第7-3話 答え合わせ
全ての音が消えた時、僕はゾンビを押しのけて、やっぱり無意識にナイフを払っていた。
「最悪な気分だよ」
思わず呟きつつ、まだ絡み付こうとするゾンビを蹴り飛ばす。鈍い音ともに、倒れて、動かなくなる。
相棒の方を見ると、優雅に拳銃の弾倉を交換している。
扉の前には、もはや総数のわからないゾンビと狼だったものが転がっていた。エタニアは全ての手榴弾を使い切ったし、僕に至っては弾丸を全部使い尽くし、最後は、ナイフで戦っていた。
騎士団員になった時に受けた基礎訓練、その中でも近接格闘訓練が、今日ほど生きた日もなかなかない。
おの鬼教官に、今日だけは感謝しなければいけないな。
「残りは何発?」
「二十四発」エタニアが答えつつ、予備弾倉を放ってくる。「俺の銃の中の十二発と、そこに十二発だ」
残りの弾を半分くれたということか。
「ありがとう」
「いや、感謝に早いぞ」
どういうことかな? と思うと、通路の先から、一人の男が歩いてくる。
「楽しんでもらえているようで、嬉しいよ」
そこにいる男は、僕たちをここに放り込んだ、当の人外だった。
僕もエタニアも彼に銃を向けている。彼の方は腰に銃を差している。
「ここから出してもらおうか? もう疲れたし」
僕の言葉を受けて、彼が立ち止まる。
「速さ比べだ。どうかな? 二対一でもいいぜ」
速さ比べ?
「抜き打ちの?」
「そうだ」
馬鹿げている。抜き打ちの速さ比べで、二対一とは。
でも、まぁ、彼がそれでいいと言っているんだ。
やってやろうじゃないか。
「さっさとやろうぜ」
エタニアも同じ結論に達したらしい。しかも、図々しいことに、銃をすでに握っている。
男がそれに気づかないわけがない。
絶対の自信がある? ここが彼の世界だから?
「このコインが落ちたらだ」
エタニアは無言、僕もだ。男がつまんで見せたコインを、ぽいっと投げた。
視線をコインに向けず、それでいながら、視界に収めておく。
甲高い音と銃声は同時だった。
「馬鹿な」
思わず僕は呟いた。
男は一瞬で二発、撃った。それも僕よりも早く。エタニアよりも早く。
それでも絶対に早かったわけではない。
僕の前にはエタニアの背中があり、今、ゆっくりと膝をついて、うずくまった。
「エタニア!」
エタニアは起き上がれないようだった。男がくるくると拳銃を回して、腰に戻す。
「二人とも死んでるはずが、生きていやがるとは、驚きだぜ」
そんな言葉を聞きながら、僕はエタニアを床に寝かせる。胸に二発、受けている。血が流れていた。
ここにディアがあれば、回復は可能だ。魔法を使えばいい。
でも今はディアがない、魔法は使えない環境だった。
「例外だが、もう一回やるかい?」
男の言葉がやけに耳に響いた。
エタニアを見ると、口をパクパクさせている。喘いでいるわけではないし、声が出せない、という様子でもない。それを見て、一瞬で僕は冷静になった。
彼が男に見えないように伝えてくることを、僕は理解した。
立ち上がって、男と向かい合う。
「やってみるよ」
男がニヤリと笑う。そしてもう一枚、コインを取り出した。
「行くぜ」
コインが投げられる。
僕に躊躇いはなかった。
銃を構えて、発砲。
銃声が消えて、やっとコインが床に落ちた。
男は一言も声を発さなかった。無言のまま倒れて、両手足を投げ出す。手から拳銃がこぼれた。その額に赤い点が生まれている。
エタニアの指示による、ルールの無視。
やれやれ。厄介なことだ。
勝てばいい、とはいえ、卑怯だったかな。
少しすると男の姿が滲んで消えると、そこに鍵が現れた。黄金の鍵だ。
僕はそれを回収して、エタニアに肩を貸して立ち上がらせた。
