秘密裏の作戦
第6-1話 逃走
とんでもないことになった。
僕は車の運転席で、アクセルを底まで踏みつけて車を走らせてる。
助手席にはエタニアがいるが、左手で腹部を押さえている。背広は真っ赤に染まっているが、血は止まったようだ。ただ、彼の体はまだ小刻みに震えている。
周囲は砂漠のような景色だったが、前方に街が見えてくる。
「エタニア、医者を探すけど、それでいいよね」
「たぶん、無理だろうな」
「え? もしかして、死にそう?」
冗談で言ってみると、エタニアがわずかに笑った。
「死ぬわけがないだろ。ただ、あの街では無理だ、ということだ」
「なんで?」
「言ってみればわかるさ」
車はすぐに街の中に入ったけど、僕にもすぐエタニアの予想を理解できた。
こういうことか。
街は無人だった。しかし人がいた痕跡はある。それもついさっきまで、いたような痕跡。
でも、人がいないのは事実だ。
「ここはあいつの作った世界の中だ」
車を止めて、どうするべきか尋ねようと思ったら、エタニアの方が即座にそう言った。
「脱出方法に心当たりは?」
「ないな。あの悪魔を倒す必要がある」
うーん、その悪魔は後方十キロのあたりに置き去りにしたけど。
まさか、今から戻る必要があるのか?
心踊らない状況だなぁ。
「おやおや、お二人さん」
甲高い声が響いた。どうやら、こちらから探す手間はなくなった。
僕とエタニアは車の外に出て、声の方を見た。三階建ての建物の屋上。その淵にその男は腰掛けていた。
真っ赤な瞳と、真っ赤な髪の毛。
見ているだけで不愉快になる、ニヤニヤ笑い。
「どちらへ行くつもりだったかな?」
「そちらさんを探そうと思ったところさ」
強がりで答えつつ、僕は腰のナイフを抜いて、右手の親指の先を切った。血が噴き出し、それがそのまま僕の全身を覆う。
エタニアは、左腕が裂け、そこから真っ黒い剣を引き抜いた。前の白い剣とは違う。
男、カリギアが跳ねるように空中に飛び出し、こちらに向かって落ちてくる。
「さあ、足掻いて見せろ、人間!」
時間は三十分前にさかのぼる。
僕とエタニアはアメリカ南部のその砂漠地帯で、立ち往生した人外の巨大生物と現地住民の折衝をフォローした。騎士団の調整部門の交渉人の護衛のような仕事だ。
結局、巨大生物を回収するために、同盟の一員が来ることになって、交渉人はそこに残った。
僕とエタニアがそこを離れたのは、騎士団からの次の指令が来たからで、二十キロ離れた場所にある空港で飛行機に乗るように、という内容だった。
ここではまだ呑気なもので、エタニアをからかったり、例の巨大生物について話したりしていた。
けど、道路に突然、その男が立ちふさがり、僕は慌ててブレーキを踏んだ。
なんだ?
僕がクラクションを押そうとした手を、エタニアが掴み止めたので、思わず彼の顔を見ると、真剣な顔で男を見ている。その視線を追ったけど、どこにでもいそうな男だ。
ヒッチハイカーにも見えないけど、なんだろう?
「騎士団の人間だね? お二人さん」
どこか毒々しい口調でそういった男の髪の毛が、真っ赤に変わり、瞳が赤く光りを発する。
赤い髪、赤い瞳。それは、悪魔の特徴だ。
「いつでも出せるようにしておけ」
硬い口調で言って、エタニアが外へ出ようとする。
「僕も行くよ」
「危険だから、待っていろ」
うーん、そう言われると、ちょっと、遠慮するかも。
というわけで、僕はエンジンをかけたまま、悪魔と向かい合うエタニアを見ていた。
「俺の名前はカリギア、この通り、悪魔などと呼ばれる存在だ」
「自己紹介、ありがとう」
「感謝には及ばないよ、千年王国」
ここでもその名前だ。いったい、どういう意味があるんだろう?
エタニアが軽く肩をすくめた。
「悪いが、そちらさんと関わっている暇はないんだ。どいてくれ」
「それも無理だ」
パチンと悪魔が指を鳴らした。
でも、何も起こらない。
何をしたんだ?
