第3-3話 狂気の実験

 無数の実験器具が並ぶ広いデスクと、その周囲に設置された巨大なガラスの筒。

 液体の満ちたその筒の中に、それは浮かんでいた。

「これは、天津さんの……」

 筒の中にいるのは、天津夫人だった。

 しかし、筒は見たところ十ほどあり、全てに天津夫人が入っている。

 入っているが、通常人とは異なる。あるものは腕が一対ではなく二対あるし、瞳が三つある個体もあれば、腰から下が存在しないものもある。

「クローン?」

 僕は部屋の中に進みつつ、何度も筒の中を見比べた。異形ではあっても、どれもが天津夫人を基にしてるの確実だ。

「クローンだが、キメラでもある」

 そうか、なるほど。キメラ。

 人外生物の中の一種で、キメラと呼ばれる存在がある。人間の伝承の中では、複数の生物の寄せ集めのようなものがキメラと呼称されたけど、実際の人外におけるキメラは、意思を持つ触手のような形をしている。

 この触手が生物に寄生し、まずはその個体を乗っ取る。そして触手はその個体を支配した後、生存に有利な他の個体をさらに取り込み、支配し、こうして複数の生物の混合体が組み上げられていく。

 同盟が日の当たるところに出てきた時、意外にもキメラが人間社会の身近に存在することが判明し、大規模な討伐が行われた記録もある。

「天津さんは、奥さんで何をしようとしたんだ?」

 机に歩み寄る。そこを写真に撮っていた捜査員が少し場所を空けてくれて、僕は机の上を確認した。何に使うかわからない器具や道具。書類はおおよそ整理されているけど、広げられているものもある。広げられている方は、専門的すぎて、何もわからない。

「天津夫人は、すでに亡くなったんだろう」

 背後に立ったエタニアの声に、僕は振り返る。エタニアはガラスの筒の一つをじっと見据えている。

「天津は、自分の妻の死を受け入れなかった。クローンの製造を最初に実施したはずだけど、うまくいかなかった。クローン技術はおおよそ完成しているが、あるいは、その通常のクローン技術では及ばないほど、肉体が破損したのかもしれない。もしくは、記憶、そうでなければ、精神、そういうものの再現を狙った可能性もある」

 僕は改めて、ガラスの筒を見る。筒の一つに、体の右半分しかない個体があり、内臓が溶液にさらされている。吐き気をどうにか抑える。

「そして天津は、人外生物の実験を始めた」

「人外生物を商っていた、というのは、偽装だったのか。本当のことを隠すための」

「こんなことが同盟に公になれば、とんでもないことになるな」

 その一言で、朽木のことが頭に浮かんだ。

「騎士団は知っていた?」

「知らないだろうな。今頃、てんやわんやだろう」

 帰るぞ、とエタニアが部屋を出て行こうとするので、僕は駆け足で彼に続いた。捜査員たちを残して僕たちは外へ出た。

 未だに吐き気がするが、エタニアの前で嘔吐なんてしたら、何を言われるかわからないので、我慢。

「タバコはあるか?」

 増援らしい捜査員の数人のうちの一人に、エタニアが訊いていた。捜査員がタバコの箱とライターをエタニアに投げ渡し、建物へ入っていく。

「タバコを吸うのは初めて見るよ」

「めったに吸わないんだがな。こういう気分の悪い時は、これに限る」

 くわえたタバコに火をつけて、エタニアは煙を深々と吸って、吐いた。捜査のための明かりの中を、煙が漂った。

「未成年は吸っちゃいけないぞ」

 吸う気なんてないよ。

 僕はじっと、彼が吐いた煙を見つめた。

「さて、あとは捜査員に任せて、帰るか」

 タバコを踏み消してから、エタニアが車に向かう。無言のまま報道陣を避けて車にたどり着いた。助手席に乗り込んだところで、エタニアがハンドルに手を置いて、何か考えているのに気づいた。

 なんだろう?

