第5-2話 人外の友情
川を一時間ほど遡った時、そこにたどり着いた。
小さな滝があり、その滝壺に巨体を半分沈めて、ドラゴンが横たわっている。
それを見た時、柳が荷物を全部放り出して走り出し、水の中に踏み込むと、腰近くまでの水位位をものともせず、ドラゴンのそばに立った。
彼はドラゴンの体に手を当て、何か言っているが、ドラゴンは反応しない。
ただ、死んではいないようで、わずかに体が動いている。呼吸の証拠だ。
僕は状況がわからず、エタニアを見てしまった。彼はじっとドラゴンと柳の方を見ていて、僕にはちらとも視線を向けない。
ドラゴンは祟り神に取り憑かれている、という話だった。
でも今、こうして目の前にしてみれば、ただのドラゴンだし、動かないところを見ると、半死半生だった。
ドラゴンと言っても、僕が何度も見ている見世物のドラゴンよりは巨大だけど、年齢はたぶん、三百歳くらいだろう。ドラゴンの中では若いし、超強力なドラゴンと比べれば小さいと言える。
僕はしばらく柳が何をしているのか、確認していた。彼はドラゴンの首筋に触れ、そこをゆっくりと撫でつつ、まだ何か、話していた。
「長くなるかな」
なんとなく僕が呟くと、エタニアが隣で鼻で笑った。
「長くはないだろう」
不吉なことを言わないでくれよ。
結局、柳は十分ほど滝壺の中でドラゴンに語りかけてから、やっとこちらへ戻ってきた。
「とりあえず、ここで野営したのですが」
もちろん、断る理由はないし、すでに日が暮れかかっている。
滝を形成しているちょっとした崖も利用して安全な地点にテントを張った。そして食事になるわけだけど、テントを張り終わった途端、エタニアがまたどこかへ行ってしまった。
「本人は気にしないだろうけど、待ちますか」
僕の言葉に、柳が頷く。ここに着いてから、彼はどこか意気消沈して見える。
「あのドラゴンには、どんな言葉を?」
ここで情報収集しておこうと、僕は柳に質問してみた。
彼は魔法で起こした焚き火を見ながら、答えてくれた。
「まずは、状態を確認しました。本人は体に深手を負っていて、回復が追いつかない、と教えてくれました」
ちょっと驚く内容だな。
人外は人間に比べて圧倒的な回復力、治癒力を持つ。その人外の中でも、ドラゴンの生命力は群を抜いているとされる。過去の例では、体を半分、消し飛ばされても回復した個体もあったはずだ。
今、滝壺で動かないドラゴンは、そこまでの力はなくても、しかし、回復力が不足するとは、どういうことだろう。
「どうやら、祟り神による侵食は、相当、進んでいます」
柳がそう言ったので、僕は自然と深追いできた。
「祟り神が、回復を妨げている?」
「そうです。祟り神は、人外の生命力を奪い、そしてその体を奪うものです。純粋な霊体に近いんですよ。肉体を持たず、他の個体の肉体を奪う」
僕は改めて、ドラゴンを見た。
うーん、まだドラゴンにしか見えないけど。出発前に資料で見た祟り神の映像は、なんというか、粒子の塊のようだった。ただし、祟り神が個体を支配する過程の映像は、なかった。
その理由はよくわからないけど、まぁ、実際にこの目で見るかもしれないし、いいか。
気配がして、エタニアが戻ってきた。その手にはウサギがぶら下がっている。おいおい、どうするんだよ。
「食料はちゃんとあるから、逃がしてあげなよ」
「お前に食べさせるためじゃない」
エタニアは僕たちの脇を抜けて滝壺へずんずん入っていくと、長い首を丸めて、水面近くにあるドラゴンの頭に近づくと、その口の中にうさぎを突っ込んだ。
わずかにドラゴンが動く。僕が見ている中で、初めて動いたことになる。
それでもすぐに元の姿勢に戻り、動かなくなる。エタニアが河原に戻ってきて、軽く腕を振ると、彼の体の水分が全部、吹き飛ぶ。魔法を乾燥機代わりに使ったのか。器用なことで。
「ありがとうございます、エタニアさん」
「あんたからフレアの供給を受けただろうから、余計かなとも思ったが、受け入れられて良かった」
柳とエタニアが笑みを交わしている。なんだ、気が合うんじゃないか。しかしエタニアも、もし腕を噛みちぎられたら、どうするつもりだったんだろう?
