布団から這い出ることにした。

 深夜の校内は少し不気味だった。昼間の喧騒はなく、窓から差し込む街灯の明かりが薄ぼんやりと廊下のシルエットを作り上げる。陰から何か飛び出してきても不思議じゃない。足音が響いて、消火栓の赤いランプが血を連想させた。

 用を済ませてとっとと教室に戻ろう。

 早足で廊下を進み、角を曲がったその時、視界の隅で何かが動いた気がした。

 光? ライトの光だろうか。宿直の人かもしれないが、興味本位でそちらへと足を向ける。

 角を曲がると、ライトの光が床を滑って同じ所を何度も往復していた。校舎の端、英語の教員室の前、暗がりで誰かまでは判別できないが生徒であることは確かだった。

 捜し物でもしているような動き。こんな夜中に不憫と思い、俺は生徒の元へと向かった。

 足音に向こうも気付く。シルエットが次第に明瞭になり、その人物に俺は少し驚いた。


「なんだ茜かよ。どうしたんだよ」


 茜も少し驚きつつも、俺の顔を見てホッと息を吐いた。


「夜中だから少し怖かったよー」

「悪い悪い。それで、何してんの? 捜し物?」

「そう。良かったら一緒に探してくれる?」

「いいよ。何探せばいいの?」

「これぐらいのサイズで、点が三つ書いてあるサイコロみたいなの」


 ドキリとした。ポケットの上から例のものを握る。暗がりで良かった。昼間だったら表情でバレているかもしれない。見られないように、探すふりをして顔を隠した。

 そういえばこれを拾った時、茜もここに来ていた。

 正直に返そうかとも思ったが、何でも願いを叶えられるものだ。そう簡単に手放すには惜し代物だ。それに考えてみれば、どうして茜はこんなものを持っていたのだろう。

 いつ? どこで? どうやって? それに俺が勝手に何でも願いを叶えるものだと思っているだけで、本当はこれが何をするものかも分かっていない。


「サイコロみたいなのってことはサイコロではないんでしょ? 何なの?」

「ここの言葉で言うなら、思念動式五次元干渉装置」

「……へ?」

「分かりやすく言うと魔法のランプだよ。不可逆な時間や質量保存の法則にも干渉出来て、念じるだけで何でも実現出来ちゃうの」

「ハハ…… 何だよその冗だ――」

「私さ、実は宇宙人なんだよね」

「……は?」

「いやね、これでも結構切羽詰まっててさ、見つからないとかなりヤバイんだよね」

「……ヤバイ?」

「うん。戦争が起きちゃう。明日の十一時にさ、流星群が来るって言われてるでしょ? それって私が在籍してる宇宙船団なんだよね。私十年前から太陽系第三惑星、あ、この星、地球を調査しに来てたんだよ。それで期限が明日までで、それまでに船団に戻らないと私に何かあったって判断されて、船団が地球に攻撃を開始することになってるの」


 さっきから茜は言っているんだ? 宇宙人? 船団? 戦争?

 冗談にしては淡々とし過ぎていて、それが真実なんだからしょうがないと言わんばかりに単語が並べられていく。


「でね、その思念動式五次元干渉装置がないと私帰れないの」

「……あのさ、冗談だよね、それ?」

「まー、そー思ってもしょうがないよね」


 サイコロの説明はイマイチよく分からなかったが、俺が立てた仮説、何でも願いを叶える機械なのでは? と大筋で一致してしまう。

 茜が宇宙人で、明日までに帰らないと宇宙人が攻撃してくる。こんな突拍子もない話を信じられるはずがなかった。でもそんなありえないことはありえない、とゆめまぼろしを現実にする機械を俺は今持っていて、実際にそれを経験してしまっている。

 たぶんそんな話、信じたくなかったのだろう。


「この辺りにはないのかもよ」


 俺はそう嘘を吐いて、茜と深夜の校内を歩き回った。

 茜が宇宙人なはずないし、宇宙人が攻撃してくるはずもない。それに知らなかったとはいえ、勝手に二回も使ってしまってばつが悪い。

 言い訳を頭の中で何度も繰り返す。返した方がいいのか、このまま黙っていればいいのか、答えが見つからないまま、探すふりをし続ける。

 その晩は、星さえも見つけることは出来なかった。




 夜が明け、文化祭が始まった。

 朝の開会式と共に、校内はお祭りを楽しむ煌びやか声に包まれる。そんなめでたい雰囲気の中、胸の中は複雑な心境が絡み合っていた。横目で見る茜の顔も晴れないまま。

 言われた刻限だけが、カチッカチッと針の音を立てて迫っていく。

 そして十一時になった時、俺は教室の窓から外を眺めた。正門から続くビラ配りに、賑わう野球部のストラックアウト。変わらない光景にホッと胸をなで下ろした。――直後だった。