扉は、黄金の鍵でびっくりするほど簡単に開いた。その扉の奥へ進むと、どこともしれない誰かの書斎のような場所に出た。書斎の椅子に、男が腰かけている。
知らない男だ。初老で、髭を蓄えている。
「久しぶりにここにお客が来たよ」
男がそう言ってこちらを見る。僕としてはエタニアを素早く回復させたいので、話をするような余地はない。
「怪我をしているのだね。どれ」
男がすっと手を振ったとき、僕は背筋が震えた。
経験したことがないような、強烈なフレアだった。それがほとんど強引にエタニアの中のディアと混じり合い、自然、超治癒が起こったようだった。
ただ、あまりの衝撃に、非常に珍しいことながら、エタニアが意識を失った。
彼の体をそっと床に降ろし、やっと僕は男をしっかりと観察した。
年齢は六十を過ぎていると思う。七十に近いだろうか。
職業はよくわからない、服装もありきたりだ。
「ゲームをクリアしたものは、久しぶりだ。しかも二人とは。大抵は、孤立したところで、潰れてしまう」
「あなたがこのゲームを運営している? 人外、ではないように見えますが?」
男が軽く頷く。
「私は人間だ。人間らしいゲームだっただろう?」
そう言われれば、そうかもしれない。
破壊、殺戮、欺瞞、そういう残酷さが際立つゲーム。
基本的に協力を必要としない、孤独なゲーム。
「事故死した利用者は、このゲームの中で死んだのですね?」
「そういうことだね。彼らもそれを承知で、このゲームを始めている。あるものは狼に、あるものはゾンビに、あるものは牛に殺され、もしくは無謀にも空白へ飛び込み、消える。おっと、その点は君もどっこいだったな。あれはには驚いだ。初めて見た」
この男はゲームの中を全部、見聞きしているのか。
「私を逮捕するのは、無理だ。私を捕捉することは、誰にもできない」
「騎士団の本気は怖いですよ」
「試してみよう」
やれやれ、すごい老人だ。
「あの人外は、実際にはいない?」
「いるよ。ただ、君たちが先ほど対面したのは、実体ではない」
「射撃練習場を管理しているのは、本物なんですね?」
老人が穏やかに笑う。
「しかし、もうあそこは店じまいだ。彼も姿を消す。また別の場所で、始めるよ」
「ですから、騎士団を甘く見ない方がいい」
「わかった、その点は認めよう」
すっと老人が書斎の外に出る扉を指差した。
「また会える時が来ることを願っている。私のゲームを攻略したことは、誇ってもいい」
適当なことを言うなぁ。誇れる相手なんて、いないだろうし。
「お元気で、ご老人」
「今の一言こそが、大きなダメージだよ」
僕はエタニアを抱え上げると、彼の背広から例の水晶の鍵を取り出した。目の前の小さな扉を開けるのに、絶対に必要だとわかったのだ、本能的に。
実際、鍵を差し込むと、ほとんど動かさずに鍵が開く音がした。
僕はもう振り返らずに、外に出た。
正確には、外に出ようとしたけど、強烈な光に視界が占領されて、ちょっと目をつむった後には、全く別の場所にいた。
どこかの映像で見た、地下空間だ。コンクリートで固められ、巨大な円柱の群れが天井を支えている。
「エタニア? 大丈夫?」
僕に抱えられているエタニアが短く呻くと、目を開けた。周囲を確認し、ゆっくりと屈むと少しの間、動きを止める。治癒魔法を発動したんだろう。
それにしても、ここはどこだ?
「お迎えにあがりました」
突然の声の方を見ると、背広の男が立っている。
僕が混乱したのは、その男の背広が、騎士団の配給品にそっくりだったからだ。いや、正確には、配給品そのものだ。見間違うわけがない。
では、ここは騎士団の施設?
