死者とのすれ違い

第4-1話 追跡

 船の上から見る朝日というのも、なかなか気分がいい。

「旅っていうのはこうじゃなきゃな」

 思わずそう言いながら、隣を確認すると、エタニアはじっと手元のタブレットを眺めていた。

「もっと風景を見たら?」

「必要ない」

 まぁ、風情を気にしない奴だから、仕方ないのかも。

 今、この大型客船グランド・ノア号は、東シナ海、もしくは太平洋だと思われる場所を航行している。神戸で乗り込んで、すでに数日が過ぎている。このままいくつかの港を経由して、最終的にはオーストラリアまで向かう。

 それにしても、神戸で慌てて乗り込んだがために、暇つぶしの手段が少ない。出発前に電子マネーで当面の活動資金を受け取ったけど、それを遊びに使うわけにはいかない。僕の個人的な資金は、すでにおおよそ、船内のカジノで消えていた。

 エタニアからお金を借りる、という手もあるけど、今までそんなことを頼んだことがなかった。結構、仕事で各地を行ったり来たりしている割に、不思議ではある。

 というか、エタニアがものすごく散財する場面を見たことがないし、逆に、金をケチっている場面に出会うこともない。

 あまり金のイメージがない奴だなぁ。

 質素倹約、という感じだけど、もっと非現実的で、浮世離れしているかもしれない。

 何はさておき、今は朝日を見ながら、考えよう。幸い、活動資金がまだ十分にあるので、食事には困らない。今いるここは船内の食堂で、僕たちは早めの朝食を終えたところだ。

「本当に天津夫人かな」

 僕の質問に、ちらっとエタニアがこちらを見た。

「本当、という表現が適切かは知らないがね」

「エタニアは、やっぱり天津夫人は爆死したと思っている?」

「それが自然だ。あれだけの爆発から生き延びていることが判明すれば、それは目を引きすぎる。むしろ、あの爆発は何かの痕跡を消したかったんだろう。では、痕跡とは何か? 天津の非合法な実験の成果、そう思えるが、どうだ?」

 僕はカップに入っている紅茶の水面を少し眺めた。

 筋は通っている。

 例の実験結果の顛末を思い出し、少し吐き気が蘇る。

「実験の成果、っていうのは、天津夫人の完全なるクローン、ってことだよね」

「クローンとも言えないな。名称のない存在だ」

「でもそれがなんで、船旅を始めるの?」

 そう、そこが新しい疑問点になっている。

 このグランド・ノア号は、神戸に寄港する前に、横浜にも寄港した。

 その時の乗客の中に、天津夫人に酷似した女性が乗り込んだ、という情報があったのだ。これは騎士団の調査部門からの報告で、どうも一時的に、同盟からの援助もあったらしい。

 その情報を受けて、大阪で任務を終えたばかりの僕たちに命令が下り、神戸に慌てて移動した。すでにグランド・ノア号は神戸に停泊していて、出港に間に合うか微妙だったものの、結果的には間に合った。

 任務は天津夫人に瓜二つの女性を監視し、誰と接触するのかを、確認することだった。

 騎士団の情報部門と調整部門が、今まさに、グランド・ノア号の運行会社と交渉中で、どこまで進んでいるのか、情報開示には至っていない。なので、僕たちは調査部門からの通報だけが根拠のまま、ここにいる。

 外国へ向かう関係上、乗客のパスポートなどの情報が、運行会社の許可さえあれば、閲覧できるはずだ。そこで天津夫人がどういう名義でここにいるか、わかる、と僕は考えている。

 そう、天津婦人、天津春、という女性の名義は、既に騎士団の管理下だ。

 彼女は公式には、例の爆破事件で行方不明という形で、時間が過ぎれば、そのまま死亡したことになるのは確実だった。

 それでも騎士団は情報を手繰り寄せて、日本国内でのほぼ全領域にわたる「天津春」という女性の行動を監視する体制を整えた。当人が死んでいる上に、彼女の両親は健在だったが、騎士団に怯えているのか、抵抗はなかったようだ。