「気になることがある?」

 少しの間、エタニアは答えなかった。

 呟くように、彼が言った。

「天津の実験は、成功したのか、失敗したのか」

「それは、失敗して……」

 やっと僕も気づいた。

 昼間、天津夫人を見た。

「彼女は、吹き飛んだんじゃないの?」

 僕の意見に、エタニアは返事をしない。じっと動きを止め、目をつむっている。

「天津さんは少なくとも、吹っ飛んだ。そうでしょ?」

「遺体の解析を待つしかないだろうな。帰ろう」

 やっと顔を上げて、エタニアはエンジンをかけ、車を動かし始めた。

 帰り道、僕は何も言えなかった。

 不自然な点を整理しよう。

 まず、建物から回収された遺体は誰なのか。天津か、天津夫人か。

 そして、どういう手法であれだけの爆発を起こしたのか。魔法だとすれば、誰が発動したのだろう。

 そして、天津の本当の目的とは?

 車は騎士団の日本支部が管理する、装備部門の入ったビルの地下駐車場に滑り込んだ。エタニアがまだ黙っているので、仕方なく僕だけが車を降りて、手続きを行った。担当の騎士団員がものすごく嫌そうな顔をして、車の破損を確認する、と言い出す。

 二人で地下駐車場へ行くと、まだエタニアが運転席に座っている。

「エタニア、降りなよ」

 ガラスを叩くと、エタニアが顔を上げ、そのまま外へ降りた。

 装備部門の整備士が遅れて二人ほどやってきて、車の査定をして、銀狼騎士団への請求明細書を作り始める。彼らが銀狼騎士団の本部に提出してくれるので、僕たちは別の車を借りて、そこを離れた。

 今度は僕が運転している。エタニアはまた無言だ。

「もう考えるのはやめよう。どうしようもないさ。これからわかることもあるし」

 僕の言葉に、エタニアは聞こえたのか聞こえなかったのか、返事をしない。

 そんなに何を気にしているんだ?

 宿舎で車を降りる段になって、エタニアは「考えをまとめておく」と言った。僕たちはそれぞれの部屋で休んで、翌朝、支部の会議室で改めて顔を合わせた。彼はいつも通りに戻っている。昨日はいったい、何だったんだろう?

 会議には捜査員が複数人、集まっていて、さらには生物部門の研究者も出席している。

「爆発現場に発見された遺体の解析は進めていますが、あまりに破損が激しく、個人の特定はほぼ不可能でしょう。とりあえず、手を尽くしてますが、何の保証もできません。身元不明のままでしょうな」

「天津氏の研究データを確認しました。人間のクローン、そして人外生物のクローンの製造が行われていたのは、確実です。キメラの研究も進んでいます。彼の知識は、一般人のそれを超えていますよ」

「どこかから技術供与があった可能性がありますが、まだ捜査中です。人間の研究範囲をやや逸脱する、という意見もありますが、確認中です」

「天津夫人のクローンは、人外生物との混合で、回収された個体は分析中です。生物としての自我を持っている、という観測結果もありますが、この点に関しては天津氏の研究、実験の目的と合致していない、と言えます」

 生物部門の研究者がそう言った時、エタニアが手を挙げた。司会の騎士団員がエタニアを指名する。

「天津氏の目的は判明していますか?」

 答えは生物部門の若い男から返ってきた。

「天津氏は、天津夫人を復活させようとした、と研究データの確認で判明、というか、それしかないと確信しています。それも、ただのクローンではなく、生前の天津夫人の後を継ぐ、新しい個体を創造しようとした、と推測されます」

「後を継ぐ?」

「記憶の継承、意識の継承、価値観の継承、そういう諸々です」

 不自然なことこの上ない内容だった。僕の理解を超えている。

 新しい個体に、別の個体の個性を移す?

 そんなこと、可能なのか?

