第6-3話 悪魔の善行

 何が起こるのかな、と思っていると、老婆が乗ってきた車の後部座席のドアが開き、男が降りてきた。

「今夜はビックリしっぱなしだよ」

 僕が思わずぼやくと、彼はにっこりを月明かりの中で笑って見せた。

「こちらにも事情があってね、お二人さん」

 その男は、カリギアだった。

 もちろん、全くの無傷、五体満足でピンピンしている。

 もう一度、この悪魔を倒すのは骨が折れるし、倒せるかどうかもわからない。不死の可能性が高い。それも絶対に殺せない、完全不死。超高位の人外にその性質を持つ存在がいるらしいけど、いるのなら絶対に対立したくない。

 僕はベルトにあるナイフをいつでも抜けるように確認した。こういう時、僕の魔法は不便だ。血が流れるための傷が体にないと、百パーセントの力が出ない。昼間の指の傷は、もう魔法の基礎的な応用の治癒力で、塞がってしまった。

「警戒する必要はないよ、安心していい」

 そんなことをカリギアが言ったので、僕は反射的に腰のナイフに手を伸ばした。

 だって、相手にその気がない時が、一番のチャンスじゃないか。

 でも、指を切る必要はなかった。

 素早くカリギアが手を挙げると、指を鳴らした。

 パチン。

 何も変わらない。いや、カリギアの姿が掠れるようにして消えていく。僕が魔法を発動するより早かったし、エタニアも行動しなかった。

 こうして夜の道端に、僕とエタニア、二台の車が残された。

「どうするべきなの? こういう時」

「まずは連絡だろうな」

 やれやれ。エタニアの冷静なことったらない。

 僕は携帯端末を取り出した。途端に、画面に無数の着信通知とメールの受信通知が表示された。驚きながら確認すると、例の交渉人からだった。

 電話をかけ直す。深夜だけど、良いだろう。緊急のようだし。

 相手はすぐに出た。待ち構えていたようだ。

『木花咲耶か? お前、どこにいる! 何していた!』

「いえ、ちょっと……」

 なんて言えばいいんだ? 相手が日本人ならなんとかなったかもしれないけど、交渉人は騎士団のアメリカ南部のさらに一部を管轄とする、現地の団員だ。僕の身に起こったことを、英語で器用に説明する技量は僕にはない。

「ファンタジックなことがありまして」

『ファンタスティック? それは気になるな。それより早くこっちへ来い』

「こっちって?」

『今日の昼間の現場だ。例のデカブツが、奪取された』

 ……どういうことだろう。

 まぁ、行くしかないけど。

 謝罪の言葉を口にしてから電話を切って、とりあえずはかっぱらった車へ向かう。老婆が乗ってきた車は、ここに乗り捨てるしかないのかな。

 と思っていたら、僕たちが無人の街から拝借した自動車は、ほとんど燃料が残っていない。

 あまり想像したくないことだけど、例の老婆は、このことを見越して自分の車で来たのか? この状況では、僕たちには他に移動手段がないし。

 地面を確認すると、確かにキーが落ちている。拾い上げて、エタニアと顔を見合わせてしまった。

「使っていい、よね?」

「他にやりようもあるまい」

 というわけで、僕たちはこの短い時間に三台の車を乗り換える、という事態を出来させつつ、つい昨日、後にしたばかりの場所に向かった。

 砂漠に面したガソリンスタンドと、それに併設された小さな商店だけの、集落とも言えない場所。事前の情報では、ここの店で働く人は大抵、その店舗で寝泊まりする。

 巨大な人外、像を一回りくらい大きくさせたような生物が、突然、道をふさいだのは二日前だ。人外でも、人間と話すほどの知力がない。そこで地元警察、騎士団に通報があり、そこからさらに同盟へ話がいく、となったはずだった。

 車を走らせながら携帯端末をチェックすると、もう同盟の係員が来ていてもおかしくない。いや、絶対に来たはずだ。

 それにしても、どうなったんだろう?

