第4-3話 失敗
◆
カジノルームのスロット台の中から起き上がりつつ、エタニアは自分に強すぎる殺意を向けてくる二人を見た。
人間に見えるが、フレアの放出から見ると、人外と人間のミックスだ。
そういう存在に特有の、紫色の炎が彼らを取り巻いている。
片方の男はコインに右目を潰されている、と思ったら、目の前で修復された。超回復、超治癒、厄介な能力だ。エタニアは戦術を練り始めた。
「話し合いに応じてもいい」
とりあえず、話しかけてみるが、返事はない。
男の片方が、両手を持ち上げた。その両手の手首から先が消える。紫の炎が細く細く枝分かれするのが、エタニアには見えた。
その紫色の光の糸が襲いかかってくるのも、見えている。
「霊糸か」
両腕を持ち上げている男が驚愕、まるで神の存在を目の当たりにしたかのように、目を見開く。一方のエタニアはといえば、平然と、左手を持ち上げているだけだ。
魔法に関する高い能力の持ち主には、それが見えたはずだ。
男の両手首から伸びるディアとフレアの混合体の糸が、全て、エタニアの左手に絡め取られているのが。
「くだらない遊びはやめてくれ」
ふっとエタニアの左手が消えたのは、実際に消えたのではなく、超高速で動いただけだ。
ただ、その影響は甚大だった。
そばにあったルーレット台が、いきなりバラバラに解体された。
それが、ディアとフレアの混合体からなる糸、霊糸による力だった。
万物を切り裂く、不可視の刃。
それをエタニアは絡め取り、そして今、その霊糸を操っているはずの男が宙に舞い、床に足が着く前に自身の霊糸に包まれている。
絶叫する余地はあったようで、男は大音声を発すると同時に、霊糸を解除する間もなく、自身の魔法によって、バラバラ死体へと姿を変えた。
「そちらの君は、私に何を見せてくれるのかな」
軽く左手を振って、エタニアが間合いを詰める。まずスロット台の残骸を踏み越え、ルーレット台の残骸を踏み越え、そして男の死体の残骸を踏み越え、進む。
顔面蒼白の人外の男は、それでも逃げはしなかった。
目が真っ赤に染まり、彼の周囲でフレアが渦巻く。
なるほど、亜人の類か。エタニアはその様子を眺めて、感慨もなく、思った。
たかが亜人、たかが魔法、たかが人外。
自分に向かってくるには、遠すぎる。
亜人の男の周囲でディアが高速で回り始める。そしてそのディアの渦が、超高速のまま、解き放たれた。
カジノルームをディアの奔流が吹き荒れ、全てをなぎ倒した。
◆
背後で轟音とともに足元がグラグラ揺れた。
おいおい、エタニアの奴、何をしているんだよ。
榊玲子を追って、僕はグランド・ノア号のラウンジまで来ていた。しかし乗客が多すぎて、榊玲子を見失ってしまった。さっさと無関係な乗客は部屋に戻ってくれ。
ただ、それでも彼女が向かう場所は、多くない。
近くにいた船員に身分を明かし、貨物室への出入りを全部、止めるように指示した。僕みたいな若造が銀狼騎士団の団員であるのに驚いたようだが、彼はすぐに動いてくれた。
貨物室が封鎖されれば、何かしらの大型の荷物なら動きを止められる。
それ以外の、持ち運べるものは、自然、自分の部屋にあるはずだ。
僕は乗客をかき分け、例の通路へ戻る。乗客の姿はなく、壁の破損もブルーシートで覆われていた。警備担当らしい船員が数人立っている。
「どなたか通りましたか?」
一番近い船員に尋ねると、訝しげな顔で、
「女性が一人」
と、返事があった。
僕は頷いて、彼らの前をゆっくりと通り過ぎ、ついこの前、調査部から伝えられていた部屋のドアを開ける。
鍵はかかっていなかった。
窓が、開いているのが見えた。
開いていると言っても、窓は開閉できるようにはできていない。
ガラスがぶち破られているのだ。控えめにカーテンが揺れていた。
「逃げた?」
警戒しつつ、窓際に歩み寄る。部屋には人の気配はない。
窓ガラスがあったところから外を覗くと、海面が見える。かなり離れている。落ちて無事で済むかは曖昧だけど、ただし、ここは大海原のど真ん中だ。筏も何もなく漂流して助かるとも思えない。
どこか釈然としないものを感じつつ、部屋を確認する。カバンが開けられた状態でベッドの上にあった。何がなくなっているかは、僕には知る術がない。
これはどうも、エタニアに叱られるかもしれないな。
仕方なく、僕は部屋を出て船員に部屋への立ち入りを制限するようにお願いして、カジノルームに向かった。
もうあれ以来、音も不自然な振動もない。
エタニアはうまくやったかな?