 僕が当然の疑問を持って相手を見ると、苦笑いが返ってきた。

「ここが、人間の常識を逸脱している点です」

「同盟の意見を聞いた方がいい」

 ひんやりとした声でエタニアがそう言ったので、会議室は静まり返ってしまった。エタニアは平然と、周囲を眺め回している。

「同盟の捜査員も、すぐに派遣されてきます」

 捜査員の一人がそう答えて、少し場に安堵のような空気がやってきた。

 会議が終わって、僕とエタニアは、建物内の食堂に入った。

「同盟の話をしたよね。どういう意図だったの?」

 それぞれに料理を手にテーブルについて、僕は何気なく質問した。

「天津の研究範囲の逸脱、人間の技術からはみ出している部分は、人外の技術の匂いがした」

「人外の技術? 反動分子が技術供与をした、と思っているの? そんなこと、あるのかな」

「それだけが、全てを無理なく説明できる」

 それはそうだけど、机上の空論のような……。

 僕たちはその話を切り上げて、食事をしながら適当な雑談に移った。天津の事件は、ほとんどもう手を離れている。

 食事を終えて食堂を出る時、顔見知りの捜査員が三人組でやってきて、そのうちの一人が、同盟の捜査員が二人来ている、と教えてくれた。

「どこにいるの?」

「例の実験体の検分をしている。第十一保管庫だ」

 僕とエタニアは顔を見合わせた。

 捜査員に礼を言って、自然と、二人で保管庫へ歩いていく。

「同盟の捜査員って、人間じゃないよね」

「人間のなりはしていると思うけどな」

 第十一保管庫にたどり着くと、ドアの脇に騎士団員が二人、立っている。銀狼騎士団の団員で、顔見知りだ。精鋭と言える二人だ。大仰だなぁ。

 二人に敬礼してから、僕とエタニアは保管庫に入った。

 中にいたのは、一人は僕も知っている生物部門の研究者で、あとは二人、やはり銀狼騎士団の団員がいる。

 知らない顔は二人。背広を着ている、どこにでもいそうな男性二人組だ。

 彼らが、同盟からの捜査員?

 僕たちを見て研究者が説明を一時的に止めて、僕たちを紹介してくれた。知らない二人は名前を名乗ったけど、偽名だろう。瞳を見ると、やっぱり人とはどこか違う、気がする。

 研究者が説明を再開しようとした時、それは起こった。

 人外らしい男の片方が、腕を強く打ち振ったのだ。

 人間側で反応できたのは、エタニアだけだった。

 エタニアの両腕が形を失い、真っ黒い幕となり、それが人外の男が振り回して真っ赤なフレアの本流を防ぎ止める、この幕が、研究者と二人の騎士団員、そして僕を守った。

 でもそれ以外は、無理だ。

 並んでいた十本のガラスの筒が全部粉砕される。

 それでも、そこまでがその人外の限界だった。

 もう一方の人外の腕が彼の首に絡みつき、捻り、締め上げ、そして捩じ切った。

 重い音ともに、首を失った男が倒れる。

 エタニアに守られた僕を含む四人は、事態に全くついていけなかった。

「仲間割れか?」

 一人だけ冷静なエタニアが魔法を解除して、自分の腕を通常のそれに戻した。

 立っている人外の捜査員が無言で頭を下げる。

 騒動を聞いて、外にいた騎士団員も入ってきて、しかし呆然としている。

 それでも団員たちはそれぞれに動き始めた。

 その時、僕は声を聞いた。

 ガラスの筒から解き放たれた、不完全な女性の声だ。

「あなた、どうしたの……?」

「実験は……、うまく、いった?」

「私はどうなったの……?」

「これから、どうするの……?」

「ねぇ、答えて……」

「ねぇ……、ねぇ……」

 声は徐々に小さくなり、かすれ、そのまま消えた。

 僕は何も言えずに、ただ、その残酷な光景を見ていた。





(第3話 了)

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