不気味な研究

第3-1話 不自然な男

 ペットブームという奴があったな、と思いつつ、僕はその報告書を読んでいた。

 僕の両親も、僕が生まれる前から小型犬を二匹、飼っていた。その二頭は寿命で死んで、今は実家に小さな骨壷に入って、仏壇にある。

 別にそれをとやかく言うつもりはないけど、人間はいろんなものを飼おうとする、そんな方向性は現れていると思う。

「悪趣味だなぁ」

 思わず呟いて、隣の席にいるエタニアを見ると、彼はまだタブレットの中の書類を読んでいる。

「ちゃんと日本語の勉強、進んでる?」

「万全だ」

 少しも動じないエタニアの白人男性の顔の中で、目がわずかに細められる。何を見ているんだろう? 書類を見る目じゃないな。ということで、彼の手元を覗き込むと、書類ではなく動画が再生されていた。

 写っているのは人間に見えるが、縮尺が違う。

 すぐ近くに巨大な人間の手があるけど、人間の手が巨大ではなく、その手に包まれている人間のようなものが小さいのだ。

 小人、と呼ばれる人外だった。

「報告書にそれは付属していないけど?」

「ネット上から引っ張ったんだ」

「え? どういうサイト?」

「普通の動画投稿サイトだよ」

 納得できないまま、僕もタブレットを操作して、確認した。やっぱりヒットしない。

「テクニックがあるんだ、勉強しろよ、咲耶」

 うーん、納得いかないなぁ。

 そんな僕たちの前に机を挟んで座っている男性が、やっと口を開いた。

「どうやら情報は飲み込めたようだね」

 騎士団の日本支部に所属する、その白衣の男性は、朽木、という苗字の、生物部門の課長補佐だ。

「ええ、充分に」僕はタブレットを机に置いた。「人外を違法に飼育している、ということですが? 取締部門は何をしているんですか?」

「書類を見なかったのか? 木花くん」

「見ましたよ。疑惑を向けられているのが騎士団の所属でも、取締部門で押さえればいいじゃないですか。違いますか?」

「君はいい加減、その一刀両断が好きなところを、直すべきだな」

 そうかなぁ。仕方なく、エタニアを見ると、彼は重々しく頷いている。直すべき、という意見らしい。

 やれやれ。

「で、その魔法使いに、僕たちが何をするんです?」

「やんわりと、身を引くように話してくれ」

 話すとはまた、穏やかなことで。

 エタニアがタブレットをまた操作して、視線を朽木に向けないまま、言葉を発する。

「同盟との兼ね合いはどうなっている? 連中は知っているのか?」

「さすがにエタニア、目の付け所がいい、どこかの誰かとは大違いだ」

 なんか、朽木さん、僕に恨みでもあるの?

「同盟とは連絡を取り合っているよ。こちらで穏便に収束させれば、彼らも追及しないそうだ。同盟との関係があるがために、騎士団員による人外への違法行為は、許されない、とも言える」

「わかったよ。咲耶、さっさと片付けよう」

 タブレットを手にしたまま、エタニアが席を立った。さっさと出て行こうとするので、僕も慌てて後を追う。

「報告書を忘れるなよ、木花くん」

「了解しましたよ、朽木さん」

 うんと長くて読みにくい文章で書いてやるからな。

 副都心の中のビルの一棟、その地下駐車場で、僕とエタニアは騎士団の公用車に乗り込んだ。エタニアも運転免許を持っているが、僕の方が上手いので、僕が運転席だ。

 外へ向かいつつ、エタニアと打ち合わせすることにする。

「容疑者は、天津、という魔法使いで、脅威度は二級、ってことだったね」

「どこかの誰かと同レベルだ」

「僕と同レベルなのは確かだけど、こちらは実戦経験が豊富な現場一本なのに対して、彼は研究所に引きこもっていた学者タイプでしょ?」

 それは認めるがね、とエタニアがこちらを見るので、僕も少し視線を向ける。

「魔法使いは、スポーツ選手とは違う」

「わかるような、わからないような、考えているのかいないのかわからない例えだと思うけど」

「わかるように噛み砕いてやろう。スポーツ選手は、毎日毎日、訓練を繰り返す。体力を高め、集中力を高め、技術を高め、そうして結果を出す。根本的な身体的素質もあるし、大会なりにおける勝負の場でのメンタルの強さも、結果には影響するが。それでも、スポーツのルールや戦術、理論に精通しているだけの、研究だけの人間が、百メートル走で世界記録を出したり、ハンマー投げで世界記録を出したりしない。わかるか?」

 言いたいことはわかってきた。

「こういうことでしょ。レーシングカーがガンガン峠を攻めるような漫画の作者が、それを再現できるわけがない」

「そうだな、その通り。だが、魔法は違う。魔法は実戦で磨ける側面もあれば、理論で磨ける側面もある」

「僕がその研究者に遅れをとる、と?」

 不吉なことに、エタニアは答えない。

「そこは何か、言うべきじゃない?」

「実際にどうなるかはわからんよ」

 まったく、この相棒ときたら、これだもんな。

 すっきりしないものを感じつつ、車は地上に出て、車道に合流した。ゆっくりと進む車列に混ざって、そのうちに高速道路に乗り、郊外へ向かう。

「彼の魔法の属性は? 書類になんてあったかな」

 黙っているのも気まずいので、エタニアに尋ねてみた。彼は窓の外を見ているままで、答えた。

「支配」

 ……なんだって?

