犬神の報復
第2-1話 北方の怪異
ロシアの管轄の樺太は、極東、などと呼ばれている。
そこにある騎士団支部に僕とエタニアは派遣されて、つい数時間前、日がとっぷりと暮れた時間に到着した。嫌な思い出が先行する空旅だったけど、今回は何事もなかった。
支部は小さなもので、何度か立ち寄っているので、顔見知りが多い。
で、支部長の秘書のような立場の男、広瀬が僕たちを出迎えたんだけど、ロシア料理屋に連れて行ってもらう予定だったのが、なぜか日本料理屋に連れて行かれた。
「和食は飽きたよ」
「カリフォルニアロールみたいなものが出るから、安心してくれ」
ぼやく僕に広瀬がそんなことを言う。
で、日本料理店の個室で、僕、エタニア、広瀬は向かい合った。
「それで、山犬だったよね、仕事は」
ここはまさに日本方式のお手拭きで手を拭いつつ、僕は広瀬に尋ねる。彼も慣れたそぶりでお手拭きを使っている。エタニアは、と思うと、やっぱり彼も手を拭っている。まぁ、三人とも日本に縁深いしな。
「田舎の村だが、死傷者が多発している。夜の間に、やられるんだ」
「家の中ってこと?」
「そうだ。もちろん、戸締りはしてあるし、建物のどこかが壊されているわけじゃないんだ」
ふぅん。僕が言葉を重ねようとすると、個室に店員がやってきて、料理を並べた。数種類の漬物のようなものだった。ようなもの、というのは、何の野菜かわからなかったからだった。
「何? これ。葉っぱは? この塊は?」
「葉っぱはほうれん草だろう。塊はカボチャじゃないか?」
カボチャの漬物? まじまじとそれを見て、それから広瀬を確認するが、肩をすくめてみせてくる。うへぇ、すごい日本料理だ。
カボチャと思われるものを、割り箸でつつきつつ、話を再開する。
「つまり、物理的に侵入は不可能だけど、実際に侵入されているんだね。確かに人間には不可能だ」
「いや、咲耶、一部の魔法使いには可能だよ」
これは冗談だな、と思いつつ、僕は広瀬の冗談に付き合った。
「魔法使いには確かに物質透過を扱う奴もいる。でも、透過魔法を使って人家に入って人を殺す、その行為には合理性がない」
「犯罪者に合理性を求めるのか?」
「まさか。しかし、話を聞いたところでは事件は一箇所で連続していて、人間だったら、そんな危険なことはしないだろうね。追及を考えて、場所を変えるか、なりをひそめる。それが犯罪者なりの合理性だと思うけど」
そこまで言ってから、エタニアを見ると、彼はカボチャの漬物だと推測されるものを食べていた。無言で。美味いのか不味いのかもわからない表情だ。
「専門家の意見は?」
僕が尋ねると、エタニアは漬物を飲み込み、控えめにお茶の入った湯飲みを手に取った。
「私は料理の専門家じゃない」
「そっちじゃなくて、魔法使いによる犯罪かどうか、ってこと」
その話か、と言いつつ、もう一度、お茶をすすって、答える。
「話の内容からすると、人外には人間並みの知性がないような話だったが、それは半分は正解だ。ただ、人外の一部、千歳に達する龍や、数百年を生きる吸血鬼などは、人間よりも優れた知性を持つ。知性と言っても、倫理観や判断力、となるが。二人の話にあったように、今回の件の人外は、やや行動が不自然だ。咲耶が言った通り、一箇所で連続して事件を起こすのは、合理性に欠いている。その欠落が、私たちをここへ呼んだわけで、騎士団が動かない、と思い込んでいるのか、あるいは、騎士団を全く気にしていない」
僕は広瀬と視線を交わした。エタニアはもう一度、カボチャを箸でつまんで、それをしげしげと見ながら、続けた。
「よほど大胆な奴でなければ、何か理由があるか、あるいは、何も考えていない」
広瀬が肩をすくめる。
「エタニアもよく話すようになったな、感心したよ」
鼻を鳴らしてから、エタニアがカボチャを口に入れた。美味いのかな。
「それで広瀬さん、話がだいぶ脱線しているけど、山犬とわかっている、ということは、そういう痕跡なんでしょう?」
「遺体や被害者の傷跡を見ると、爪で割かれたか、牙で噛みちぎられている」
彼がカバンから封筒を取り出し、こちらに差し出すので、受け取る。
「食事中に見る内容じゃないと思うけど」
そう言いながらも、中身の写真を見て、僕は首を振るしかない。こういう、怖いもの見たさ、って人間の愚かさの一角だよなぁ。
封筒に写真を戻し、エタニアに手渡す。彼はもうカボチャを飲み込んでいて、箸を置いて封筒を受け取った。
彼がそれを見終わった時にもう一度、店員が来て、今度は煮物と揚げ物を置いていく。即座に広瀬が、メインを持ってくるように頼んだ。店員が頷き、下がっていく。
封筒が返ってきた広瀬が、説明を始める。
「村は、エスキー村、という名前で、本当に小さい。戸数は百程度だ。主な産業は狩猟で、周囲の森に生息する熊や鹿、狼などを狩って、そこから取れる毛皮や牙、骨などを細工品にして、外部へ販売している」
「すごい村だね。紀元前の話と言っても通じそうだ」
「バカにできないよ、あの細かな細工は。ロシアの大統領が外国政府の高官に贈り物として渡したこともある」
……逆に凄すぎないか? それは。
「その村で、一ヶ月前から、事件が起こり始めた。室内にいるはずなのに、まるで犬か狼に襲われたような事態が頻発した。地元警察はさじを投げて、騎士団に通報した。で、君たちが呼ばれた」
