第2-2話 奇妙な信仰

 村の中心に教会があった。ロシア正教かな、と思ったら、カトリックの教会だ。

 重そうに見える扉をエタニアが軽々と押しのけ、中へ入っていく。僕もそれに続いたけど、エタニアが急に立ち止まったので、危うくぶつかりそうになった。

「怪しいものじゃない」

 エタニアが急にそういったので、僕はそっと彼の背後から中を見た。

 いくつものベンチが並んでいて、そこに五十人ほどの人が座り、今はこちらを見ている。その全員が女性だと、すぐにわかった。

 エタニアが両手を挙げているのは、入り口のすぐ脇に立っていたんだろう二人の女性が、こちらに猟銃を向けているからだ。見るからに古びた猟銃だけど、手入れは万全に見えるし、そもそも至近距離で、僕たちを外すわけもない。

 僕は両手を挙げて、言った。

「事件の捜査を任されたものです。えっと……」

 それ以上、どう言っていいものか。

 視線を巡らせると、女性たちは明らかに怯えている。

「男性は?」

「猟に行っている」

 こちらに銃口を向けている片方の女性が応じた。

 やっと状況がわかってきた。男性が村を留守にしている間に、女性たちがここへ避難しているのだ。人外が教会どころか宗教をなんとも思わない、忌避もしなければ恐怖も感じない、というのは常識だけど、しかし、それでもすがりたい時はあるものだ。

「みなさんをお守りできると思います」

 エタニアが穏やかな調子で言う。僕は何度もうなずいた。

 二人の女性の銃口がゆっくりとこちらを離れる。視線で背後のドアを閉めるように促され、僕がどうにかこうにか閉めた。デタラメに重かった。

「お客さんですか?」

 静かな、落ち着いた男性の声に、僕とエタニアはそちらを見た。

 神父だがかなりの高齢だ。ゆっくりとした動作で、奥からこちらへやってくる。女性たちの怯えが少し解けたのがわかった。

 神父は僕たちに頭を下げた。

「ラータと申します」

「木花咲耶、と言います」僕は即座に応じた。「こっちは同僚の、エタニア」

 ラータ神父はもう一度頭を下げる。

「例の事件のために、参られたのですか?」

「ええ、はい。調査を許していただけますか? 村長の方に確認したほうがいいでしょうか?」

「村長も猟に出ているのです。三日は帰ってこないだろうと思います。女子供は、皆、その間はここにおります。事件の捜査は、そう、とりあえずは私の責任で、許可します」

 礼を言って、僕とエタニアは、短く視線を交わす。

「どこか」結局、僕が言うしかないと思って、口にする。「泊まる場所はありますか?」

「教会の奥に、空いている部屋があります。お貸ししましょう」

 通された部屋は埃っぽかったが、とりあえず、寝台は二つある。ラッキーだ。窓が小さいけど、どうにか開けて、換気する。しかしだいぶ寒い。まるで冬。暖房は、と確認すると、少し古い型の電気ヒーターがあった。こんな場所でも、電気はちゃんと通じているのだ。

 荷物を置いて、僕とエタニアは事前の情報を元に、エスキー村を歩き始めた。

 人外による襲撃は、すでに八件、起きている。死者は七名。負傷者は四名。

 死者が出た家をまず見て回った。建物の状態を見たかったわけではないのは、はっきりさせておこう。

 僕たちは現場の、フレアの状態を確認したのだ。

 フレアは、世界に満ちている魔法の根本的な力で、人外はこれを操る。

 四件目で、エタニアがじっと立ち止まった。僕も魔法使いだけど、普通の人間の魔法使いなので、人間だけが持つディアには敏感でも、フレアに関してはエタニアの方が鋭い。

「何かある?」

「微かな匂いだな」

 思わず匂いを嗅ぐけど、特別な匂いはない。どうやら匂いと表現するしかない、フレアの痕跡、なんだろう。

「どこから来ている?」

「来ている? なんだ、何も感じないのか?」

「悪いけど、僕は鈍感でね」

 ため息を吐いて、エタニアが周囲を見回す。

「そこらじゅうが、フレアの乱ればかりさ」

 どうやら、相当な違和感をエタニアは感じているようだけど、僕は今のままでは感じ取れない。仕方ないので、少し魔法を発動する。

 体にあるディアを活性化させる。僕は本来の魔法の使い方とは違う方法のために、百パーセントの力ではないものの、ディアからフレアへと自身の感覚を接続し、それにより周囲のフレアを認識した。

「これはまた……」

 周囲にはフレアが満ち満ちている。流れている場所もあれば、溜まっている場所もあるが、それは水の動きのようになるのが自然だ。フレアは常にどこかからどこかへ流れているわけで、それを魔法使いは大抵、筋のように意識する。

