第10-2話 血
10-2 血
榊玲子がハンカチを振ると、真っ赤なものが浮かび上がる。
フレアかと思ったけど、違う。液体? ものすごく少量だ。
「これは血液よ」
エタニアはまだ剣を構えているが、攻撃しようとしない。
なぜ?
「そこにいる坊やの、血液。それが意味するところは、わかるわね?」
僕にはわからない。僕の血液? あのハンカチは……、そうか、この前の正体不明の暗殺者が、僕の首を切った時か。あの時、ハンカチで血を拭った。ハンカチは警察が回収したと思っていたけど、そうじゃないらしい。
僕の血液だとすれば、もしかして、僕の血液に宿っている、僕の魔法が、発動する?
信じられない。僕の魔法は僕のものだ。
「攻撃しなさいな、千年王国。できるかしら?」
エタニアは動かない。攻撃姿勢のまま、しかし、動かなかった。
僕は自分に何ができるか考えていたけど、結論に必要な時間は結局、なかった。
「こちらから行くわよ」
榊玲子の姿が消えたと思った時、彼女は僕のすぐ横に移動していた。
白い剣が振り抜かれる。
身を投げ出すけど、間に合わない。
頭を斬りとばす、その一撃は、甲高い音と共に停止した。
エタニアがすぐそこにいる。彼が守ってくれた。
ニヤリ、と榊玲子が笑った。
彼女の周囲に漂ったままだった僕の血液が、細い針のようになり、エタニアに突き刺さっている。
わずかにエタニアが顔をしかめた。
その手から白い剣が落ち、彼がよろめく。
「終わりね」
一撃が、エタニアの首を襲い、彼はそれを防げなかった。
湿った音を発して、首が飛んだ。
倒れこんだ僕の胸元に、その首が落ちてくる。
「エ、エタ、ニア……」
どさっと首のない体が倒れる。
僕は腕の中のエタニアの顔を見るが、彼の目がわずかに動いた。
意図があるかないかは、わからない。
でも、その視線には、意図があった。口元を見る。何か言おうとしている。
わ、割れ目?
僕は首を抱えたまま、榊玲子に背を向けて、割れ目に走った。
それ以外に、何ができる?
僕は常識人なんだ。
背後で彼女は笑っている。僕なんか、どうとでもなると思っているんだろう。
割れ目に飛び込み、奥に進んでいく。エタニアの顔を確認するが、暗いのでよく見えない。
片腕で首を抱えて、奥へ奥へと向かう。無意識に、身につけていたライトで先を照らした。
最奥部に開けた場所があり、でも行き止まりだ。
座り込んで、エタニアの首をそこに置いた。
どうやら、も全てが終わりらしい。
榊玲子から逃れる術はない。
観念したその時に、エタニアの首が、歪んだと思ったら、そのまま真っ赤な液体に変わって、広がった。
僕はそれを見ているしかできない。
いよいよ不死のエタニアも、死んでしまったのか?
じっと見ていると、その液体が、地面に模様を描き始める。僕はそれに見入った。
英語? いや、ラテン語か?
自然と目が文を追った。
「私の力はお前の血で封じ込まれた。これを逆転する方法は一つしかない。お前の血でお前の血を無効化する。お前の血をここへ落とせ。早く」
そんな文章だった。
エタニアは死んでいない!
僕は腰からナイフを取り出し、指を切った。小さな痛み。
即座に血液に魔法を施し、エタニアの首が変じた液体の文字に、ポトリ、ポトリと、血液を滴らせた。
粘性が高いので、波紋はほとんど起きない。
変化も、なかった。
と、液体の文章が全部、揺れたかと思うと、溶けてただの血溜まりになってしまった。
「エタニア? ねえ、エタニア、聞こえてる?」
返事はない。あるわけがない。
ゆっくりとした足音が、空間に響き始める。
現れた榊玲子は、五体満足で、少しの疲労の色もない。むしろ愉悦と興奮に満たされ、十分な気力を感じさせた。
「こんな日の当たらないところで死にたくはないでしょ?」
彼が剣を軽い動作で、振り上げた。
表現できない、とにかくすさまじい音がして、光が差した。
洞窟の上に、巨大な穴ができていた。光が空間に満ちてくる。
「少しはマシになったわね」
榊玲子がこちらに歩み寄り、剣を突き出してくる。
僕の眼の前で火花が散って、見えない壁が切っ先を押し返す。
「例の短剣ね。まぁ、今の私には、それほど意味もないけれど」
一度、榊玲子が剣を引き、そこにまだ残されていた僕の血液、微量のそれを張り巡らせるのがよく見えた。複雑な模様で剣が血液を帯び、改めて突き出された。
何もない空間で火花が激しく散り、防御を貫通、切っ先が僕の肩を掠めた。
転がって避けるけど、これ以上の逃げ場はない。
「あなたの血液も、難儀なものね。不自然な力だわ。絶対の防御でありながら、絶対の攻撃。万能なようで、使い道はない。異質だわ」