「支部の魔法使いは何をしているのかな? 手伝ってくれる?」
「ロシアの国家魔法使いと折衝していて、手が離せない」
へぇ、と思わず呟いた時、店員がやってきて、茶碗に盛られた炊き込みご飯を持ってきた。それと一緒に急須も置かれる。お茶漬け風なのかもしれない。また、同時にお吸い物も出た。
「まずは食事だな。冷めると不味いし」
広瀬がそう言ったので、三人でしばらく無言で食事を続けた。天ぷらは、いい具合にサクッとしているが、何が揚げられているのか、さっぱりわからない。日本によくあるナスとかさつまいもとか、そういう素朴な感じではない。煮物も、綺麗に人参がカットされているのがわかるだけで、他は、根菜のようだけど、里芋とかジャガイモとか、そういうのじゃない。
とんでもない日本料理だな、と思いつつ、炊き込みご飯を食べると、こちらはキノコが入っていて、ちょっと安心した。
「で」僕は少し残したご飯に急須の中身を注ぎつつ、広瀬を伺う。「折衝って? まさか、捜査権で揉めているの?」
「揉めているわけじゃない、駄々をこねてるんだよ」
「こっちが?」
「どっちも」
広瀬の適当な返事に、なるほど、と変に納得しつつ、僕は茶碗の中身を口に流し込む。このお茶のような液体がなんなのか、さっぱりわからない。美味くも不味くもない。
口の中身を飲み込んで、僕はカボチャの漬物を食べる気になり、しかし箸の先でいじりつつ、もう一度、広瀬を見る。
「つまり、交渉の間に決着させる、という、強引な手法、ってわけか」
「支部長が暗にそういう決着を望んでいてね」
極東の支部長、というのは、地理的にも僻地で、出世の見込みはない。出世の見込みのない人間は、時に暴挙に出ることもある。もう落ちるところまで落ちてしまえ、という心理かもしれない。
「失敗したら、広瀬さんもただじゃ済まないのでは?」
「なので、二人には頑張ってほしいね」
やれやれ。ややこしいな。
決断して、カボチャを口に入れたが、とんでもない味だった。食感も。
吐き出すわけにもいかず、お茶で飲み下す。
「エタニアからの意見は?」
しばらく見ないうちに、彼は料理をおおよそ平らげていた。
広瀬に水を向けられたエタニアは、静かな口調で応じる。
「その事件を起こしている人外を、どうするのが最善だと思っている?」
これはまた、鋭い指摘だ。広瀬も少し表情を引き締めた。
「確保が望ましい」
「確保か。理由は?」
「事件の背景を知りたいからだな、取り調べの必要もあるし」
ふむ、と頷いたエタニアは、ちょっと笑ったようだった。楽しい、というよりは、挑戦するような笑い方だ。
「事件の背景など、村人に取り調べをすれば、おおよそ掴めるだろう。違うか?」
「ごもっとも。ただ、私たちにはそこまでの権限がない」
「いいだろう、その人外を捕まえれば、人間同士の下らぬ争いなど、無視できるしな」
軽く広瀬が頭を下げる。顔を上げた時、彼はまた柔和な表情に戻っていた。
「お酒でもどうかな、お二人は。いや、咲耶は未成年か」
「ええ、すみません。来年には、ぜひ。エタニアは?」
「酒は好まない。広瀬が飲みたければ飲めばいい」
そういうことができない人だとわかっているだろうに、どうやらエタニアは少し不機嫌らしい。そんなエタニアに恐縮したそぶりで、広瀬は結局、酒を注文しなかった。
少しの雑談の後、店を出ることになった。
「美味しかった?」
広瀬に聞こえないように、そっとエタニアに尋ねると、
「奇抜だった」
との返事。見事な表現だよなぁ。
というわけで、その日は支部が手配したホテルで休んで、早朝、自動車でエスキー村に向かった。広瀬は見送りに出ただけで、運転手はただの雇われた男だった。車もその男のものらしい。
季節は夏で、それでも山は真っ白だ。車は徐々に標高の高い地帯に入り、周囲に雪が残っているような辺りを進んでいく。
「着きましたぜ」
昼前に、自動車が停止したのは、林の中だった。道路はかろうじて舗装されているが、ボロボロで、それも今、車が停車している場所までだ。その先は未舗装の砂利道で、車がギリギリ通れる幅しかない。
当然、村なんてない。見えるのは木また木だった。
「この道を進んで、三十分ほどですから。お気をつけて」
どうやら徒歩で向かえ、ということらしい。
「迎えに来てもらう時は?」
「ここに来ますので。村に電話がありますから、呼んでくだせえ」
仕方なく車から降りて、荷物を手に歩き出す。自動車は狭い空間で、というよりは、半ば道路の片側の斜面に乗り上げて、方向転換して帰って行った。
道を三十分、進むと、本当に村に遭遇した。
家々は意外に立派だ。どうやって材木を運んだのかな、と思ったけど、考えてみれば材木は山に大量にある。職人さえいれば、おおよそはどうにかなるのかもしれない。ガラスや金具は、下界から持ってくるんだろうけど。
一番手前の家のドアをノックするが、誰も出てこない。
この段になった気付いたけど、村はシンとしている。
「ゴーストタウン、っていうのかな」
思わずそう言うと、エタニアが周囲をうかがった後、一度、頷いた。
「人の気配がある、向こうだ」
こうして僕たちは、エスキー村に踏み込んだのだった。
(続く)
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