全く知らない。噂でも聞いていない。
エタニアが立ち上がったので、僕たちは背広の男の後に従って、歩き始めた。
地下空間と地上を結ぶエレベータにたどり着き、狭いカゴの中に三人で乗り込む。未だに状況がわからなかった。
エレベータの扉が開くと、そこは変哲も無いビルの中だ。えっと、違うな、ここは、見覚えがある。
男に導かれて進むと、はっきりと場所が理解できた。
騎士団の日本支部の本部棟の内部だ。それも幹部クラスのオフィスが並ぶ階。
導かれた部屋に入ると、初老の男性がソファに腰を下ろしていた。
「さすがは銀狼騎士団、だな」
その男性は、騎士団の日本支部で、銀狼騎士団とも共同作戦を行うことが多い部局を統括する立場で、よく知っている。名前は、えっと、冬河、だ。
「冬河さん」僕はまだよくわからないまま、訊いていた。「どういうことですか?」
彼は穏やかに笑うと、僕たちをソファに座るように身振りで示した。渋々、座るしかない。
「君たちには、訓練を受けてもらった」
「訓練?」
それからの話は、僕には初耳だった。
騎士団が試験的に運用している、訓練プログラム。同盟の協力も受けて開発されたそれは、騎士団員を極めて特殊な環境に放り込み、そこでの行動などを確認する、という内容らしい。
「あのフレアが全く存在しない空間が、それだということですか?」
「珍しいだろう? 混乱したか?」
「しましたよ……」
嬉しそうな冬河に、憮然と答えるしかない。
どうやら僕たちに与えられた任務は偽物で、不審な事故死という事実はないらしい。くそ、完全に騙された。僕としたことが、愚かしい。
そんな僕の横で、エタニアは最後まで無言だった。
「君たちは最高評価だ。安心したまえ。そして明日は休暇とする。では、解散だ」
仕方ないので、僕とエタニアで、食堂へ行った。
二人で食事をしていると、エタニアがポツリと言った。
「人間の考えることはわからないな。何を確認したかったんだ?」
僕は食事を続けながら、思いついたことを言った。
「火事場の馬鹿力、じゃないの?」
「なんだ、それは」
「うーん、咄嗟の瞬間に起こる、限界を超えた力、というか」
そんなものか、と言いつつ、エタニアがお茶をすする。
「そんな力は、実戦の場では常に出ているものじゃないか?」
「それはそうだけどさ、ある程度は自分の部下の力量を把握したいんじゃないの? 咄嗟の瞬間に力不足で無理でした、では済まないし」
「だったら、通常の力で対処可能な任務だけを与えればいい」
うーん、いちいち正論で返されても、僕が今回の訓練を実施したり、隊員の力量を知りたがったわけでもない。
「気にするのはやめようよ。僕たちは成功したんだし」
「そのせいで、過酷な任務に放り込まれる、とは思わないのか?」
その点は、現時点でも過酷な側面もあるしなぁ。
「貴重な戦力を無駄遣いしない、という方針になる方に、一票を投じよう」
「それは一つの見方だな。なるほど」
それからは無言で料理を食べ、食事が終わると、揃って食堂を出た。
「明日の休暇はどうする? 僕はどうも、急に空間移動させられたせいか、時間感覚がおかしいよ。休暇は結局、寝ているだけかもねぇ」
エタニアはそんな僕をちらっと見ると、
「休むのも大事だぞ」
などと、言っている。意味深だけど、たぶん、何も考えていないだろう。
結局、エタニアが何をするか聞かないまま、僕たちは別れた。
「そういえば」
別れる寸前に僕は彼に訊いてみた。
「例の速さ比べの時、どうして僕をかばったの?」
「当然だろう」
彼は心外と書いてある顔で答えた。
「私の方が頑丈だからだ」
それはそうだ。僕は普通の人間だし。
彼はそれ以上何も言わず、僕も礼を言うことはできないまま、離れた。
次に会った時に、さりげなく、お礼を言っておこう。
(第7話 了)
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