何か冗談を返したかったけど、そんな余裕はない。
腰から白い短剣を引き抜いて、構える。
でも僕にはエタニアのような剣術も、榊玲子のような剣術もない。
右手の指から血液を引っ張り出し、いくつかの盾として展開しておく。
「今の私には意味はないわよ」
サッと榊玲子が剣を振ると、僕の血液の盾があっさりと切り裂かれる。
魔法を全て弾きかえすはずの、鏡の盾が、少しの抵抗もできない。
「こちらにもあなたの血がある以上、絶対の盾に絶対の矛をぶつけられる。残念ながら、もう、あなたは無力よ」
それでも短剣を構えたのは、意地だった。
終わりかもしれない。逃げ場もない。
でも、意地は残っている。
スゥッと榊玲子が剣を冗談に振りかぶった。
「千年王国は、私たちがいただくわ」
ずるり、と何かが動いた気がした。
それが聞こえたのか、榊玲子が、動きを止めた。
「何? これは」
彼女が周囲を見る。
壁から何かが滲み出してくる。影が実体を持ったような、真っ黒い人型。
それが榊玲子に殺到した。
彼女も反応しないわけではない。白い剣が次々と斬り払う。
だが、漆黒の人形たちは、停滞しない。切り裂かれても進み、這ってでも進む。
いよいよ榊玲子の体に影の手が触れる。
彼女の体が、触れたところで分解されたように、消えた。
「何? これは何なの!」
白い剣から真っ白い光が立ち上り、その光が人型を吹き飛ばす。
だけどキリがない。次から次へと、真っ黒い存在は現れ、ひたすら榊玲子を押し包んでいく。
苛立った彼女の姿が、わずかに変化する。
肩のあたりから、何かが生えた、と思ったら、それは腕だった。彼女は二対の腕を持つ姿になった。
「回収しておいてよかったわ」
彼女の影の中から、もう一本、白い剣がせり出してくる。
エタニアの剣を、奪っていたのか。
先ほどの倍の攻撃で、榊玲子が黒き者たちと退けようとする。
が、事態はさらに進んだ。
壁だけではなく、地面からも、腕が伸びあがり、肩、頭、胸と黒い人の形をしたものが這い出てくる。
まるで地獄だった。
笑いのような悲鳴をあげながら、ついに榊玲子の片腕が分解されて消え、片足も失われる。
バランスを崩した彼女の腿、脇腹、二本の腕が、続けざまに消えた。
いよいよバランスを失い、転倒するが、転倒する先である地面は、何かで真っ黒く染まっていた。
ズブリと榊玲子の体が沈み、そこから伸びる腕が、引き込もうとする。
二本の白い剣がその闇を切り裂こうとするが、闇の方が強かった。
理解できない悲鳴か罵倒のようなものをあげつつ、ついに榊玲子の姿は闇の中に消え、人型はそれを追うように、地面の黒い空間の中に帰って行った。
全てが終わって、僕はただ、その地面を見ていた。
真っ黒い液体の塊。
榊玲子を飲み込んだ、正体不明の存在。
僕は恐る恐る、それに歩み寄った。
「すまない」
液体に波紋ができ、声が起こった。
エタニアの声だ!
「少し待っていろ。もう少しだ……」
何かが液体から生えてくる。白いもの。剣だ。
二本の白い剣が空中に浮かび上がり、何かにそっと押されたようにこちらに飛んでくると、僕の足元に転がった。
液体をさらに凝視すると、輪郭が変わり始め、小さくなり、そしてまた何かが生えてきた。
真っ黒いもの、と思ったら、黒髪だった。エタニアの髪色ではない。
その液体から新しい人間が生まれた。
真っ黒い髪、真っ白い肌。均整の取れた肉体。
その青年が髪の毛をかきあげ、わずかに身じろぎすると、エタニアが着ていた白い服が浮かび上がるように発生し、彼の体を包んだ。
地面からは液体が全て消えた。
この青年が、エタニアなのか?
「エタニア、だよね?」
「お前の血液を受けて、反撃できた。その点には感謝する」
声さえも変わっていたけど、発音にはエタニアのそれがある。
「僕の血液の力を手に入れたんだね? まぁ、無事でよかった、とするよ」
エタニアが目を瞬く。今の彼は黒い瞳だ。
「怖くないのか?」
「何が?」
「お前が私についているのは、お前の血液に宿る魔法で、私をいつでも抑え込めるからだ。最初にそう聞いたはずだろう。今はそれが成立しない。騎士団は私を制御する方法を失ったことになる」
うーん、まぁ、それはそうだけど。
「それは僕が気にすることではないな、という感想だよ」
「私はお前を今、この場で、飲み込むことができる」
「え? 飲み込みたいの?」
咄嗟にそういうと、エタニアが毒気を抜かれたような顔になった。
「お前はそういう奴だな」
ため息をついて、エタニアが、頷いた。
「少し、事情を説明するよ」
(続く)
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