第8-3話 十二騎士の白き剣

 広がっている光景は、異質に輪をかけて異質だった。

 屍蝋、と言えばいいのだろうか。ドラゴンが何体か体を丸めて、動かない。死んでいる。

 回廊のようになっていて、右手にドラゴンが並んでいる。そこへゆっくりと、そして早足で、エタニアが進んでいく。僕は震えを抑えながら、ドラゴンから視線をそらせずに進んでいった。

 終着点には大きな扉があり、そこは今、わずかに開いている。

 エタニアが中に滑り込み、僕も続いた。

「遅かったわね」

 迎えた声に僕とエタニアは、身構えるしかない。

 その部屋は、円卓が設置された部屋だった。

 ただし、今、円卓には一人の男が倒れかかっている。円卓の上、もちろん下にも血が流れていた。

 その円卓から少し離れて、榊玲子と付き人の男が立っていた。

 彼女の手に、真っ白い剣が握られている。

 あの剣は以前、エタニアが持っているのを見た剣と酷似している。

 そして、僕がついさっき、もらったばかりだった短剣にも、通じるものがある。

「これで十二騎士は半分になったわね」

 榊玲子の言葉を、エタニアは無視した。

 前に飛び出しつつ、左手が裂けたところから剣を引き抜く。

 まさに白い剣、榊玲子の剣と同じものだ。

 自然と、榊玲子も応戦する。

 超高速の運動と、超高速の切っ先の舞。

 壁や、床が、火花とともに削られ、割れる。

 僕が見ている前で、エタニアの剣が、榊玲子の首を飛ばす幻像が見えた。

 しかし、それが現実になる一瞬前に、例の男がエタニアを蹴り飛ばし、間合いができる。

 床を転がり、跳ねて、エタニアが僕のすぐ横に来た。焦りが見て取れるけど、どう声をかけていいか、わからない。

 それとは対照的に、榊玲子は剣を素振りして、構え直す。十分な余裕があった。

「初めての武器だから、感覚がわからないわね。それにしてもあなた、常識の範囲を逸脱しているわ」

 ぐっと榊玲子が剣を引き寄せると、白い燐光が瞬き始める。

「でも、終わりにしてあげるから」

 真っ白い光が炸裂した時、僕は何もできなかった。

 ただ光が消えて、それが見えた時、さすがに立ってはいられなかった。

 僕とエタニアの前方にすり鉢状の穴ができ、そして天井にも穴が開いている。その穴の奥から光が漏れていた。

 どうやら地上に何かのエネルギーが貫通したらしい。

 エタニアは構えていた剣を下げ、ガクッと膝をつくと、倒れこんでしまった。

 榊玲子は、と思うと、彼女は平然として、それを強調するようにゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。穏やかな笑みを浮かべ、しかし、慢心や油断は少しもない。

 どうやったら、この場を切り抜けられるか、わからなかった。

「あなたは」僕は自然と、切り出していた。「何者ですか?」

「何者? そうね」

 彼女は僕の眼の前に立ち、切っ先をこちらに向ける。目と鼻の先で、凶器が光る。

「私は何者でもない。何者にもならないように、設計された。こんな風に」

 彼女の片手がぐっと、自分の顔に触れ、何度か揉む。途端、顔そのものが変わっていた。

「こんな風に、よ」

 声さえも変わっている。

 その顔は、椎名琴子の顔だった。初老のシワが隠しきれない顔。

「彼女とあなたは別人だ!」

「そうよ」落ち着いた返事だ。「ただのパフォーマンス。どんな顔にもなれるの。私たちは」

 私たち? 一人ではない?