僕が混乱しているうちにエタニアは何かに気づいたようだ。
拳銃を抜いて、カリギアに向かって飛び出していく。人間離れした間合いの詰め方に、悪魔は反応できなかった。
ピタリと銃口が悪魔の額に触れた時、彼は少しも対応しなかった。
引き金が連続して引かれて、三つが一つになった銃声が響く。今回は消音器をつけてない。アメリカだし。
で、悪魔はといえば、ほとんど頭がフッ飛んで、地面に倒れこんだ。その体、たぶん心臓に向けて、エタニアはまた連射する。
こうして頭と胸をぐずぐずにされた悪魔は動かなくなった。
はずだった。
腕が翻って、エタニアの腹部を貫いたのは、僕には意外というより、冗談のようだった。
そもそも、腕が届く距離ではない。
カリギアの腕が、伸びていた。
でも彼は死んでいる。
悪魔の不死性は、頭と心臓の破壊に耐える例もあるが、しかし、エタニアがやったのだから、絶対に倒したはず。
全てがめちゃくちゃだった。
よろめいたエタニアの腹部からカリギアの腕が引き抜かれる。
「銃弾のお礼はお気に召したかな? 千年王国」
そのカリギアの声はかなり濁っているが、喋っているうちに正常になった。
数歩、よろめいてから姿勢を取り戻したエタニアが、素早く拳銃の弾倉を取り替えた。
一方のカリギアは、不自然な姿勢を起き上がり、両手で頭をこねくり回している。その手が離れると、頭は元通りになっていた。流血の痕跡すらない。
どうなっているんだろう? 何が起こっている?
ブンとカリギアが腕を振るうと、それが一気に伸びて、エタニアを薙ぎ払う。いや、エタニアはその腕を掴み止めて、捻ってへし折ると、さらにそれを振って、カリギアを逆に振り回した。
悲鳴を上げたカリギアは頭から地面に叩きつけられ、動かなくなる。
それに一顧だにせず、エタニアが車へ戻ってくる。
「行くぞ!」
僕はエタニアが乗り込んだのを見て、ドアを閉めるのは待たずにアクセルを踏んだ。
「どうなっているの? あの悪魔は、なんで死なない?」
「ちょっと黙っていろ」
苦しげなエタニアが腹部を押さえて、身を屈める。
なんだろう? そんなに痛いのか? いやいや、痛いに決まっているけど。
しばらく唸っていたエタニアが、ぐっと自分の腹から何かを引っ張り出した。
「全部は無理か……」
エタニアの手の中には、どす黒い液体があった。一人でに揺らめく、違う、蠢いている。
その液体が、エタニアの手の中で起こった真っ青な炎に飲まれて消える。
「事態はかなり悪いぞ、咲耶」
シートにもたれかかり、まだ腹部を押さえたまま、エタニアがそう言ったので、どうやらトークは許されそうだ。
「エタニアがしくじるなんて、珍しいね」
「倒したはずだった。しかし、あの様子を見ると、事態はそれほど楽観できない」
「どういう事態を想定している?」
「まだわからないな、まずは休もう」
というわけで、街まで突っ走ったわけだけど、カリギアは即座に追いついてきたことになる。
僕の魔法の中でも最大の防御力を持つ血液の鎧を、悪魔の打撃が打つ。
貫通されなくても、ものすごい力だ。足が地面を離れ、建物の壁に衝突。衝撃の強過ぎて、壁をぶち抜いていた。
「くそ!」
建物の瓦礫をかき分け、外へ。
通りでエタニアとカリギアが切り結んでいた。エタニアの黒い剣はカリギアに触れると、パッと小さく光を放ち、それと同時にごっそりと悪魔の体が失われる。
だが、即座に回復する。無尽蔵の回復力があるのかもしれない。
一方のカリギアの攻撃は、エタニアの背広を破壊し、その奥の肉を切り裂いている。ただし悪魔の攻撃は武器ではなく、打撃と、爪による斬撃だ。
両者には体術で差があるのかもしれないし、武装には明らかに差がある。ダメージもカリギアの方が重い。
ただし、そのダメージは即座に回復される。
僕は飛び込むタイミングを探したけど、それは必要なくなった。
エタニアの手から黒い剣が弾き飛ばされ、そこを逃さず、カリギアによる強烈な蹴り。
胸のど真ん中を打たれたエタニアが宙を舞う。僕は彼が建物に衝突する寸前に割り込み、そのまま受け止める。血液を操ったけど、めちゃくちゃな勢いだったので僕たちはそのまま壁を粉砕し、建物の中に転がる。
「大丈夫?」
またも瓦礫をどけて、立ち上がる。エタニアに手を貸した。
「おやおや、これはまた、仲がいいことで」
壁にできた穴の向こうに、カリギアが立った。
ちょっと、この状況を逆転する方法が思いつけない。
そんな僕の横で、エタニアがカリギアの方に手を伸ばした。なんだろう?
カリギアが口を開こうとした。
でも、無理だった。
甲高い音と共にエタニアの手の中に、黒い剣が現れていた。それは、建物の外から一人ですっ飛んできたのだ。
それも、カリギアの頭を破壊して。
先程と違い、痕跡も残さず頭を破壊されたカリギアの体が、ばたりと倒れる。そのまま、影に落ちていくように消えてしまった。
「わお、びっくり」
僕が思わずそういうと、エタニアが右手の剣を左手に戻した。
ガクッと膝をついたので、思わず僕が慌てた。
そんな僕を押しとどめつつ、エタニアは深く息を吐く。
「まだ終わっちゃいないぞ」
え? そうなの?
(続く)
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