 一時間も経たずに、現場に戻ることができた。まだ夜明けよりも早い時間だ。

 ガソリンスタンドで、交渉人が待っていた。彼の護衛の騎士団員は建物の外でタバコを吸っていて、僕たちに気づくと、ものすごい顔で睨みつけてくる。

 まぁ、よくない展開だとは思っていたけど。

 しかし、デカブツは消えている。輸送されたんだろう。

 ガソリンスタンドに入ると、交渉人が顔を上げ、憔悴を一転、激怒に変えて、めちゃくちゃな速さでまくし立てるので、解読するのに時間がかかった。

 どうやら僕たちがここを離れてすぐ、同盟の係員がやってきた。十人ほどで、大きなトラックも引き連れていった。

 そしてデカブツを輸送するということで、デカブツはトラックに積まれて、輸送されていった。

 ただ、これで終わりではなかった。

 交渉人は仕事が終わって、さて一杯飲んで、車の中で一休みしてからドライブだぞ、となったところへ、二人の来訪者があった。

 彼らはどう見ても人間だったが、同盟の係員を名乗った。

 最初、交渉人はタチの悪い冗談か、と思った。いたずらか、そうでなければ、世界のそこここで頻発する反動分子の行動か何かか、と。

 彼は僕たちを送り出したことを後悔しつつ、半ば決死の覚悟で事情を聞いた。

 結論から言えば、後から来た二人こそが本当の同盟の係員で、先の十人の集団の方こそ、同盟に敵対する反動分子だった。

 交渉人は慌てに慌てた。騎士団の支部に連絡を取り、十人の反動分子の捕捉を依頼し、同時にすぐ近くにいるはずの僕たちにも連絡を取ろうとした。

 支部の方はすぐに動いたが、距離がある。

 そして近い位置にいる僕たちとは音信不通、となったわけだ。

 その頃の僕たちは、例の街でカリギアと戦ったり、無人の街をぶらついたりしていたことになる。

 そうしてやっと僕たちに連絡がつき、こうして感動の再会となった。

「あの人外に、どれほどの価値があったのか、それが疑問ですよ」

 僕はどうにか理論的に反論しようとしたけど、交渉人は完全にキレていて、僕にもよくわからない罵詈雑言を並べ立てた後、外に出てタバコを吸い始めた。仕方なく、僕はエタニアと相談した。

「エタニアから見て、あのでかい人外に、どんな価値が?」

「知らないな。知っていたら、そばを離れなかっただろう。それが理論的というもの」

 それもそうか。

「悪魔が関係している?」

「さっきも話したが、悪魔と呼んでいても、人間に対して絶対に害になるわけではないんだ。デカブツを回収したのは、反動分子じゃないだろう」

「悪魔についてはさっき聞いたけど、つまり、あの巨体をここに置いておく方が、人類には危険だった、という発想だよね、それは。ここに置いておいたり、同盟の係員が輸送するんじゃ、何かまずかったのかな?」

 じっと、エタニアが動きを止め、それからふらっと外へ出て行った。なんとなく、後を追いかけて、背中に声をかける。

「可能性としては、ここに置いておけない理由があったか、即座に移動させる理由があった、ということになる。他は?」

「人間の手に渡したくなかった」

「それは同盟の係員が来る予定なんだから、自然と同盟が引き取るんじゃない?」

「訂正する。人間に輸送させたくなかった」

 外に出ると、例の交渉人が刺し殺さんばかりの視線を向けてくる。お互い仕事なんだし、ちょっとはお互いに譲歩しようよ、と思ったけど、まぁ、向こうからすれば僕たちが仕事をサボって遊んでいた、と見えるのかもしれない。

 エタニアの例の背広を捨ててくるんじゃなかった。あれを見れば僕たちの必死さもわかっただろうに。

 と、そのエタニアが遠くを見ている。何も見えないけど、何かあるのかな。

 こういう時、彼の目は人間の限界を超えている。

「あれじゃないか?」

 急に、エタニアが遠くを指差したので、僕はそこに目を凝らした。

 何も見えないけど……。

「何があるの? よくわからない」

「爆煙だ」

 爆煙……?

