彼がただの人間じゃないとは知ってました。そんなの僕には興味ない。

和泉茉樹

不安全な空の旅

第1-1話 不安しかない離陸

 飛行機の座席にもたれつつ、僕は隣に座っている相棒に声をかけた。

「ちょっと空席が多すぎやしないかな」

 背広姿の長身の白人である相棒のエタニアが不機嫌そうに応じる。

「つい三日前に、どこかのドラゴンが航空機を撃墜したからだろ」

「「同盟」に参加しないドラゴンなんて、珍しいよね」

「人外の中にも、道理をわきまえない間抜けがいるのさ。あと一週間もすれば、どこかで対処される」

 そんな話をしているうちに、扉が閉じられて、シートベルトをつけるように、というアナウンスがあった。本当に空席が多い、半分以上が無人だ。

「あれ? どうしたの? エタニア」

 ふと横を見た時、彼がシートベルトをうまく装着できないのに気づいた。何やっているんだろう?

「大丈夫?」

「問題ない」

 いや、僕の視線の先で一向にシートベルトが固定されない。

 手が震えているようにしか見えない。

「もしかして、怖いの?」

「怖い?」エタニアが僕の方を振り向いた。「何がだ?」

 何がだ、と言われても、まぁ、よくわからないけど。

 そんな僕達の元へキャビンアテンダントがやってきて、エタニアに断りつつ、彼のシートベルトをちゃんと締めた。

 離陸を始めるアナウンスの後、飛行機が滑走路を走り始める。

 シートが揺れ始める。始めるけど、ちょっと違和感。

「エタニア、すごい震えているのは、僕の勘違いかな」

「震えている? 誰がだ」

 いや、君だよ。

 正確に表現すれば、君が肘掛けを強く強く握りしめ、その手がものすごく震えているんだよ。

 その震えが、隣の席の僕のシートにまで伝わってきている。

「やっぱり怖いんじゃないか」

「こ、怖くなんて、ない」

 いやいや、どもっているよ。

 そんな会話をしている間にも、飛行機は加速し、体が少しずつ背もたれに押さえつけられる。

「ひっ」

 エタニアの短い悲鳴と同時に、飛行機がふわりと浮き上がったのがわかった。

 しばらく体が斜めになっているような感覚の後、機体の振動はほとんど消えた。まだシートが少し揺れているけど、これは隣席が理由だろう。

 客室内の表示板で、シートベルトを外していい、という表示が出る。僕は即座にシートベルトを外した。エタニアは、もう震えてはいないようだけど、体を微動だにさせない。極端だなぁ。

「もうゆったりしていいと思うけど?」

「いや、私はこれでいい」

 これはどうも、相当、飛行機が怖いんだな。

「見ろ! ドラゴンだ!」

 どこかの客席で、乗客が声を上げた。少ない乗客が動揺するのがはっきりわかったけど、まぁ、僕は気にもならないし、エタニアは彫像のように動かない。

 アナウンスが流れ、ドラゴンが同盟に所属する個体だとはっきりして、乗客も落ち着きを取り戻した。

 その頃、僕はキャビンアテンダントに頼んで、コーラをもらっていた。エタニアはといえば、ピクリともしない。肘掛けを握りしめ、シートベルトをきつく締め、視線はまっすぐ前へ向いている。

「僕はちょっと勉強するけど、君も自由にしたほうがいいよ」

「ああ、わかっている。わかっているとも」

 やっぱりエタニアはこちらを見ていない。

 僕はコーラを片手に荷物からタブレットを取り出し、ワイヤレスイヤホンも装着し、通信制大学の講義の動画を眺めることにする。仕事が忙しくて、単位が危ない。まぁ、自分で学費を出しているから、重要なのはプライドが傷つく、程度だけど。しかし、プライドは重要だ。もし留年すれば、同僚から何を言われることやら。