◆
エタニアは埃っぽいカジノルームを出て、通路に移動する。
片手で亜人の男の首を掴んでいる。亜人は下半身を失っているが、エタニアとしては、生きていればいいだけで、体の損害など考慮の範囲になかった。
乗客が悲鳴をあげ、船員も血相を変えている。
亜人を放り捨て、一度、エタニアは咳をした。濁った音ともに口元を押さえた手に血が散った。それを見て、やや目を見開いて、それからエタニアは笑った。
「だ、大丈夫ですか?」
やっと船員の一人がエタニアに歩み寄る。
「私はいい。この男を死なないようにしてくれればいい」
エタニアは足元に転がる亜人の上半身を再確認する。大出血のせいで土気色だが、かすかに呼吸はしている。ただ、あまりに重傷、というか重体なので、この船の医療設備で命を繋ぎとめられるかは、微妙だろう。
「エタニア!」
恐怖に怯える乗客の輪の中から、木花咲耶がやってきた。エタニアを見て血相を変えている咲耶を見て、エタニアはなんとなく、愉快な気持ちになった。
なんとなく、エタニアからすれば、咲耶は優しすぎるし、心配性な面が強いように見える。ただ一方で、ものすごく強気でもある。
人間、もしくは、若い、ということはこういうことかもしれない。
「大丈夫? 怪我しているようだけど?」
背広が血まみれだが、既に治癒は終わっている。エタニアは軽く頷き、口元をぬぐった。
「フレアに打ちのめされてな。しかし、大丈夫だ」
ホッとした顔の咲耶を無意識に凝視していたエタニアだが、彼の顔には非難の色が浮かび、エタニアを睨み付けてくる。
「こんな形で逮捕して、どうするつもり? 僕は報告書は書かないよ」
む、と思わず呻きつつ、エタニアは別のことに気づいた。
やり返す、という気持ちもなく、自然と、言い返している。
「榊玲子はどうなった? 確保したか?」
今度は、咲耶の方がうろたえているので、エタニアには答えはすぐにわかった。
「逃がしたのか?」
「仕方ない、としか言えない。二人しかいないんだよ、僕たちは」
「どこへ逃げた?」
ぐっと咲耶が顎をしゃくる。外を示している。
「外? どういうことだ?」
「海だよ。たぶんね」
エタニアは少し考えたが、とりあえずの結論を出すことにする。
「私の報告書も難しいが、お前の報告書も難しいぞ」
「ほっといてくれ」
咲耶はそっぽを向いて、しかしエタニアに向き直り、笑みを見せた。
柔らかい笑みだ。
「とりあえず、エタニアが無事でよかったよ」
「お前も無事でよかった」
エタニアは自分も笑っているのに気付き、不思議だな、と感じながら、それは追及せずに、別のことを考え始めていた。
◆
オーストラリアの新しく建造されたばかりの真新しい港が遠くに見えてくる頃。
僕とエタニアはあの事件以降、船内を可能なかぎり調べた。
グランド・ノア号の甲板にある緊急時のヘリポートに、小型ヘリが何往復かして騎士団の捜査員を運んできた。今の時点で、捜査員は十六名が乗船し、榊玲子の部屋を中心に調べている。
彼らは貨物室のすべての荷物も検めていて、しかし、まだ全然、進んでいない。この捜査は港に着いてからも続けられるらしい。
それよりも拘束が難しい全乗客の取り調べが優先された。捜査員は基本的に多言語を話すが、その辺りも加味されて、十六人は選抜されたんだろう。
あの事件の後、僕とエタニアは新しい事実に気づいた。
椎名琴子が消えたのだ。
彼女の失踪は、様々な謎の中の一つとして処理される、と思われた。
しかし、彼女の失踪が明るみに出てからすぐに、妙な事実もわかった。
榊玲子が海に飛び込んだと推測される時点で、グランド・ ノア号が航行していた海域を、騎士団の調査部門の船が熱心に捜索したわけだけど、衣類のようなものを見つけたのだ。
その衣類は、榊玲子のもの、ではなく、僕とエタニアが見た椎名琴子が着ていた衣類に見えた。これは写真をまず僕が確認し、エタニアも確認し、それから数時間後には、実物を僕たちが確認した。
記憶の中の彼女の服に、そっくりだ。
つまり、海に飛び込んだのは、椎名琴子? なぜ?