 その監視網は完璧でも、実際には、天津春の活動は、全く察知できなかった。

 ここでエタニアの説が、やや強くなる。

 天津春はやはり、例の爆発で消し飛んだ。

 しかし、僕にはまだすっきりしないものがあった。いや、多分、エタニアも疑っているはずだ。彼は筋が通るか説を支持しながら、それが偽装である、と思っている気配がする。

「エタニアは、天津夫人は消し飛んだと主張しているけど、別に考えていることがあるでしょ?」

「私たちの前に現れた天津夫人は確かに消し飛んだ。あるいは、彼女自体が爆発した可能性もある」

 とんでもないことを言うなぁ。

「彼女が消し飛んだとしても、彼女が一人だけとは限らない。お前の考えはそうだろう? 咲耶よ」

「例のガラスの中身を見れば、否定しきれないよ」

「あれを見てしまえば、彼女が彼女本体の複製、もしくは複製の複製、という可能性がある。そんな複製のうちの一つが、この船に乗っているわけだ」

 うーん、なにやらとんでもないことになってきた。

「海外に逃亡する?」

「このご時世に、そんなことをするとは思えないな。彼女、もしくは天津の周囲には人外の反動分子の影がある。彼らの協力があれば、わざわざ船に乗る必要はない」

「でも実際に乗っている。船の中に何かあるのかな」

 しばらく無言で、二人でお茶を飲んでいた。

 あまり席を占拠していると、逆に怪しいかもしれない。天津夫人が本当に天津夫人なら、僕たちの顔を知っているわけだし。まぁ、船の中で、逃げる場所もないけど。

 席を立とうかな、と思った時、僕とエタニアの携帯端末が同時に受信音を控えめに立てた。

 それぞれに確認し、視線を交わす。

 メールは騎士団の調査部門からで、天津夫人の名義に関する情報だった。

 名前は、榊玲子。年齢は二十九歳。千葉県松戸市が現住所。集合住宅で、そこは今、調査部門が調査中。職業は清掃会社の事務。勤続は短大を卒業してからずっと。今は、有給を消化するため、長期的な休みをとって、旅行に行く旨を同僚が聞いている。

 顔写真も何枚かあった。

「これはまた……」

 僕は呆れて、エタニアを見た。彼も苦笑気味だ。

「そっくりだな」

「まるで双子だ」

 天津春と榊玲子。この二人は、鏡写しのように、同じ顔をしている。

 榊玲子はオーストラリアで下船するようだ。彼女に割り当てられた部屋番号も、ちゃんと調べられている。

「今すぐ、押さえるべきかもね」

 通知は情報だけで、実際の行動に関しての指示はない。銀狼騎士団の実行部隊には、大きな裁量権があって、僕たちもそのお陰で臨機応変に対応できる。

「行ってみよう」

 席を立って、ウエイトレスのお辞儀に見送られて、食堂を出た。

 通路を進む。わずかに揺れるので、船の上だとよくわかった。波もそれほどなさそうだけど、こんなもんなんだろう。

 榊玲子が取っている部屋は一等船室の中でも、ひとり旅の旅行者向けの部屋だ。かなり狭いが、まぁ、船の旅なので、広い場所は必要ないんだろう。ちなみに僕とエタニアは、二等船室の二人部屋で、二段になっているベッドとわずかなスペース、クローゼット、テレビしかない。

 目的のドアの前にたどり着き、僕は軽くドアをノックした。

 音が消えてから、奥に人の気配がして、ドアが開いた。

 あまりにあっさりと空いたので、エタニアが上着の懐に手を差し入れている一方、僕は無防備だった。

「どちらさま?」

 少ししわがれた声。

 そこにいるのは、初老の女性だった。身なりがしっかりしていて、ネックレスは黄金と宝石で輝いている。ドアを押さえている手にも、指輪が二つあり、ここにも宝石。

 なんだ? どうなっているの?

「えっと、その……」

 みっともなくうろたえているのを意識しつつ、僕はドアの脇の部屋番号を示すプレートを見る。調査部門の情報にあった数字の列だ。ここが榊玲子の部屋じゃないのか? 本当に、事態がわからない。

「榊玲子さんは、お知り合いですか?」

 エタニアは冷静だったようだ。その一言に、初老のご婦人はにっこりと笑った。

「彼女は今、外していますよ。私はこの隣の部屋の人」

 どうやら調査部門は正確だったらしい。このご婦人の言葉が正しいなら、彼女は榊玲子の知り合いで、それも船での旅の中で知り合ったんだろう。部屋が隣同士、というのは、ありそうな展開だ。

「どういうお知り合いですか?」

 僕が尋ねると、彼女は困ったような顔になり、

「お隣ですから」

 と、短く答えた。僕が質問を考えているうちに、ご婦人が名乗ってきた。

「私は椎名琴子と言います。お二人は、榊さんのお知り合い? どういうご用件か、伺えますか?」

「彼女に尋ねたいことがありまして」

 やっぱり冷静なエタニアの言葉に、椎名はにっこりと笑う。

「あなたたちは悪い人には見えないわね。それでも、礼儀というものがありますよ」

 笑ってはいても、どうやら怒りが燃えているっぽい。ここは引くべきかもな。不本意というか、こちらの存在が露見しているの非常にまずい展開ではあるけど。

 慌ただしく謝罪の言葉を口にして、ドアから離れるけど、椎名は僕たちが立ち去るまで、背中を見送る姿勢だったため、通路をかなり移動することになってしまった。

「これで、榊玲子は、自分を探している存在に気づくね」

 気が重いながらも、冗談めかして言うと、エタニアは苦々しい顔になっている。

「どうも、それでは済まないな」

「え? 何?」

 エタニアの手が翻り、彼は僕の頭を砕かんばかりの一撃を弾き飛ばした。

 いきなり背後に現れた男の腕が、とんでもない音を発して壁を突き破る。

 エタニアがその胴体を蹴りつけ、間合いができた。

「どうしてこうなっちゃうのかな」

 僕は思わず口にしながら、僕への攻撃に失敗した男の方を向いているエタニアと背中合わせになる。

 その僕の前方にも、若い女性が立っている。知らない顔だ。

 ただ、その顔には攻撃の意思がありありと浮かんでいる。

「そういう仕事だよ」

 エタニアの声は憎らしいほど落ち着いている。

 仕事ね。難儀な仕事だよ、ほんと。



(続く)




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