第6-2話 無人の世界

 街はいい加減、無人のままだった。

 車の中で、エタニアは助手席のシートを倒して、横になっている。眠っているようではないけど目を閉じている。

 僕は運転席のシートに背中を預けて、じっと前を見ていた。

 すでに日が暮れた。

 食べ物についてはそれほど困っていない。何せ、ついさっきまで人がいたような状態なので、様々な食べ物、飲み物が町中にある。休もうと思えば、どこか適当な部屋の寝台を使うこともできたはずだ。

 悪魔カリギアは倒した。はずだった。

 しかし街の異常は一向に回復しない。僕は他の街の状態、ここら一帯の状態を知りたかったけど、エタニアがその提案を止めた。そうして何をするかと思ったら、少し休む、と言って、今の状態になった。

 こういう状況や、人外については僕よりもエタニアの方がスペシャリストだ。

 食べ物を取りに行っていいか、尋ねると、良いということだったので、僕は近くの食料品店からサンドイッチを調達した。お金をレジの前のカウンターにでも置くべきか迷ったけど、投げやりになって、やめてしまった。

 コーヒーが飲みたいな、と思ったので、図々しく、その食料品店のバックヤードに侵入し、そこで誰かのために温められていたコーヒーを手に入れた。

 車に戻ると、エタニアはピクリともしない。

「生きている?」

「当たり前だ」

 当たり前らしい。心配して損した、とも思わないあたりが、僕が善良な証拠だろう。

 一人でサンドイッチを頬張り、コーヒーで飲みくだした。

 で、日が水平線に落ちていくのをじっと見ていた。

 暗くなって街灯が灯った時、ゆっくりとエタニアが体を起こした。そして自分の服装を見て、そのボロボロさ加減にやっと気づいたらしく、「服を取りに行く」と言って、外に出て行く。なんとなく不安になって、僕も車を降りた。

「すぐ戻るから」

 そんなことを言われても、僕は納得しなかった。首を振って、ついていく。

 エタニアは、背広を商っている店を見つけると、そこから適当な背広を手に入れて、着替えた。彼が脱いだ背広を見ると、血に染まって破れたり避けたりしていて、それだけでも不安になる。

 車に戻りながら、エタニアが話し始めた。

「ここは現実じゃない」

「そうだと思ったよ」

 僕の冗談に、エタニアは小さく笑った。

「ここは現実世界の裏側だ。人間のいない世界。人外のいない世界。ただの器とも言える」

「そこに僕たちは飛ばされた?」

「飛ばされた、というのはやや表現が違うな。切り替えられた、という感じだ」

 ちょっと、すぐには理解できないな。

「でもカリギアは倒した。彼が僕たちをここへ放り込んだんでしょ? え、もしかして、彼を倒しちゃったがために、脱出方法がない、とか? そういうこと?」

「最もシンプルなのは、それなんだ。奴が私たちをここへ放り込んだ、なら奴が逆の手続きを踏めば、私たちは現実に戻れる」

 ちょっとちょっと、それは重大な事実では?

「それで、逆の手続きは、誰がやってくれる?」

「私たちが考えるしかあるまい」

 車まで戻って、エタニアが顔をしかめた。

「生臭いから、車を変えよう」

 確かに、車の中はエタニアが流した血のせいで、すごい臭いだ。さっきまで気づかなかったのが、不思議なほど。この車は現地調達品で、騎士団の備品じゃなくてよかった。

 ぶらぶらと街を歩いて、ちょうどいい自動車を発見する。ドアの鍵は開いているし、キーは刺さったままだった。

 エンジンを始動して、さて、どこへ行こう。

「来た道を戻るしかないだろうな」

 そのエタニアの言葉に従って、僕は車を走らせ始める。ヘッドライトが照らす砂漠の中の道を、来た時は対照的に、のんびり走る。

「エタニアはこういう場面に慣れているようだけど?」

「慣れちゃいない。三回しか経験はない」

「それだけでもびっくりだけどね、僕からすると。その時はどうやって脱出したの?」

「空間を捻じ曲げた」

 空間を捻じ曲げた。想像もできない魔法がありそうだ。

「何人で? 三人くらい?」

 適当に会話の継続を図ってみたけど、返事は黙り込むのに十分だった。

「十五人だ」

 なるほどね、十五人か。ここから出るのは僕とエタニアの他に、十三人が必要な計算になる。そして、こちら側にはどうやら基本的に人間がいない。

 八方塞がりじゃないか。

 しばらく無言でのドライブがあり、街は遠く離れ、だだっ広い砂漠の真ん中になる。

「悪魔は人外とは少し違う」

 急にエタニアが冷静な調子で話し始めた。

「人外の出現と同時にはっきりと認知されたが、悪魔は基本的に肉体を持たない。だが、犬神や祟り神とも違う。悪魔は、意識の集合に近いんだ」

 意識の集合?

