第一章 欲しかった日常

Ep.1  思わぬ再会

 勢いよく跳ね起きると、全力で運動した後みたいに息が上がっていた。それを落ち着かせようと深呼吸するけど上手く出来なくて、息苦しさに涙が出てくる。


「姫様、どうされました!?」


 私の異変に気づいて、メイドの1人が駆け寄ってきて背中を擦ってくれる。


「だ、大丈夫ですわ。少々、恐い夢を見てしまって……」


「そうですか……。本日のお稽古は午後からですし、今朝はゆっくりお休み下さい。陛下には、私共からお伝えしておきますから」


 メイドの言葉に甘えて、午前中は自室でゆっくり休むことにした。


 『では、失礼致します』と言って出ていったメイドが、置いていってくれたカモミールティーに口をつけ、ようやく一息をつく。



 そのカップをナイトテーブルに置き、部屋の中を静かに見回す。

 純白のレースの天涯つきベッド、豪華な調度品、華やかなドレス……。


 今の私の名前はフローラ・ミストラル。


 澄み渡る水の王国“ミストラル”の王女です。


 ですが私には、前世の記憶があります。

正確に言えば、昨夜見た悪夢で思い出したんだけど……それにしても、どうして急に思い出したのかしら。


「ずいぶん考え込んでるね、大丈夫?」


「えぇ、大丈夫ですわ。ありがとう……って、どなたですの!?」


 今のこの部屋には私しか居ないはずなのに、不意に誰かに頭を撫でられた。


 驚いて顔をあげると、長い尻尾をユラユラと動かしている白猫が。


 そしてその背中には、毛色によく馴染む真っ白な天使の羽が生えて居た。




「貴方は、昨日召喚した使い魔の……」


「よかった、覚えててくれたんだね。でも……、初対面は昨日じゃないはずだよ?ね、花音」


「――……!?」




 目の前に飛ぶ白猫が、私の懐かしい名前を呼ぶ。

 まさか……


「ブラン……なの……?」


 この6年で身に付いたお嬢様口調も忘れ、その名前を口にした。

 かつての人生で私が拾った、小さな白猫につけた名前を……。


「当ったりー!久しぶりだねーっ」


「きゃっ!」


 ブランが背中の羽を使い、私の胸に飛び込んでくる。


 その懐かしい毛並みをしばらく撫でて堪能してから、改めて自分が置かれた状況を考えることにした。


 前世の私は、どこにでも居る普通の女子高生だった。ただ、小さいときに父が亡くなり親戚も居ない、母一人子一人の母子家庭に育った。

 それで、朝から晩まで働いて育ててくれる母の負担を減らそうと、小さいときから勉強に力を入れ続け、受験した高校で学費免除の特待生枠を取ることが出来たのだけど。

 いつの頃からか、その事について『生意気』だと言われるようになり、あの“中河瑞紀”のグループにいじめられるようになった。(他にも理由はあったけど)

 でも、彼女達のやり方は直接的な暴力じゃなく、持ち物の破壊や悪口による精神攻撃ばかりで、先生に相談しても助けてくれなくて。


 仕方なしに出来る限りスルーしていたら、あんな事件が起こってしまったと言うわけだ。


 前世の私が死んだあの日、彼女とブランも私と一緒に屋上から落ちたはず。


「――……中河さんは、どうなったのかしら」


「――……」


 私の呟きに、ブランは何も答えなかった。


 あの高さから落ちた上に、真下は確かコンクリートだった。

 打ち付けられたのだとしたら、彼女もきっとその命を散らした筈。そこまで考えた所で、指先が小さく震え出した。


 底知れない恐怖に、思わず自分の身体を抱きしめる。


 そんな私を気遣うように、ブランは私の膝に乗って小さな身体で私に寄り添ってくれた……。






















―――――――――

「……大丈夫?」


「えぇ、もう平気よ」


 どれくらいそうして居たのかはわからないけど、しばらくしたら震えは落ち着いた。

 過去の事は一旦置いておいて、今の私たちの事を考えないと。


 そう思い立ち、ナイトテーブルにノートと万年筆を用意した。


「何か書くの?」


「えぇ、この世界の事についてわかることをまとめておこうと思って」


 そうなのだ、元々私は物心ついた時から自分の名前やこの国について妙な違和感を持っていたのだけど、その理由が前世の記憶のお陰でようやくわかった。

 ここは私が前世でやっていた恋愛ゲーム(乙女ゲーって言うらしい)の“恋の行く道”の世界だ……と、思う。


 まだ確信を得たわけじゃないけど、少なくとも今の私の名前が、その中に出てきたライバルキャラの1人“フローラ姫”と同じなのだ。


 四大元素である炎、水、風、土の四つの国から成り立つファンタジー世界を舞台としたこのゲームには、四ヶ国から魔力を持った生徒が集う特殊な学園がある。




 ヒロインである主人公は、16歳でその学園に入学。


 自身の庶民と言う立場に負けず、攻略キャラである火、風、土の国の王子や学園の先生と心を通わせていく……といった流れだ。


 そのヒロインの邪魔をする悪役姫のフローラだが、彼女は(さっき私が自己紹介した通り)水の都“ミストラル”の姫である。


 それなのに名前が水絡みの“アクア”や“マリン”で無いのには、ヒロインが他国の王子を無事ハッピーエンドで攻略した場合のエンディングが関係している。




 更に、このゲームのヒロインである主人公の名前が“マリン”なのだ。


 ここまで言えば何となく察してほしいが……、3人の王子のうち誰か1人を攻略した後、フローラがマリンにしていた嫌がらせと、ミストラルの国王の悪政を断罪され他国により断罪されるのだ。


