第8-2話 地下に秘められた存在
通路はそれほど長くはなかった。
「司祭様、参りました」
榊玲子がそう言って片膝をついたので、僕とエタニアにはその相手がよく見えた。
老人だ。長い白いヒゲが垂れていて、眉毛も太い。目は細められ、手には杖を持っている。
生きているはずなのに、まるで生きているようには見えなかった。
その老人がこちらを見る。無表情だ。
「千年王国か」
もちろん、エタニアにそう言ったわけだ。エタニアは無言だ。
やっと部屋の様子を見ることができた。壁に祭壇があるが、これは控えめ。別の部屋に通じているだろう通路が三本、どこかへ伸びている。
「不死のものよ、先へ行っておれ」
軽く頷き、立ち上がった榊玲子が通路の一本の先へ消える。ついてきた男もそれに従った。不死のもの?
部屋に三人だけになり、老人がこちらに歩み寄ってきた。散弾銃を向けるべきか迷ったけど、エタニアがそうしないので、彼を信じることにした。
老人がエタニアの前に立ち、視線を交わしている。
「ここへ来たのは、偶然か?」
「偶然だが、運命的ではある。「崇高なるお方」がここにいるのか?」
老人がやっと表情を変えた、どこか嬉しそうな笑みだ。
「それもまた、偶然だが、おられる。あのお方はお会いになりたいだろうが、どうする?」
「会わせてもらおう。こいつも良いか?」
びっくりした。こいつっていうのは、もちろん僕だ。
僕には何もわからないのに、誰と会えっていうんだ?
老人がこちらを見て、しかしそっけなくエタニアに向き直った。
「この何の力もない人間に、どうして肩入れする?」
「私の相棒だからだ」
しばらく、観察するようにエタニアを見てから、微かに頷いたようだった。
「こちらだ」
老人の先導で、さっき、榊玲子が選んだのはとは別の通路を進む。
通路の先は階段になり、円を描くように緩やかにカーブしている。ちょっとずつ下がっていくのが感じ取れた。
何周くらいしたか、新しい空間に出た。
「すごい……」
僕は思わず、声を出していた。
巨大な空間だ。ちょっとした民家が入りそうな空間が開けている。
しかも、空っぽではない。
真っ白い鱗で全身を覆ったドラゴンが、体を丸めている。その巨体で、空間のほとんどが埋まっていた。
フラフラっとエタニアがドラゴンに近づく。頭は地面に横たえられている。わずかに鼻腔が動くので、生きてはいる。しかし相当な高齢だと、自然とわかった。
エタニアの手が、そのドラゴンの鼻先に触れた。閉じられていた瞼が持ち上がり、白濁した瞳がエタニアを見据えたようだった。
「千年王国、懐かしい顔だ」
声は空気の振動ではないが、はっきりと聞き取れた。不思議な体験だ。
ドラゴンがわずかに目を細める。
「今もまだそのような貧弱な姿をしているのか?」
「私には私の事情があります」
「欺くためか? 騙すためか?」
「これこそが私の真実だからです」
一度、ドラゴンが目を閉じた。それが開かれた時、こちらを見ているのがわかった。
「あれがお前の友か?」
「そうです」
これにはちょっと言葉を失った。
友。エタニアは僕を、友だと認めた。
今まで、そんなことを話す機会もなかったけど、まさかそんな風に見られているとは。僕の中ではエタニアは仕事仲間、同僚、という枠を超えて、信頼があるつもりだったけど、たぶんエタニアの考えは違うだろうな、と思っていた。
どうやら、お互いの認識に、それほど差はなかったらしい。
で、ドラゴンはそんな僕をじっと見ているけど、焦点が合う感じではない。
「そこな人間、こちらへ」
僕が呼ばれているのだ。かなり強いので、恐る恐る、近づいて、エタニアの横に並んだ。
「手を触れておくれ」
言われるがまま、僕はドラゴンの鼻先に手を伸ばす。
恐々と触ってみた。
あ、冷たい。まるで金属みたいだ……。
そう思った時、何かが頭の中を走り抜け、爆発した。
遥かな原始の時代。知性を持たない生物たち。激変する環境。人類の出現。知性の開花。
人外の繁栄と、人類との衝突。ドラゴンたちの決断による、自身の隠蔽。
暗い時代。闇の時代。
そして同盟の出現。人外紛争。
ドラゴンは全てを見てきた。