「あ、流れ星」


 誰かが発したその台詞とほぼ同時に、地平線の向こうが赤く発光した。


 何だ今の……


 悠長にそんなことを考えられる一呼吸の間。続いて茶色い煙が遙か先の建物を覆ったと思った次の瞬間、全身を埋め尽くす轟音と共に、俺は吹き飛び壁に叩き付けられていた。


 ――目が覚めるのと同時に、息を大きく吸い込んだ。

 息が止まっていたのかもしれない。急に大量の空気を吸って、咽せてしまう。何だかホコリっぽい。

 自分が気絶していたことに気づけないほどに、頭が働かない。全身が酷く痛い。それでも何とか両手を使って起き上がる。顔を上げ、目の前に広がっていた光景に背筋が凍った。

 窓ガラスが散乱し、机も人も装飾も、何もかもがゴミのように放り出されていた。流れてくる血の先には轟が倒れ、ピクリとも動かない。

 頭が真っ白で、何も考えられなかった。

 どこかから聞こえてくるすすり泣きと、頭上に響く重低音の機械音。

 痛む足を引きずって、枠だけになった窓に近寄る。眼前に広がっていたのは、廃墟と化した地上と空一面を埋め尽くすおびただしい数の宇宙戦艦だった。

 動悸が止まらない。上手く息が吸えない。


 ……俺が引き起こしたのか? 俺があれを茜に返さなかったせいで起こったのか?


「ごめんね……」


 いつの間にか隣にいた茜が泣いていた。


「私が大事なものなくしちゃったせいで、こんなことに……」


 十年一緒にいて初めて見た涙だった。どんなに怒られても、どんなに酷いことを言われても泣かなかったあの茜が。

 このサイコロを使えば、宇宙人の攻撃を止められるか?

 でもそんなこと無意味な気がした。相手はこのサイコロを作った宇宙人だ。人間が理解出来ない五次元を理解する連中に、三次元止まりの人間の願い事一つで、止められるとは到底思えない。

 頭上の戦艦から赤い光が発射され、地平線の向こうに消えていく。また攻撃したのかもしれない。

 こんなことになったらもう、金持ちだろうが魔法使いだろうが関係ない。何でも願いが叶った所で、生きていく世界がないのなら何の意味もない。

 だったらもうこのサイコロを返すしかないじゃないか。

 ポケットの中でそれを握る。それでもいまだに悩んでいる自分がいた。

 泣いている好きな人と壊れた世界。

 何を悩む必要があるんだよ。悩む必要なんてないじゃないか。

 大きく深呼吸する。肺にくすんだ空気が充満する。落ち着かないものを落ち着けたふりをして、サイコロの最後の一回を使う。


 ――時間よ、戻れ。


 音が遠のき、空気が変わる。宇宙船の音は聞き慣れた喧騒に、肌をつつく空気は嗅ぎ慣れた無機質なものに切り替わる。ゆっくりと目を開けると、そこは廊下だった。

 英語の教員室の前、お尻に痛みがあった。左手には英語のテスト。右手には点が三つ表示されたサイコロがあった。

 成功した。ここは二日前の俺がサイコロを拾った瞬間だ。

 突如、目の前のドアが開き、思わずサイコロを背中に隠す。


「よっ、茜――」といつだかした会話をする。たった二日前なのに、とても昔のように感じてしまう。こうやって呑気に会話したのが懐かしい。


 そうして茜が言及してくる。


「そういえば、さっき何か後ろに隠さなかった?」


 宇宙人の攻撃を回避するたった一つの条件。とても簡単なことだ。これを渡せば全てが円満に終わる。なのに、頭で理解しているのに、何故だかいまだに踏ん切りがつかずにいる。

 何で? どうして? と考える。そこでふと、自分がこれを使って何を願おうとしていたのかを思い出した。


『……茜との両想い。それも悪くないかもしれない』


 あぁそうか、結局、世界とか戦争とかどうでも良かったんだ。俺はただ茜がいなくなることが嫌なだけだったんだ。

 でもあんなことになる未来を知っていて、泣いてしまう茜を見過ごしてまでして、自分のエゴを押し通すわけにもいかない。

 俺は精一杯の願いを込めて、サイコロを差し出す。


「これ、そこに落ちてたんだ」

「あっ、これ私の! あっぶなーい。これ凄く大事なものだったの」


 サイコロを茜に渡す。


「あれ? 二? これ拾った時、点が三つ表示されてなかった?」

「知らない。三じゃないと何か不都合があるの?」

「いや、特にはないんだけど、知らない人が使ったら大変なことになるかもしれないから」

「大丈夫だよきっと」

「んー……まぁそうだよね。望が言うとそんな気がする。それじゃあ私行くね」

「あ、茜!」


 立ち去ろうとする茜を呼び止めたのは無意識だった。いつだかにも溢れた焦燥感。何か言おうとしたが、俺の小さい喉じゃ全部吐き出せず詰まってしまう。

 一度飲み込んで、咀嚼する。そして今一番言うべきことを選別する。


「茜、またね」

「うん、またね」


 翌日、茜は急遽転校することになったと先生に言われた。



 

 茜がいない時間が過ぎていく。

 昨日あれだけ仲良くしてた奴も、茜に告白した轟も、何事もなかったように文化祭準備を楽しげに進めていく。

 茜がいなくなっても、世界は何も変わらない。

 翌日、文化祭が始まって、茜がいないまま俺は与えられた役割をこなしていく。

 十一時になっても世界は何も変化は起きなかった。いつも通りの連続した時間が過ぎていく。俺はこれを望んだはずなのに、何故だか胸が締め付けられる。

 いないだけで折れそうになる。泣きそうになる。でも大丈夫。きっと大丈夫。


「あ、流れ星」


 誰かが指を差した。一人が見上げると、感染したように教室にいた皆が次々に空を見上げていく。

 流星群が空を駆ける。

 俺は願った。また会えますように、と。

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