 もう三十年は経つが、人類のそばで密かに生きていた存在が、唐突に表舞台へ現れた。

 彼らは人外の存在で、呼称を並べるなら、魔獣、妖獣、精霊、怪物、まぁ、そういうものだ。

 過去の創作の中にあるような、唐突な宣戦布告ではなかったことは、大きな意味を持つ。

 この人外の存在たちは人類との共存を表明し、自分たちを「同盟」と表現した。

 ここで人類は、伝説上の存在が実際に世界に存在していると知った。

 この出来事を、伝説の登場、などと呼ぶ。

 ただし、全ての人外が人類と協調することを望んだわけではない。

 この同盟の行動により、同盟と違う考えを持つ人外は、堂々と人類への攻撃を開始した。

 これが大きな騒乱となり、人外紛争、と今では呼ばれる。

 それはそれは、ひどいものだったと聞いている。ドラゴンが都市を焼き払ったりしたわけ。

 ただ、最終的には人類と同盟の共同戦線により、彼ら反動分子は、おおよそ封じ込められた。

 人外紛争から二十年近くが過ぎ去り、今では人類と同盟の関係やパワーバランスもだいぶ整理されたことになる。

 それでもついこの前にもあったように、反動分子のドラゴンが、旅客機を容赦なく撃墜したりするので、気が抜けないという側面も確かに残っている。

 この人外の出現と同時に、人類側にも変化があった。

 これは、魔法の再確認、と呼ばれる動きで、これは、伝説の登場、の直後に起きた。

 人類の中で密かに生き残っていた魔法使いたちが、同盟の出現と呼応するように、やはり表舞台に躍り出た。

 この魔法使いたちは、人外紛争で人類側の大きな戦力となった。

 人外紛争の終息後に、魔法使いたちはいくつかの組織を構築し、その技術、手法などを明確にし、日の当たる場所で発展させ始めたのだった。

 そんなわけで、ここ数十年で、世界は大激変した。

 人外、魔法使い、今まで通りの通常人、この三者が、共存し、しかしまだ完全に分かり合ってはいない、という状態になっている、と見える。

 じっとタブレットでの講義の映像に見入っていると、グイッとエタニアが僕の肩を、自分の肩で押してきた。

「何?」

 片耳のイヤホンを外して、彼の方を見ると、無言で顎をしゃくられた。前の方を示してる。

 なんだ? 前のシートの隙間から前を見ると、一人の男が立ち上がって、しかし、何やらグラグラと右に傾き、左に傾き、している。別に歩いているわけではないし、そもそも、そんな激しく揺れるほど機体は揺れていない。

 よく見えないな。何であんなことをしている?

「アホめ」

 吐き棄てながら、さっきとは別人のようにエタニアが素早くシートベルトを外した。さっきの震えと、シートベルトへの固執はどこへ行った?

「勉強もいいが、仕事に手を抜くなよ」

 言いながら、立ち上がったエタニアが、背広の内側から拳銃を引っ張り出す。本物だ。搭乗する時に手続きをして持ち込んだもので、完全に合法だ。

 エタニアは容赦なく引き金を引いて、しかし消音器が付いているので、空気が漏れるような音がしただけ。

 ただ、撃たれた方は、平気ではない。

 頭が半ば吹っ飛び、倒れ込む。

「おいおい、刺激的すぎるよ」

 思わず指摘しつつ、僕はタブレットを荷物に戻し、イヤホンを外す。

「もっと刺激的なことになるさ」

 さすがに事態に気付いた乗客が半ばパニックになる。この段階で、乗客が少ないことが、かなり有利に働いた。統制の取れたパニックというか、吹っ飛んだ男から逃げようとする乗客が席の間の通路に殺到したけど、押し合いへし合いするわけでもなく、スムーズに機体後部の方に乗客が固まることになった。

 自分の席に残った数名の中に、僕とエタニアも含まれている。

「ゾンビとは、また、古風だね」

 僕は座席の列を三つに分ける通路の右側、エタニアは左側に立つ。

 僕たちの後方に乗客が集まり、前方では十五人ほどが立ち上がった。

 その十五人は、表情が欠落し、先ほどの男と同様にゆらゆらと揺れて、こちらへ進んでくる。

 全員がすでに人間ではない。ゾンビ化している、人間だったものだ。

 エタニアにならって、僕も懐から拳銃を抜いた。

「サクッと片付けよう、エタニア」

「最悪に輪をかけて最悪だよ」

 というわけで、僕とエタニアは、機体を壊しすぎない程度に、しかし事態の状況と比べると迫力に欠ける、一方的な殺戮を開始した。



(続く)

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