「なぜ、天津さんを殺した?」

「殺したかったわけじゃないわ。ただ、あれ以外に妥当な方法がなかった」

「殺人に妥当も何もない……!」

「あなたたちは人外を好き勝手に殺しているようだけど? 銀狼騎士団なんて、その最前線でしょう」

 答えに詰まってしまった。

 確かに、僕たちは人外を処理している。

 その理由は、人間にとって害だから、という単純でありながら、曖昧なものだ。

 理由なんて、ほとんどないに等しい場面もある。

 殺されないために殺す。

 それが、僕たちの現場の一側面である。

「では、そろそろお暇するから、あなたからの情報漏れを防ぐべく、死んでちょうだい」

 ぐっと切っ先が突き込まれた。

 刺された。そう思った。

 しかし、切っ先は僕の鼻先で、静止している。榊玲子の表情に驚きの色。

「防御結界? まさか、この剣は全てを切り裂くのよ。なぜ?」

 誰かが答える前に、動いたものがある。

 エタニアが跳ね上がり、榊玲子の切っ先を弾き飛ばした彼の白い剣が容赦なく、彼女の左腕を切り飛ばした。

 悲鳴も上げずに後退する榊玲子だが、反応は鈍い。

 最短距離でエタニアの剣が、彼女の胸を貫く。

 が、湿った音は彼女の体から起こったわけではない。

 割り込んだ男の胸に切っ先が刺さり、榊玲子に当たっていない。

「さよならね」

 榊玲子の剣が、再び白い燐光をまとい、こちらに向けられる。

 今度は、エタニアの剣からも白い燐光が吹き上がった。

 その燐光同士の衝突で、例の男が消し飛んだのが見えた。

 再び、僕の視界は塗りつぶされる。今度は衝撃をもろに受けて、何が起こったわからないまま、翻弄されて、気を失ったようだった。

 目が覚めた時、やっと事態を理解できた。

 僕の周囲には瓦礫が転がっているが、僕には触れていない。まるで見えない壁があったかのように、無傷なのだ。

 腰に差している、あの白い短剣に触れてみた。さっきより、熱が強くなっている。

 それはいい。エタニアだ。彼はどうなった?

 広い空間はあらかた、何もかもがなくなっていたが、二つ目のすり鉢の真ん中に、エタニアが倒れこんでいる。駆け寄りながら、まるでスポットライトのように彼のところにだけ光が差しているのが、変に作り物めいている。

「エタニア!」

 声をかけると、彼はわずかに唸った。見たところ、怪我はしていない。彼の手はまだ白い剣を握っていた。

 榊玲子はいない。天井にある穴から逃げたのだろうか。

 彼女が消し飛んだとは、とても思えなかった。

 しばらく僕はエタニアの様子を見て、その場にいた。少し唸り声が強くなって、目がぱちっと開いた。

「あいつは?」

 彼は体を起こそうとするが、しかし、すぐには無理なようだった。体が強張っているように見えたけど、実際はわからない。回復魔法、治癒魔法ですぐに治るだろうけど。

 彼が立ち上がった時、例の老人が顔を出した。

「あのお方はお帰りになりました」

 そんなことを言っているが、この状況が目に入らないのか?

「ここはもうダメだな」

 エタニアの方が先にそこに触れると、老人は軽く顔を伏せて、悔やんでいるような顔になった。そこへ容赦なく、エタニアが質問をぶつける。

「反動分子に参加しているドラゴンがいるのだな?」

 老人は答えない。

「答えろ!」

 珍しいエタニアの怒声にわずかに老人が顔を伏せる。

「否定はできません。我々は常に、人の側におりましたが、人は絶対の存在ではありません」

「ドラゴンたちは自分たちが絶対ではない、と主張していたが?」

 わけのわからない問答だった。人は絶対の存在ではない?

 絶対の存在、って何だ? 何の話だ?

 老人は答えずに、振り向きもせずにあとずさると、バッと座り込み、いつの間にか握っていた短剣で自らの首を切り裂いた。

 僕もエタニアも、動けなかった。見ている前で、老人が倒れこむ。

 それきり、静けさが戻った。

「どうなったの? これは、どういうこと?」

 エタニアが答えないのを、僕は問い詰めていくことができなかった。

 最初の問いだけで、もう言葉が出ない。

 彼が何かを悔やんでいるのはわかる。わかりすぎるほどに。

 でも、何を?