 で、今のエスキー村を取り巻くフレアの様子はと言えば。

 その筋が無数に乱され、ズタズタだ。

 つまり、何者かがフレアの流れを横切っている。それも一度や二度ではない。村中を、何者かが徘徊したのは事実だろう。

 これが山犬の痕跡なんだろうけど、もしそうなら、物理的痕跡もあるだろう。

 あまりディアを活性化し続けるのも疲れるので、解除して、エタニアに任せることにした。

「痕跡を探そう」

「無駄だろうな」

 あっさりとエタニアが言ったので、思わず彼を見てしまった。視線を周囲に向けていたエタニアが、こちらを一瞥する。

「物理的な痕跡はない。もう確信している」

 そういうことか。やっと僕もわかったけど、しかし、信じがたい。

「人外は人外でも、純霊存在、ってこと?」

「そういうことになるな。通常はフレアとして世界に溶け込み、必要に応じて、フレアを活性化させて物理力を持つ」

「その程度の知識は僕にもある。でもどうして、そんな珍しい存在が、人を襲う?」

 エタニアはすぐには答えなかった。答えずに歩き出すので、僕はそれを追った。

 無言のまま、彼はそのまま他の被害者の家を全部回って、やっと教会に戻り始める。

「答えてよ、エタニア。何か気づいたんでしょ?」

「呪い、かもしれない」

 この言葉には、さすがに僕も黙るしかなかった。

 人外は様々な思考をするが、その中に、呪いとしか表現できない思考が存在する。その思考は、人間が何か罪を犯した時、人外がその報いを受けさせようとする、というイメージだ。

 山犬、いや、犬神と呼ぶべき人外は、この村を呪っている?

 何があったんだ?

 教会に戻る前に、またエタニアが足を止めた。僕は彼を見たけど、視線は返ってこない。

 と思ったら、エタニアは教会へは向かわず、背を向けてまた歩き始めた。今度は村から出て行くような道だ。

 一度、村を出て、そのままエタニアは山へ踏み込んでいく。

「もう日が暮れるけど、どうするつもり?」

 僕は騎士団からの配給の上着の前を閉じた。強靭さも強化されているが、防寒機能も高い。エタニアは寒さも感じないのか、少しも動じず、無言で進んでいる。

 日が暮れて、夕日さえも消えた頃、森の中の洞窟の前にエタニアはたどり着いていた。僕としてはもう早く帰りたかった。お腹も空いたし。

「ここに何がある?」

 見たところ、洞窟はもう長い間、忘れ去られている。その入り口さえ、下草やら何やらで埋もれかけている。

 それらを無造作に押しのけて、エタニアが中に入る。仕方ない、こういう時はくっついて行くに限る。蜘蛛の巣とか、酷そうだけど。

 エタニアが軽く手を掲げると、彼の人差し指の先に光が生まれる。魔法による簡易的な明かりだ。それに照らされた洞窟の中は、意外に綺麗だった。ボコボコとしている表面の陰影を眺めつつ、奥へ進んでいくエタニアに従う。

 洞窟はすぐに行き止まりになった。

「こういうことさ」

 そう言って、エタニアが何かに触れている。彼が屈み込んだので、僕はその肩越しに何があるか、見ることができた。

 犬だ。いや、狼か?

 半ば白骨化している。腐臭がしないのは、洞窟の中が低温だからだろうか。

 うん? ここにあるのは、それだけじゃない……。

 僕はやっとそれに気づいた。その狼の下に散らばっている白いものは、骨だ。

 見れば、数え切れない骨がそこにあった。

「供物、って感じだね」

 感想を口にすると、エタニアが軽く頷く。

「狩猟の成功を祈願して、犬や狼を捧げたんだろう。そこに、石があるだろう?」

 指差された洞窟の奥に、壁と一体化した黒曜石のようなものがあった。

「あれが狩猟の神に見立てられている。長い間の伝統だろう」

「この供物に、犬神が激怒した、ってことかな」

 大げさに溜息を吐き、エタニアが立ち上がった。

「お前はいい加減、そのおめでたい発想を止めたほうがいいぞ」

 ムッとしつつ、僕は、洞窟に興味を失ったらしいエタニアが外へ向かうのについていった。

「犬神の正体について、何かわかったんでしょ? 教えてよ」

「犬神がここにいたことはわかった」

 いた? 過去形なのか?

「今夜には何かあるかもな」

 意味深な言葉は、洞窟に不気味に反響した。気が弱い人なら、鳥肌が立つような、そんな響き方だった。

 洞窟を出ると、外は真っ暗だった。街中の夜とは全く違う。月明かり以外、何もない。

「何かあるっていうけど、間に合うの?」

「運次第だな」

 こうして僕たちが短い探検を終えて、エスキー村へ戻った時には、ほとんど深夜と言ってもいい時間で、教会ではかすかな明かりがあり、中に入ると、やはり猟銃を持った女性に歓迎された。

 それでも、この暖かい空気はありがたい。広い空間だけど、どうやって温めているんだろう?

 食堂でパンと冷めたスープをもらって、部屋に持って行った。

 エタニアは何も食べなかった。

「お腹、空いてないの?」

 どういうわけか、エタニアは呆れたような表情でこちらを見て、自分の寝台に着替えもせずに横になった。なんなんだ?

 僕は素早く、固いパンをスープでふやかして胃に収めて、少しだけ満ち足りた気持ちで、寝台に横になった。

 意識が急転直下と呼ぶべき勢いで、眠りに落ちた。




(続く)

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