祟り神
第5-1話 人外の思考
とんでもないど田舎だった。いや、違うな、未開の地か。
まず山道というか、ケモノ道を進んでいる時点で、まともじゃない。ケモノ道も純度百パーセントと言わんばかりのケモノ道。先導する男の背中を追って、まずエタニアが進み、僕が続く。
今回ばかりは背広を着ていくわけには行かず、アウトドアスタイル、と言っても、騎士団の中でも特殊部隊の位置付けの部隊が装備する服装だ。周囲に人の痕跡すらないのに、僕たちは重装備だった。肩から軽機関銃がぶら下がっていて、腰には二つ、卵型の手榴弾があった。
先頭の男の装備は、非常に軽装で、こちらはまるで猟師のようなスタイルだ。
人間だと言われたら、僕は疑いもしないだろう。
実際は同盟から派遣された捜査官で、人間ではない。
亜人だろうけど、しかしフレアを感知することができない。人間と見せる偽装は完璧だ。
さて。それで僕たちが何をしているかといえば、麓の村の猟師から通報があった、人外を調査している。
その猟師の目撃は、彼が言うところ「巨大」なドラゴンが、この山に向かって墜落した、というものだった。
この手の通報は、まず国の警察に届き、そこから騎士団、教会、機関のどこかへ話がいく。
今回は騎士団まで話が来たわけだけど、普通は調査部門か、同盟との取り決めもあって人外を保護する救助部門が動く。
ただ、そうはならずに、銀狼騎士団が動くことになり、僕とエタニアが選ばれた。
調査部門や救助部門ではなかった理由は、同盟からの通達によると僕たちは知っている。
どうやら目撃されたドラゴンは同盟の中でも大きな存在らしい。同盟は騎士団に自分たちの捜査員を同行させるように求め、同時に、今後の展開をある程度、理論的に説明したらしい。
いわく、ドラゴンは祟り神に侵食されている。
これは騎士団にとっても看過できない事実だ。
祟り神は、人外に巣食う悪意のようなもので、未だに人類はこれを科学的に証明できない。
ちなみに、人類に祟り神が取り付くこと、発生することは、今のところ、確認できていなかった。
そんなわけで、騎士団は戦闘力のある僕とエタニアを選び、そして今、先頭を行く男が同盟からの捜査員として、一緒に行動することになった。
彼は柳と名乗った。姿もアジア人で、日本人に近い。背はそれほど高くないけど、細身で、身のこなしは軽快だ。
しばらく先へ進むと、河原に出た。柳が立ち止まり、こちらに柔らかい笑みを見せた。
「少し休みましょう」
エタニアがすぐに荷物を降ろし、「ちょっと様子を見てくる」と言って離れようとする。
「エタニアさん、休んだ方がいいのでは?」
柳の声に、エタニアは軽く手を振って、何も言わないまま川の下流の方へ行ってしまった。
気まずいじゃないか。
それに柳がもし何かしたら、どうするんだ? 何かっていうのは、まぁ、僕が襲われるとか、そういうことだけど。
柳も荷物を降ろし、自分の水筒から水を少しずつ飲んでいる。僕も水筒を取り出した。
でもなんとなく、柳を見てしまう。彼はすぐにこちらに視線に気づいた。
「ただの水ですよ」
いや、そうじゃなくて。
「人間にしか見えないな、と思って」
「ああ、そのことですか。我々は騎士団の方の想像よりも深く、人類社会に紛れ込んでいるんです」
その辺りは、人外紛争の後に、人類と同盟が様々な取り決めを設定して、その中に人外による人類社会への関わり方に触れるものがあったはず。
あの取り決めは、ちょっと複雑すぎて、僕も細部は知らなかった。
黙っている僕に、柳が微笑んでいる。
「あなたは正直ですね、木花さん」
「そうですか?」なんとなく頬を手で撫でてしまった。「顔に何か、書いてありますか?」
「人外に恐怖を感じていますね」
む。ちょっと反発したいけど、それができないというのは、つまり、恐怖があるのかもしれない。
だって、仕方ないじゃないか。
「私が怖いんですね?」
「それが騎士団員の常識ですよ。人間に近い人外ほど、警戒すべし」
「まさに」
荷物を少し漁った柳が、何かをこちらへ投げてきた。受け取ると、キャンディだった。ちょっと気が抜けてしまうな。
「私たち同盟は、人間に害意を持っていません」
僕がキャンディを舐め始めると、柳が控えめな調子で話し始めた。
「我々が人類にはっきりとした形で接したのは、人類との共存こそが生き残る道と考えたからです。反動分子の存在ははっきりしていましたが、制圧できる、という見込みでした」
「有名な奴ですね。「同盟の誤算」」
僕がそういうと、少し、柳が顔をしかめた。
「正しく、誤算でした。人外紛争は、我々の想像を超えていた。その点は、未来まで、私たちが背負う罪であり、謝罪しなければいけません」