地で、海中で、空で、全てを観察し、記憶し、継承した。
世界に十八体が残るのみの、最初の龍。
そのうちの一体が、目の前にいる。
記憶はエタニアの過去へと及ぶ。
闇から闇への放浪。
人間、人外。
敵、味方、また敵。
流血、死、腐敗、治癒、しかし消せない傷。
荒廃する心。
安らぎの存在。
ドラゴンが、魔法使いが、彼に押し寄せる。
全てを彼が飲み込んでいく。
不老にして不死。
もはや死を忘れた存在。
封印された、忌まわしき存在。
長い長い、無の時間。
そこからの解放。そして、出会い。
僕は気づくと、ドラゴンから手を離していた。僕の頭の中を満たしていた、一生で知ることよりも何十倍、何百倍もの記憶が、記録される容量を持たないためか、あっという間に消えた。
「今のは……えっと……、ダメだ、思い出せない」
僕は改めて、ドラゴンに触れてみた。しかし何も起こらない。
ドラゴンが笑ったようだった。
「いつか、知ることもあろう、弱い存在よ。生きておればな」
不吉なことを言われているけど、怒りも湧かなかった。
ただ、なんとなく、感謝のような気持ちがあった。
「十二騎士は何人残っている?」
エタニアの質問に、ドラゴンはわずかに頭を動かした。
「七名だ。お前を含めて」
そのドラゴンの言葉に、エタニアは何か考えているようだった。
ちょっと、待って。お前を含めて?
エタニアは、十二騎士なの?
さっき、何かを見た気がしたけど、思い出せないのが煩わしかった。
「もはや、時代も変わるということよ、千年王国」
「そうだろうな、私がお前と関わって、百年が過ぎた。長く生き過ぎたとさえ思う」
「十二騎士とはいえ、人の器、百年でも過ぎたる長さか」
「私は人間だ」
しばらくの沈黙の後、ドラゴンの視線が部屋の隅で控えている老人に向けられた。
「悪いが、今しばらくはここにこの二人を置いておいてくれ。会議を始めるように」
返事をして老人が階段に消えていった。
「会議?」
エタニアの質問に、ドラゴンは返事をしない。別のことを話し始めた。
「これをそこな弱いものに渡しておこう。命を助けることくらいはできるだろう」
言うなり、ドラゴンが軽く息を吐いた。
信じられない光景だった。吐息がキラキラと輝いたかと思うと、それが集まり、一本の短剣になった。
真っ白い金属? いや、石? でできているようだ。
軽い音ともに僕の足元に落ちた。反射的に、しかしゆっくりと、拾い上げた。
ものすごく軽い。でも弱々しい感じではない。絶対に折れない、と思わせる何かがある。
そして、わずかに温もりがある。
「これを、もらっていいのですか?」
「そうだ、弱いものよ。この男についていくには、必要になろう」
そう言われてエタニアを見るが、彼は別のことを考えているようだった。
「会議とはなんだ? あの女を知っているのか?」
「あの女?」
「お前たちは、不死のもの、と呼んでいる」
フゥッとドラゴンが息を吐いた。どこか疲れているような息の仕方だった。
「不死のもの、か。知っていたのだな」
「あの女はなんだ? 何を知っている?」
ドラゴンは答えなかった。そこで追い打ちをかけるように、エタニアが声を続ける。
「あの女は、反動分子と関係がある。まさか、お前も加担しているのか?」
返事はなかった。
返事をしないことが、何よりも明確な答えになる場面がある。
「行くぞ、咲耶。上だ」
言うなり、エタニアが階段へ走る。僕もそれに続いたけど、部屋を出る前に一度、ドラゴンを振り返った。
「ありがとうございます」
やっぱり返事はない。
僕はエタニアを追って階段を駆け上がった。目が回るような階段が終わると、さっきの祭壇がある部屋だ。老人の姿はない。エタニアの影が榊玲子が進んだ通路に消えたので、僕も続いて駆け込む。
前方で立ち止まったエタニアが見える。その横に並んで、やっと部屋を確認する余地ができたけど、言葉を失うエタニアと同様、僕も声が出なかった。
その部屋の光景に僕は寒気を感じた。
(続く)
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