「人外は人間よりも長い時間を生きるのはもう明らかにされている。その彼らの意識が、ディアに作用していく。ものすごく長い時間だ。徐々に徐々に、意識にさらされたディアが、それ自体として思考を持ち始める。だから、悪魔などと呼ばれるが、実際には善意の存在もある」

「その話、騎士団の基礎教程でも習わなかったけど」

「どう習った?」

「えーっと」なんだったかな。「忘れた。ただ、人外の一種で、驚異的な生命力と戦闘力を持つ、くらいだったかも」

 ふむ、とエタニアが頷く。

「騎士団は公にはしないが、人間社会の一部に、人外の勢力が食い込んでいる。同盟の手先の場合もあるが、そもそもが人間に好意的な人外、ということだ。これは騎士団、教会、機関といった、第一線の組織にも言える」

「スパイ、ではないんだね? どういう立場だろう?」

「協力者、としか言えないな」

 僕は携帯端末を取り出して、現在位置を確認。しかしそれはできなかった。圏外。それもそうか。

 諦めで、ダッシュボードに端末を放っておく。

「それでエタニアは何を言いたいわけ?」

「カリギアがどういう立場か、わからない」

「敵じゃないの?」

「なぜ私たちを狙う? 理由がわからない」

 それはそうだけど、相手は人外、悪魔なわけで。反動分子かもしれないし。もしくは……、そうか、どういう可能性があるのか、よく分からないな。

「あの木のところに止めてくれ」

 エタニアが指差す。木なんて見ないぞ、と思ったら、最初は影として見えてきて、ヘッドライトの中にくっきりと現れた。目の良い奴だなぁ。

 車を止めて、しばらく二人じっとしていた。なんでかは知らないけど、エタニアは車を降りようとしなかった。

 しばらくの沈黙。

「来たか」

 何を言っているかわからなかったけど、その光を見逃すはずもない。

 僕たちが走ってきたのとは逆方向から、車がやってくる。他に人間がいた?

 エタニアと一緒に外へ出て、その車が近くに止まるのを待ち受けた。エンジンが止まり、ヘッドライトが消された。

「いい夜ですね」

 車から降りてきたのは、老婆だった。服装に特徴はない。ただ、片手の指の先で車のキーのついたキーホルダーをグルグル振り回しているのが、不似合いではある。

 その老婆の前にエタニアが進み出て、軽く頭を下げた。

「お久しぶりです、天位さま」

 テンイサマ? なんだろう?

 よく飲み込めない僕をよそに、老婆がエタニアに歩み寄り、ポンポンとその腕を叩いた。これも老婆らしくない、なんか、若々しい素振りだ。

「元気そうで何よりだよ、千年王国」

「その名前は、今は名乗っておりません」

「そうかい。「十二騎士」でもないんだったね?」

「今はただの、騎士団の一員です」

 ホッホッホと愉快そうに老婆が笑い、手で口元を隠した。

「噂の通り、酔狂な男だこと。この百年で、何かあったのかい?」

 ちらっとエタニアが僕のほうを見たけど、何のことかわからない。

 そもそも千年王国も十二騎士も、よく分からないし。

 老婆が僕をじっと見て、少し離れていたので、手招きしてくる。しかしこのおばあさんは、何者だ?

 歩み寄ると、彼女はしげしげと僕を見て、それからまたエタニアの方を向いた。

「鏡の血だね」

 今度はさすがにびっくりした。

 僕の体に宿る魔法は、騎士団の中でも秘匿度の高い情報とされているし、僕から誰かに伝えることも滅多にない。

 この老婆がどうやって見抜いたのか、想像もできなかった。

 エタニアは無言で軽く頭を下げている。また短く笑った老婆が、こちらにもう一度、向き直ると、こちらの目を覗き込んでくる。

「この男のことを信用しちゃいけないよ」

「それは僕が決めます」

 答えてから、しまった、と思ったけど遅い。

 瞬間、老婆からものすごい殺気が放出されて、危うく僕は尻餅をつきそうになった。反射的に踏ん張って、仰け反るくらいで済ませられた。

 ただ、老婆もすぐに殺気を消すと、その驚異的な気迫とは裏腹に、柔らかい笑みを見せた。

「そうかい。なら、そうすればいい。忠告はしたよ」

 さすがにビビって、僕は何も答えられなかった。

 老婆が顔を上げる。空を見上げている。何かあるのだろうか?

 僕は顔を上げた。

 夜空に、満月がある。今日は、満月だったっけ?

「いい夜だね」

 老婆の声に視線を下げた。

 老婆はもう、いなくなっていた。

 地面にただ、ポツンとキーが落ちていた。


(続く)




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