そんな場面の後、やっと僕たちは食事を始めた。
「祟り神が巣食っているのは間違いないのか?」
「ええ。だいぶ、深くまで食い込んでいます。外科的に取り除ける段階ではないですし、それに大きな切除を行ったら、あのドラゴンは死んでしまうでしょう。精神はまだはっきりしていますが、それも一日程度だろうと、私には見えます。彼自身は、三日、と言っていますけど、強がりかと思います」
食事の中で、そんな会話があった。
エタニアは沸かしたばかりのお湯で淹れたお茶を飲みながら、ドラゴンの方をじっと見ていた。柳もだ。
「殺してやるのも、一つのやり方ではある」
エタニアは冷ややかとも受け取れる口調で言うけど、それには柳が首を振った。
「それは彼への冒涜です」
「そうかな。祟り神になって、私たちが処理するよりは、尊厳は保たれる」
「あなたにはわからないのですか?」
鋭い柳の視線を、エタニアは正面から受け止めた。急に火花が散りそうな激しい気配が起こり、僕は彼らを見ているしかできない。
「わかるさ。あいつは、自分がまだ生きていることを、生かされている、と考えているんだろう? 生かされているものを、むざむざ捨てるのは、大いなる意思に反する。そういうことだろう?」
柳が黙り込んでしまい、でも僕だって何も言えない。
大いなる意思、という存在は僕も知っている。知っているけど、それはほとんど人外の知的存在が信じる宗教のようなもの、という程度の理解しかないのだ。
人外にも神はいるのだ。
「あなたは、どうするのが良いと?」
柳の瞳には、どこか縋るような色があった。それを受けたエタニアはどこか不愉快そうだった。どうしてだろう?
「それはお前たちが決めればいい。私は、同盟の人間ではない」
同盟の人間?
聞き流しても良かったけど、ちょっと気になる言葉だった。
同盟は基本的に人外の集団だ。そこに人間はいないんじゃないの?
そのことを聞く前に、柳が言った。
「同盟は、彼を祟り神に飲まれる前に処刑せよ、と私に命じています」
処刑? この言葉の方に、僕の注意が引かれた。
「あのドラゴンは何をしたの?」
「それは……」柳は苦渋に満ちた表情で、答えた。「人間を、殺しました」
エタニアは鼻で笑ったけど、僕はそこまで残酷にはなれなかった。
今、滝壺で動かないドラゴンは、同盟の一員だ。同盟は人間と共同歩調を取る。それが、どうして人間を殺す?
「祟り神のせいで?」
僕の質問に柳はゆっくりとした口調で応じる。
「それは、違います。祟り神は、彼の良心の呵責に、忍び寄ったのです」
ますます祟り神のことがわからなくなった。
「お前はあのドラゴンの友人なんだろう? それで、人間に害した人外を認めない、という同盟の意向に反する行動を取っている」
エタニアの指摘に、柳はぐっと項垂れ、でもすぐに顔を上げた。
「友のことを思うのが、それほど悪いことですか?」
さっきまでの残酷さ、冷酷さはどこへ行ったのか、エタニアは何も言わなかった。何も言わないまま、僕を見た。
なんで僕を見るの?
僕も彼を見返したけど、焚き火の火が唯一の灯りのせいか、あまり彼の意思は読み取れなかった。すぐに視線が逸らされ、エタニアも柳と同様、じっと焚き火を見ている。
僕だったらどうするだろう?
自分の友人が罪を犯し、目の前で瀕死の状態でいる。自分が所属する集団から、その友人を処刑する命令を受ける。
うーん、わかりづらい。ちょっと置き換えてみよう。
例えば。
エタニアが人間を殺してしまって、しかし、僕の目の前で動けないほどの重傷を負っている。そして騎士団は僕に、エタニアを処刑する任務を課す。
おっと、途端にリアルになったぞ。
僕はエタニアを殺せるだろうか? うーん、ちょっと、というか、かなり想像しづらい。
ただ、助命を懇願するだろうし、それが聞き届けられなければ、エタニアの処刑は僕にはできない、と主張すると思う。
だって、エタニアは僕と何度も一緒に仕事をしているし、どう表現していいかはわからないけど、ただの知り合い、という程度の関係ではない。
簡単に、エタニアを処刑なんて、できないだろう。
例え、彼が罪人で、その上、逃げも隠れできず、何の抵抗をしないとしても。
そんな具合で、三人ともが何か考えたまま、時間は過ぎた。誰からともなく休むことになり、柳が火の番をすると言ったので、僕とエタニアはそれぞれにテントの中に入った。
僕はなかなか寝付けないまま、テントの布地越しの外の明かりを、長い間、見つめていた。
(続く)
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