第1-2話 最悪な飛行

 十五体のゾンビが頭を吹っ飛ばされた時、事態が起こってから五分と経っていなかった。

 僕とエタニアが同時に弾倉を落とし、新しいものを装填した。ゾンビの頭が弾けて、そこら中にその残骸を飛び散らせている。あっという間に腐臭が広がっている。

 ちらっと腕時計をチェック。多機能腕時計が、ゾンビウイルスの空気感染の可能性がないことを表示している。

 それでも、鼻が曲がりそうな匂いは、気分が悪くなること、確実だ。

「やれやれ。この機体は、廃棄処分だな」

 僕とエタニアは拳銃を手に、活動を停止したゾンビをチェックする。わずかに痙攣する個体もあるが、もう再起不能だ。

「それで、どこのどいつが?」

 エタニアがこちらを見る。僕が答えようとすると、しかし、相手の方からしゃべってくれた。

「銃を捨てなさい」

 振り返ると、乗客の一人の首に腕を回した女性のキャビンアテンダントがいる。

「航空会社が真っ青になる、素晴らしいサービスと言えるね」

 無駄な言葉で時間を稼ごうとするが、キャビンアテンダントの腕がデタラメな力で乗客の首をねじ曲げるのを前にしては、どうしようもない。

 僕は銃を投げ捨てた。やれやれ。

 しかし、エタニアが動こうとしない。

「おいおい、言う通りにしたほうがいいよ」

「どうかな」

 そう言うなり、エタニアが素早く拳銃をキャビンアテンダントに向ける。

 もちろん、キャビンアテンダントが何もしないわけがない。細腕に見合わない剛力が、乗客の首をおかしな方向へ捻じ曲げ、しかし力が抜ける。

「もうちょっと安全策を取ってくれよ」

 額に穴ができたキャビンアテンダントが倒れこみ、そのキャビンアテンダントの後頭部から飛び散った血飛沫を受けた乗客が悲鳴をあげる。

「もし間に合わなかったらどうするつもり?」

 僕は足元の拳銃を拾い上げる。エタニアは拳銃を懐に戻しつつ、乗客の方へ進んでいく。

「おい、エタニア。あまり無茶しないでよ」

「俺が間に合うと考えたんだ、間違いはないさ」

「どうだかね」

 乗客の様子を見て、誰も怪我をしていないのを検めた。キャビンアテンダントに首を捩じ切られかけた乗客は、どうやら病院に行く必要はありそうだけど、命に別条はない。突然の凶行のためか、誰も僕たちを抗議しようともしないのは、まぁ、不幸中の幸い、かな。

「そっちはどうだい、エタニア」

「鬼だな」

 倒れこんでいるキャビンアテンダントの様子を見ているエタニアに歩み寄ると、彼がその女性の死体の首を掴んでいるのが見えた。掴んでいるというか、彼の手の指は死体の首に埋まっている。

「年齢は四十歳程度だ。まだ若い」

「目的は?」

「不鮮明。情報が制限されている。突破には時間がかかりそうだ」

「まだこの機体の中に仲間がいる?」

 僕は視線を巡らせる。乗客の中に不審なものはない。キャビンアテンダントはあと二人、女性が搭乗しているけど、どちらの顔を見ても、まさに蒼白で、鬼の仲間とは思えない。もし鬼だとしたら、僕たちが仲間をあっさりと排除したことで血の気が引いているかもしれないけど。

「どこかに隠れているのかな。とりあえず、機長に報告する必要がある」

 キャビンアテンダントの一人を手招きし、足元がおぼつかない彼女が近くに来てから、僕は「騎士団」の身分証を見せた。彼女はカクカクと頷き、しかしもう、接客業の基本姿勢は失われていた。