捜査員の調査が進み、乗客の欠員は三人だ。一人は榊玲子、一人は椎名琴子、そして三人目は、エタニアの証言では彼に向かって行って細切れにされた男、と推測された。この男は二等船室に部屋を取っていて、そこも捜査されたが、まだ詳細な報告はない。
というわけで、いよいよ最終目的地も目前となっても、細部はわからないままだ。
わからないまま、僕とエタニアは、それぞれのタブレットを使って、部屋のベッドに腰掛けて報告書を作成していた。
「なんか、無駄足だったな」
「お互いに落ち度があったんだ、仕方あるまい」
エタニアの返事に、何も言い返せないが、無理して言葉を返す。
「それにしても、もっと何か、わかってもいいのでは?」
「わかったこともある」
「何? 何がわかった?」
エタニアは下の段のベッドに腰掛けていて、僕は上の段だ。下を覗き込むと、彼はタブレットを見たまま答えてくる。
「榊玲子は、間違いなく反動分子と繋がっている。そして、椎名琴子、というもう一人の容疑者も発覚した。さらに言えば、亜人の男が半死半生で、今頃、騎士団で取り調べを待っている。少しずつ、手繰れるだろう」
「うーん、希望的観測じゃない?」
「こういう積み重ねが大事なんだ」
そうかなぁ。
しばらく無言でそれぞれに書類を作り、僕の作業が終わる少し前にエタニアは済ませたようで、食堂へ行く、と外へ出て行った。僕の作業が終わった頃、エタニアが戻ってきて、その手にはトレイがあり、カップが二つ載っている。
「差し入れには間に合わなかったな」
「ありがとう、もらっておく」
僕は下のベッドに降りて、そのエタニアのベッドに腰を下ろす。エタニアは目の前で、クローゼットの扉にもたれかかり、座ろうとしない。
「怪我はどう?」
「もうなんともない。気にするな」
エタニアには超人的な魔法を駆使するのは知っているけど、あの時、彼の腹部は血で真っ赤だった。普通の人だったら、死んでいたかもしれない。
絶対の致命傷を無視する能力。どうやって身につけたのか。
でもそのことを問い詰めるのは、ためらわれた。
誰だって、触れてほしくない部分はある。
二人でそれぞれにコーヒーを飲んで、黙り込んだ。
話題を探しているうちに、携帯端末にメールが来る。僕の端末とエタニアの端末、同時だった。間違いなく、騎士団からの通知だ。
僕の視線を受けて、エタニアが自分の端末を見る。目を細め、首を振ってため息を吐く。
「よくないニュースらしいね」
「例の亜人が死んだ。やりすぎたな」
「仕方ないさ」僕は笑って見せた。「本気の相手に本気で当たるのは、鉄則だ」
納得いかない、という顔で、エタニアが顔をしかめる。
「しかし、私の過失だ」
「そのうち、挽回できるさ」
結局、エタニアはもう答えずに、コーヒーをゆっくりと飲んだ。
それからふと視線を窓の外へ向けたので、僕は無意識にそれを追った。
窓の外に港に併設されている建物がよく見える。どうやら、もうそろそろ最後の停泊地に到着だ。
「逃すつもりはない」
エタニアがぼそりと呟いた。
「絶対に、逃がさない」
(第4話 了)
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