 それから一時間もせずに連絡が来て、どうやら大鷲騎士団の連中がここへ駆けつけているらしい。謎の光の柱が観測されて、こちらの位置は観測衛星の活用もあって、ほぼ把握できたようだった。

 光の正体とか、ここで起こったことの全てをどうにか説明する必要があるけど、とてもできそうになかった。

「報告書を任せていい?」

 エタニアがこちらを見て、憮然とした表情になる。報告書も何もない状態だけど、まぁ、そういう話も価値がある。報告書のおかげで、少しは戻ってきたな、いつも通りが。

「私に書けることはそれほどない」

「嘘はダメだよ。きっと、一番真実に近いし」

「訂正する。私が知っている範囲のことは、騎士団本部は把握している」

「え? 今回のことも、書かなくていいの? それはラッキーだな」

「いや、分かる範囲で書く必要がある。あとは本部で適当に想像するだろう、という意味だ」

 なんだよ、結局、書くんじゃないか。

「エタニアって、謎だとは思っていたけど、ちょっと謎過ぎない?」

 試しに尋ねてみると、眉を持ち上げてみせる。

「だって、そうでしょ。千年王国、とか、訳のわからない呼ばれ方をされたかと思ったら、今度は、竜王の十二騎士、とか、変なことを言われ始める。しかも百年を生きている? まぁ、百年を生きていてもおかしくないけど、もう人間の枠じゃなくない?」

 僕の言葉にエタニアがニヤリと笑う。

「人間の枠を超えたい人間もいるのさ」

「ふぅん……」

 頭に浮かんだことを言葉にしたのは、反射的な行動だ。

「それって、寂しくない?」

 今度はエタニアも本当に言葉を失ったらしい。丸い目でこちらを見て、それから天井を振り仰いだ。そこには穴ができていて、地上の光が丸く見える。

「寂しい、か。忘れていたな、それは」

 独白、というよりは、ただ呟いただけのような返事だった。

「僕にできることは、やってみるよ」

 思わずそう言ってしまった。エタニアはこちらを見て、軽く首を傾げる。

「怖くないのか? 今さっきだって、ほとんど死んでいた」

「なんとかなる、と思うのは楽観しすぎかな?」

「いや……、それはそれで、良いのかもしれん」

 煮え切らない返事だなぁ。

 そうこうしているうちに、大鷲騎士団の部隊が到着し、僕たちは地上へ戻った。

 そこから密林の中を延々と進み、二日でどうにかヘリコプターにピックアップされる地点に辿り着いた。

 帰りの移動中は必死に報告書を書いたわけだけど、この点はエタニアの助言もあったので、思い切ってわかっていることだけを書いて、推測は少しもせず、意見も最小限で、ここはわからない、そこもわからない、あそこもわからない、という、実に奇妙な報告書が完成した。

 空港にたどり着き、そこでやっと通信での会議に参加できた。こちらのデータは超光速通信で、すでに参加者の手元に届いている。ちなみにエタニアも移動中に報告書を書いていたけど、僕は会議の場で初めてそれを見た。内容は僕とどっこいで、つまりエタニアは、あえて情報を隠したようだ。

 その理由は、会議が終わってから、わかった。

 解散になったはずが、一人の幹部がいつまで経っても離席せず、何かと思ったら三人になったところで話し始めた。

「反動分子に、白き剣が渡ったとは、事実かね?」

 エタニアが軽く頷く。

「残念ながら、事実です。十二騎士の一名が消され、つまり、六名を残す事態です」

 どうやらこの幹部は、事情に相当、通じているらしい。僕は名前すら知らないけど、階級はかなり上だ。

 幹部がため息を吐いて、こちらを見る。

「木花咲耶、だったな。君にはここで途中下車する権利がある。どうするね?」

 途中下車? エタニアもこちらを見ている。自然と彼の視線と僕の視線がぶつかった。

 特に際立ったやりとりはなかった。

 なので、言葉は自然と出た。

「降りるつもりは、ありません」

「そうか」幹部が穏やかな笑みで、エタニアを見る。「いい相棒を持ったな」

 エタニアは答えずに、頭を下げた。

 幹部が一度、咳払いして、表情を真剣なものに変える。

「反動分子との争いは、まだ終わらない。君たちの活躍に期待する」

 僕たちが敬礼して、やっと幹部の男は通信を切った。

 そう、まだ終わりは見えないんだ。

 いつまで続くのかわからないこの回廊を、僕はまだ歩き続ける。





(第8話 了)

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