「操縦室に案内してもらえますか?」

「あ、え、ええ」

 やっぱり彼女は鬼ではない。本当の恐怖に、心底から鷲掴みにされている様子にしか見えなかった。

 エタニアをその場に残して、僕と彼女で機体の前方へ。そこへ行くとゾンビの死体の群れを踏み分けないといけない。

「安心してください。空気感染はありません」

 足を止めたキャビンアテンダントを励ますべく、そう伝えてみたけど、彼女はなかなか、先へ踏み出せなかった。

 仕方なく、僕は足でゾンビたちの成れの果てを押しやり、彼女のための道を作った。この機体が廃棄処分になるのと同時に、僕の靴も廃棄処分が決定だ。

 そんな具合で、どうにか客室から操縦室に通じる通路へ進んだ。

 が、操縦室に入る必要はなかった。

「機長?」

 キャビンアテンダントが呆けたように声を発した。

 通路にちょうど、航空会社の制服を着た男が出てきたのだ。

「なんだ、どうした?」

 男がこちらへ歩み寄ってくる。キャビンアテンダントが彼に駆け寄ろうとして、しかし、それはできなかった。

 僕が彼女の襟首を掴んで引き倒し、同時にもう一方の手で拳銃を発砲している。

「おやおや」

 男の愉快そうな声。くそ、こんな時にエタニアがいない。

「無作法ですな、お客様」

 目の前で、男が掴み止めた銃弾を床に落とす。涼しい音がなるが、まったく、背筋が冷える。

「無作法なのはそちらだけどね」

 仕方なく、キャビンアテンダントを背後に庇いつつ、改めて拳銃を構えたいところだけど、そこまでの隙はない。

「見たところ、吸血鬼のようだね」

「よくご存知ですね、お客様。ご褒美は何がいいかな、坊や」

「坊や、ね。キャンディでも貰おうかな」

 キャビンアテンダントは、腰が抜けていて立ち上がれない。僕の拳銃の銃口は、彼女を庇った拍子に床に向いている。迂闊。他の装備の大半は、手荷物の中だ。

 さて、この状態をどう巻き返すか。

「キャンディ?」男が一歩、こちらへ踏み出す。「そんなものでいいのかな?」

 相手の呼吸を読むのが、限度だった。

 素早く拳銃を持ち上げ、引き金を引く。

 が、男はもうそこにはいない。

 超高速の運動により、男は僕のすぐ目の前。

 僕の拳銃が間抜けな銃声を上げた時には、男の拳が僕を吹っ飛ばしていた。

 かろうじて、キャビンアテンダントの上着を掴み、彼女もろとも、宙を舞う。

 やれやれ。こんな役回りは、したくないのに。

 半ばゾンビの死体に突っ込むように転がった僕は、かなり離れているところから乗客の悲鳴が起こるのを聞いた。

「仲間かね? 武器を捨てたまえ」

 僕の視界は限定されていて、エタニアは見えない。頭のどこかが切れたようで、視界が半分、赤く染まっている。

 この後、エタニアが取る行動は予測できたけど、それは僕にはあまり歓迎できない事態だ。

 彼は容赦なく発砲し、消音器によって低減された銃声が響くのと同時に、しかし僕の体に強烈な衝撃。

「いくら撃っても構わないが、君たちの拳銃の弾丸は遅すぎるし、こうして好きなところへ弾き飛ばせるよ」

 楽しげな吸血鬼の言葉に、僕は想像通りだな、と納得した。

 最悪なことに、この吸血鬼はエタニアが撃った弾丸を、僕の体に向けて弾き飛ばしてきた。さっきの衝撃は、僕の体に銃弾が食い込んだわけ。

 さすがのエタニアも、もう引き金を引かない。

「では、武器をこちらへ。その前に人間どもがやりたがる、人質というのを取った方がいいのかな」

 僕を案内しようとしたキャビンアテンダントは、僕のすぐそばに横たわっていた。気を失っているのは衝撃のためか、もしくはゾンビの中に転がり込んだからかもしれない。

 なんにせよ、彼女は僕の眼の前で、吸血鬼に首を筋を掴まれ引っ張り上げられた。足が床を離れて、ぶらぶら揺れる。

「そこの鬼とは違うぞ、人間よ。少しでも強く握れば、この細い首は折れてしまうぞ」

 エタニアは無言だ。まさか、人質を見捨てたりはしないだろうな。

「良いだろう」

 控えめなエタニアの声。

 ここでコンビ特有のコンビネーションで、カッコよく、決めてやろう。

 僕は自分の体の血流を把握する。

 人間の体にのみ存在する魔力、ディアが、僕の血流に宿り、魔法を発動する。

 人間のディアはそれ単体では弱い力しか発揮できない。しかし魔法使いは、このディアを使って、世界にあまねく存在するフレアを引用できる。

 僕の血流がそのままディアの流れとなり、僕の血液に世界のフレアが触れた時、僕の魔法は発動した。

 この瞬間、フレアの流れの中にいる人外たる吸血鬼も、事態を察知したはずだ。

 だが、決定的に遅い。

 僕が死んだふりをしていたせいもあるだろうけど、そもそもの意図が読めなかったはずだ。

 エタニアがその一瞬で引き金を連続して引いたのと、僕の魔法が顕現するのがほぼ同時。

 銃口が向いている先は、吸血鬼の男ではなく、僕。

 なぜ、僕を狙ったか、吸血鬼は死ぬ瞬間までわからなかったはずだ。

 自分が弾丸で頭と心臓を破壊されたのも、気付けたかどうか。

「ナイスショット」

 僕は体を起こし、額の傷から流れ出た血で作った鏡を、ディアの流れによって体内の血管に戻した。その魔法の力を使って止血もしておく。

「通り名の「鏡の血」も伊達じゃないな」

 エタニアが歩み寄ってきて、倒れこんで動かない吸血鬼のそばに屈み込んだ。

「危うく死にかけたんだから、もっとかける言葉もあるだろうに。吸血鬼に本気で殴られたら、普通、死んでるよ」

「そのためにその背広を着ているんだろう?」

 その通りではあるけれど。

 僕が来ている背広は、騎士団が配給している魔法による強化処理が施されたもので、ドラム缶を殴りつけて十メートルは軽く吹っ飛ぶような力で殴られても、着用者は致命傷を回避できる。吸血鬼に弾かれたエタニアの銃弾は実際に僕の体に当たったわけだけど、食い込んだだけで、背広を貫通してはいない。

 ただ、エタニアが使っている弾丸も、魔法強化処理が当然、行われているので、弾かれずに直撃だと、多分、上着には穴が開いたはず。

 ゾンビの一部を拭いながら、キャビンアテンダントを確認。生きている。大怪我もしてないようだ。ただ、目が覚めた時に、ゾンビに飛び込んだことを思い出して、もう一回、意識を失いそうな予感はする。

 彼女を一応、ゾンビから可能な限り遠ざけておいて、他に乗客に介抱を任せた。

「何かわかった?」

 自分の荷物の中からタオルを取り出して、拭いつつエタニアの元に戻ると、彼は険しい顔でこちらを見返した。

「何? どうしたの?」

「ドラゴンが来るぞ」

 ……なるほど。




(続く)

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