 そのうちに、やっと僕の目にも見えた。

 キノコ雲の小さいものが、確かにそこにある。と思ったら、何かが地面付近をこっちへ向かってくるじゃないか。

 どう見ても、衝撃波だった。

「まずいんじゃないの?」

「管理されているだろう」

 正直、僕は逃げ出したかったけど、エタニアは平然としている。交渉人もこちらの様子に気づき、タバコを投げ捨てると、慌てて護衛の騎士団員とガソリンスタンドその他の店員と一緒に地下シェルターに入ったようだった。

 僕も入りたけど、あの交渉人の前で怯えている姿は見せたくない。

 やせ我慢で、自殺志願とは、我ながら幼稚ではある。

 結局、衝撃は見えない壁にぶつかったように上に膨らみ、それがまさにエタニアが言った管理だった。不可視の筒が衝撃波を防ぎとめ、衝撃波は地上の土を巻き上げて、そのまま灰色の筒として立ち上がった。キノコ雲も消えてしまった。

 ただ、地震だけはしっかりと起こって、短いながらも、ちょっとバランスを崩す揺れだった。

 でも、それだけで済んだ。

「これはすごい光景だな」

 まだ筒状の煙を見ながら、僕が言うとエタニアはそっと首を振った。

「悪魔は悪魔じゃなかったな」

 どうやら、交渉人のいない今のうちに話ができそうだ。

「悪魔は僕たちの足止めをして、例のデカブツを秘密裏に処理した、そういうこと?」

「そういうことだな。あの人外には大爆発の要素があり、可能な限り被害の少ない場所、無人の砂漠で処理したんだろう。私たちが連絡を受けて引き返すと、騎士団があの人外を追いかけ始める。それは都合が悪い」

「でも、悪魔も人外なんだから、同盟の協力を受ければよかったのでは、と思うけど」

「同盟はあまりに人間に近いし、組織としての柔軟性が、細部では硬直し始めているのかもな。実際、交渉人も言っていたが、同盟は二人の係員しか出さなかった。事態を知らなかったか、軽視していた証拠だろう」

 それはそうだけどさぁ……。

 人外は人間より長い時間を生きる分、より多くの経験を積んで、より正しい選択ができる、と僕は今まで、なんとなく想像していた、

 実際のところは、そうでもないのかもしれない。

 この任務は結局、騎士団からの通達でいろいろと変更があり、爆発の中心、爆心地を確認するように、というものに変わった。

 確認するも何も、まずは調査部門の専門チームが観測装置で遠くから安全を確認し、さらに別のチームが区域に足を踏み入れる。その後が僕たちの出番だ。

 僕たちが行く意味は、あまりない。形の上なんだろう。

 放射能も有毒物質も、高熱もないことが確認されるのに、四十八時間が必要だった。

 爆心地はちょっとしたクレーターだけど、想像より小さい。ただ地面がものすごく柔らかく、足が沈む。専用のスーツを着ているけど、革靴なんて履いていたら、とんでもなかった。

 どうも衝撃波を限定したがために、吹き飛んだ地面が再度、その限定された範囲内に降り注いだがために、こうなったらしい。

 結局、何も見つからないし、本当に眺めただけで終わってしまった。

 離れた場所にある観測拠点に戻って、通信による会議があって、それに参加したけど、僕たちは特に言うべきこともない。これでは本当に、ただの監督というか、観客だ。

 会議が終わってから、同盟からの出席者だった若者が、僕たちの元へやってきた。

「車のキーを受け取るように、承っています」

 エタニアがキーを放ると、彼は素早くそれを受け取り、去って行った。キーはもちろん例の老婆の車のキーだ。

「あの人、同盟の一員じゃないの?」

「人外というのは、謎な存在だよ」

 エタニアはそういうと、「食事にしよう」と歩き出した。

 謎な存在、ねぇ。

 僕にとっては、エタニアもだいぶ謎だけど。



(第6話 了)

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