「それって、つまり……」

「どこかの誰かとそっくり同じ、ってことさ」

「なんてこった」

 思わずそう口にしてから自分の発言の「なんてこった」は、脈絡はあっても意味がわからないな、とやっと気づいた。

 それはさておき。

 魔法使いには脅威度、と、属性、という二つの括りがある。

 脅威度は、どれだけ強力な魔法を使うのか、を示す。五級が最弱で、最強は一級になる。僕は二級だ。

 属性は、魔法がどういう作用をするのか、それを示すべきものだけど、こちらはかなり複雑だ。すでに数え切れないほどの魔法使いが存在し、属性は無数に枝分かれした。その上、一個体なのに複数の属性を持っている魔法使いも多い。

 で、僕の属性は、「支配」だ。

 そう、天津と全く同じなんだ。脅威度は二級、属性は支配。

「腕が鳴るな、咲耶」

 こちらに顔を向けたエタニアは嬉しそうだが、僕はいよいよ、穏やかじゃない。

「頼りにしているよ、エタニア」

「さっきまでの意気込みはどこに行った?」

「理論的に考えて、同じ属性、力量の魔法使い同士は、もつれるもんだよ」

「気を楽に持て」

 そう言われてもなぁ……。

 自動車はそのうちに高速道路を降りて、小さな市街地を抜けて、緑の多い地帯に入った。前方に巨大な建物が見える。なんていう名前の建物かな、イメージとしては養鶏場とか養豚場が近い。かまぼこ型の建物だ。

 自動車はその巨大な建物の横にある民家の前に停める。

「交渉でどうにかなるかな」

 車を降りる前に尋ねると、エタニアが肩をすくめてくる。

「お前に任せるよ」

「やんわり、と口にして済めばいいけどね」

 二人で車を降りて、民家の玄関へ進む。自然とかまぼこ型の建物の方を確認してしまう。豚の鳴き声も、鶏の鳴き声もしない。周囲には民家があるが、人気はそれほどないな。

 民家の玄関のドアの横のインターホンを押す。少しの間の後、少しノイズのある声がスピーカーから聞こえた。カメラも付いていないような旧式なインターホンだった。

「どちらさま?」

「天津さんですね? 騎士団の機動隊から参りました。事前通告したものです」

 騎士団の中に、正式名称が機動隊という部署はない。正式には、銀狼騎士団、という。

 相手は少し黙ってから、「今、開けますよ」と言った。大きめのノイズの後、音は消えた。

「穏やかそうで助かった」

 思わず僕がそういった時、エタニアは例の建物の方を見ている。細められた瞳には、不穏な色がある。

「エタニア?」

 彼が答える前に、ドアが開いたので僕たちはそちらを見た。

 メガネをかけた中年男性がそこにいた。部屋着のジャージ姿で、どこか間が抜けている。ただ、顔は事前に得た情報、写真の中の顔そのものだ。

「どうぞ、中へ」

 自己紹介もせず、彼はドアを大きく開けて、中を示す。

 ちょっと不気味だけど、我慢だな。

「お邪魔します」

 僕たちは中に入り、土間で靴を脱いで、彼が用意したんだろうスリッパで、奥へ進む。背後でドアが閉まると、廊下はやや薄暗くなった。余計に不気味。

 空気が少し、冷えすぎてはいないかな。

「こちらへ」

 天津が僕たちの先へ進み、そのまま三人で居間へ入った。特にこれといって、変わったところのない普通の民家だ。天津はその居間に面したキッチンで、お茶か何かを用意している。

 少しして、僕たちの前にお茶と焼き菓子が並んだ。

「お話を承ります」

 事前に想像を巡らしたんだろう、天津はどこかどっしりとした雰囲気で、僕の言葉を受け止めるつもりのようだ。

「騎士団は」僕は考えつつ、話した。「同盟との関係上から、天津さんが行っていると判明した、人外生物の違法飼育を摘発することとなりました。人外生物は全て私たちが回収し、以後は生物部門が管理します。あなたには裁判の後、陪審員の意見も加味して処罰があります」

「今すぐですか?」

 妙な言葉だった。いや、妙だと思ったけど、どこが妙だろう?

「あなたにはこのまま、出頭してもらいます」

「奥方は?」

 天津が答える前に、エタニアがすぐにそう質問した。そうか、彼は妻帯者だ。子どもはいない。エタニアの質問に、天津はゆっくりと首を振る。

「今は少し、外していまして」

「お話ししなくていいのですか? ご自身のことを?」

 エタニアの奴、奥さんの事をやけに気にするな。なんだろう。

「いえ、すぐにこちらへ来るかと」

 まさにそう言った時、玄関が開く音がかすかにした。そして足跡が続き、一人の女性がやってくる。天津夫人は目を丸くして僕たちを見て、それから天津さんに視線を向けた。

「同じ職場の人だよ」

 まぁ、騎士団の所属だから、間違いじゃない。

 その一言で天津夫人は少し表情を改め、頭を下げた。でも何も言わない。

「妻と話をさせてください。二人で」

 天津さんの言葉に、僕はエタニアと顔を見合わせた。ただ、エタニアの顔には苦り切ったような色がある。視線で尋ねるが、軽く首を振ってくる。

「無理でしょうか?」

 こちらが顔を見合わせているところで天津さんが急かしてきたので、僕は席を立った。エタニアも続く。

「外でお待ち下さい」

 その言葉に従って、僕とエタニアは靴を履き替えて、外へ出た。

「何が言いたかった?」

 車のすぐ横まで来て、やっと僕はエタニアに尋ねた。

「フレアの乱れが激しい家だった。まともじゃないな、あれは」

「フレアの乱れ? 家の中だけ?」

「ここら一帯に、変な乱れがある。乱れと言っても、管理された乱れ、というか」

 管理された? どういうことだろう。

 そのことを尋ねようとしたけど、それは無理だった。

 轟音と共にたった今、出てきたばかりの家が爆発し、僕はその爆風に飲まれていた。




(続く)




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