 しかし、この世界は四つの国によってバランスが保たれており、国を安定させられるだけの魔力の持ち主がトップに立っていなければならない。


 その為、フローラと国王が失脚した後は、ミストラルは学園でも最優秀に近い成績を取り、他国の王子と親密な仲であったマリンを新たな姫として迎えるのだ。


 だから、いずれ失脚する私の名前が水とまるで無関係で、逆に後々ミストラルの姫になるヒロインが“マリン”なのだろう。

 そして、エンディングで断罪されたフローラのその後だが、彼女はマリンが姫の座に就いた後、自身がしてきた事を悔いて自害してしまうのだ。


 それと言うのも、フローラとその父である国王が道を踏み外したのにちゃんと理由があるからである。




 元々、ミストラルは四つの国の中でも最も平和な国であり、国王は心から民を慈しんでいた。


 また、愛妻家としても有名だったのだが、それが後に彼自身を追い詰める事となる。


 と言うのも、フローラ姫が6歳になった年、国王と王妃が隣国である火の国“フェニックス”に招待され向かった道中で馬車が賊に襲われ、王妃が国王の目の前で殺されてしまうのだ。


 その後、賊は捕らえられ火の国により断罪され、誠意をもってこちらに謝罪をしてきた。


 その為、国王は妻の仇すら取れないままに向こうを許すしかなく、心に深い悲しみと憤りを抱える事となり……。


 それがいずれ歪みとなって、国王は国や民を愛せなくなり悪政をすることとなってしまうのだ。


 そして、幼くして母を亡くし、父から他国への憎しみを聞き続けたフローラも病んでしまい、他国の王子達を救っていくヒロインに対し敵意をむき出しにする。


 これが、悪役ポジションについた理由……って、


「お母様……!」


「あっ!ちょっと、どこ行くの!!?」


 そこまで思い返した所で、ネグリジェ姿のまま部屋を飛び出した。


 メイド達に止められるのも気にせずお母様とお父様の部屋に飛び込めば、お二人が余所行きの衣装に身を包んでいる所だった。


 良かった、間に合った……!




「まぁまぁ、どうしたのフローラ。そんな格好で……」


 お母様が私の姿を見て、苦笑いを浮かべる。


 お父様が流石に呆れた顔をしているけど、今の私にそれに弁解している余裕はない。

「お父様、お母様!今から火の国へ視察に行かれるのでしょう?」





「えぇ、そうよ。明日には戻るから、いい子にしていてね、フローラ」


 今までの私なら、ここで素直に『わかりました』と頷いただろう。

 でも今日はそれが出来ない、だってこのまま行かせたら、お母様が死んでしまうもの!!


「嫌です、行かないで下さいお母様!!!」


 私はそう叫んで、お母様にすがり付いた。


 普段ワガママなんて言わない娘の様子に、お父様も唖然としている。


 と、そこへ私の専属であるメイド達が飛び込んできて私をお母様から引き剥がした。


「もっ、申し訳ございません王様、王妃様!さぁ姫様、お部屋に戻りましょう」


 私を後ろから抱き抱えているメイドがそう言うが、私は抵抗を止めない。


「嫌!お願いですお父様、お母様!!行かないで!!!」


 焦りのあまり口が滑って、『今日隣国に行っては危ないんです!』と続けてしまった。それを聞いたその場にいた全員が、怪訝そうな顔で首を傾げる。


 その後も抵抗と訴えを止めない私に負けたのか、お父様が『そこまで言うなら、国家騎士団を護衛につけよう』と言ってくれた。


 確かに、王家が誇る騎士達が一緒に行けば本来なら安心かもしれない。


 でも、私はこの先に待ち受ける運命を知っていて、それだけではとても安心など出来なかった。


「――……では、わたくしも連れていって下さい!」


「ひっ、姫様!!!」


 叫んだ私の口を塞ぎ、メイド達が『ワガママを言ってはいけません!』と叱る。


 でもそれを、お父様が静かに制した。


「もう良い、君達は少し休みなさい」


 お父様のその一言で、メイド達が私を下ろして部屋を後にしていく。


 そして、親子三人だけになった部屋に、お父様のため息が響いた。


「全く、急にどうしたと言うんだ……」


「申し訳ございませんお父様、でも……っ」


「早く着替えてきなさい、出発までもうあまり時間がない」


「えっ……?」


 苦笑いを浮かべて呟かれたお父様の言葉に、思わず目を点にして顔を見上げてしまう。


 そんな私を見て、お母様が髪にそっとブラシを通してくれた。


「着いてきて良いそうよ、よかったわね」


「お父様、お母様……!」


 『さぁ、お母様がドレスを選んであげるわ』と言われ、素直にお二人の部屋を後にした。


 窓から庭を見れば、移動用の馬車が準備万端で待ち構えているのに気づく。



 まだ見ぬヒロインも、攻略対象の王子様も後回し、まずはお母様を守らなきゃ!



     ~Ep.1  思わぬ再会~


    『運命なんかに負けないわ!』


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