世に「同盟の誤算」と表現される事態は、同盟の思想に逆らう、反動分子の勢力の大きさが、同盟の当初の予定を大幅に超えて巨大だった、ということを示す。
今もまだ、反動分子は消えることがなく、闘争は日夜、繰り広げられている。
「私たちに敵意がないことを、忘れないでください」
急にそんなことを言って、柳が頭を下げたので、僕は慌ててしまった。
「疑ってないですよ。それは、騎士団の方針ではなく、僕個人の感想です」
空気が少し緩んで、柳がさっきより控えめに笑みを見せた。
「今回は、我々の意向を飲んでいただいたのですから、お二人には無事に、帰還していただかなくてはいけません」
「ええ、それは、そうですが、柳さんも無事に帰って欲しいと思います」
半分は冗談だったけど、そこは伝わったらしい、柳が目を細めてそれがわかった。
「私は人外です、あなたよりは頑丈にできている」
「僕も魔法使いですから、一般人よりは頑丈です」
前に頭を粉砕されかけたけど生きていたし、とは言えないけど。
少しの間、それぞれに無言で水をちびちびと飲んだ。
予定ではこの山の中で二泊する。水は貴重かな、と思っていたけど、すぐそばに川が流れているし、その水も沸騰させれば飲めるだろう。食料の方は、特殊部隊用の糧食があるので、問題ない。
「あの方のことをどれほどご存知ですか?」
真剣な調子で柳がそう言ったけど、誰のことかわからなかった。
「あの方?」
「エタニアさんです」
ああ、そうか。どうも柳はエタニアがただの魔法使いではないことを知っている、もしくは見抜いているらしい。
「僕はそれほど知りませんよ。謎の多い奴だから」
「どれくらいのお付き合いですか?」
「そうですね。二年、かな。あなた方からしたら、一瞬みたいなものですが」
後半のジョークを、柳は無視した。
「あの方は、不自然な存在です」
不自然? 僕が見返すと、柳は足元に視線を落としている。
「人外ではなく、しかし人間でもない。いえ、最初はどちらかだったのでしょう。でも今は、もはや何者でもない」
呟くような声は、周囲が静かなので、よく聞こえた。
何者でもない?
僕が反射的に、勢い込んで反論しようとした時、足音がした。
僕と柳はパッとそちらを見て、そこにいたエタニアが目を丸くしている。その手に木の実、果物を三つ、持っている。
「話の邪魔をしたか?」
ぽいっとエタニアが投げてきた赤い実を受け取る。プラムかな?
彼はもう一個を柳に投げた。柳も受け取って、軽く頭を下げた。
会話を続ける感じでもなくなり、三人で黙って果実に歯を立てた。いい具合に熟れているけど、それでも酸っぱい。ただ、自然を感じるというか、新鮮だし、お店で売られているものとはどこか違う。
「水を汲んできます」
柳が立ち上がり、荷物の中から取り出した折りたたみ式の容器を広げ、小川の方へ行く。彼と少し距離ができてから、僕はエタニアに囁いた。
「彼はエタニアのことを知っているようだけど?」
それを聞いても、エタニアには変化はない。ただ、軽く頷いて、果物を食べている。
「エタニアは彼を知っている?」
今度は横に首を振る。なんで言葉で答えないんだ?
……そうか、柳の聴力を気にしているんだ。離れていても聞かれている可能性がある、とエタニアは暗に僕に伝えたいようでもある。
うーん、仲間なんだから、もう少し信用してもいい気がするけど。
エタニアは別に人間だろうが人外だろうが、気にしないタイプに見えるけど、今回の任務のシチュエーションでは、そうも言っていられない、ってことなんだろうか?
柳の背中を見る。人間そのものだ。
「二人とも! こちらへ!」
急にその柳が声を出したので、びっくりした。しかもかなり真剣だ。
僕たちは素早く立ち上がり、小走りに小川に近づいた。
「どうかしましたか?」
僕が尋ねると、柳は川面を指差している。
「フレアが妙な変異をしています」
言われても普通の状態ではフレアの様子は見えない。僕は体内のディアを活性化し、周囲のフレアと接続。視覚にフレアの流れが差し込まれる。
エタニアはとっくに、気づいていたようで、もう上流の方を見ている。柳もだ。
僕だけが、目の前の川面を見て、呻いている。
「これは、血?」
さっきまでは見えなかったフレアが川面を、まるで水に油を落としたように、流れていく。
エタニアと柳の視線を追う。小川の上流は、蛇行しているために森の中へ消えている。
「上へ行ってみましょう」
柳がそう言って荷物の方へ向かった。僕とエタニアもそれを追う。
「集中しておけよ」
エタニアがそんなことを僕に囁いた。
(続く)
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