23

暗い。それにゆらゆらする。

まるで真っ暗な海を、仰向けで波に揺られて漂っているようだ。肌に触れる波はぬるくて心地好い。どこに向かっているのだろう。あてどもなく流されていく。どうしてこんな所にいるんだっけ。舟になんて乗った覚えはないのに。

指先が、爪先が、海に呑み込まれていく。

腕が、足が、海に混ざり合っていく。


このまま全て混ざり合ったら僕は一体どうなるんだろう。

深い海に沈んでいく?水の中じゃ息は出来ない。でも夢の中ならきっと自由に泳げる。

暗ーい暗ーい海の底、昼の光を集めた貝殻を提灯にして、お魚たちがお祭りを開いているかもしれない。陸の世界に憧れる人魚が、いつかを夢見て歌っているかもしれない。そんな世界が本当にあるのなら、ちょっと覗いてみたい。


ぼんやりと考え事をしている間に僕の体は半分以上水に浸かり、時々ちゃぷんと小さく跳ねた波が顔に掛かる。

けれど不思議と怖くはなかった。このままこの心地好い海に沈んでしまっても構わない――。


そんな風に思った途端、穏やかだった海が一変した。ついさっきまで温かかった水は肌を刺すほど冷たくなり、波は高く激しく押し寄せる。

必死でもがいても、足が何かに絡め取られたように底へ引っ張られていく。吸い込んだ空気はたちまち全部吐き出してしまった。


やばい。息が出来ない。暗い。何も見えない。

でもここは夢の中だ。酷い悪夢だけれど、目が覚めたら見慣れた風景に戻れるはず。きっとそうだ。

……でも。もしもこれがただの夢じゃなかったら?ここでの生死がそのまま現実に繋がっていたら?

そうだ。だって、そもそも急に変な夢を見ているのも、さっきまで一緒にいたお兄さん……いや、魔女のせいだ。だったらただの夢なはずがない。

今更になって自分が危ない状況に置かれている事に気付いた。しかもやや手遅れ気味な事にも。水面は少しずつ遠くなり、手足もずっしりと重い。もう、駄目だ……。


「白雪さん!」


奔流に身を任せかけた時、鋭く名前を呼ぶ声が聞こえた。


「しっかりしろ!」

「起きてよぉ」

「し、死なないで」


意識を向けると、次々に声が聞こえてくる。

さらには真っ暗だった水面に小さな灯りが見えた。

今ならまだ戻れる。こんなところで諦めるわけにはいかない。

僅かに残っていた力を振り絞って、光に向かって手を伸ばした。届け、届け、届け!

必死で伸ばした手を誰かに強く掴まれて、そのまま一気に引っ張り上げられる。


「ぷはぁっ!ごほっ、ぐぇ、げほげほっ」


体が引き上げられたと思ったら、そこは海などではなく、見慣れた小人たちの家のベッドの上だった。そしてその周りを取り囲むように小人たちが並んでいる。

すぐ側にいたハッピーさんの手が、僕の手をしっかりと握っている。先程力強く引き上げてくれたのは、きっとこの手だ。


「ごめんね白雪さん、ワタシが目を離したばっかりに。お留守番担当だったのに肝心の白雪さんよりも料理に集中してしまうなんて駄目だよね。また危ない目に合わせてしまってごめんね」


いつだってにこにこしているハッピーさんが泣いている。笑った顔以外を見るのは初めてかもしれない。


「……急にいなくなってしまった私も迂闊でしたし。確かに危ないところでしたけど、皆さんの声と、この手に助けられました。今はこうして普通に話せてますからあまり気にしすぎないでください」

「白雪さん、ちょっといいかな」

「ドクさん」

「今度は一体何があったのか教えてくれないか。白雪さんが倒れていた近くにこの髪飾りも落ちていたんだが、何か関係が?」

「あ!それは……」


ドクさんの手に乗せられた林檎の花の髪飾りを見た途端、先程までの記憶が鮮明に蘇ってきて、思い出すままに魔女が現れた時の事を話していった。


「……なるほど。奴は男にもなれるのか。それにしても海、か。これは推測でしかないんだが、もしかしたら意識の海だったんじゃないかな。辺りが暗くなったというのはそれだけ深くに潜り込んでいたんだろう」

「じゃあもしもあのまま底まで沈んでしまっていたら……」

「再び目覚めるのは難しかったかもしれないな」


背中がぞわっとした。自分が思っていた以上にやばいところを彷徨っていたらしい。


「それってやっぱり毒のせいですよね。でもどうして起きる事が出来たんだろう……」

「もしかしてだけどさぁ」

「なんだドーピー」

「その髪飾り、刺さってる間しか効果がないんじゃない?白雪ちゃんのはきっと倒れた拍子にぽろっと抜けちゃったんだよ」

「なるほど。確かにそうかもしれない。すぐに取れたから死に至る程の効果は出なかったんだろう。ドーピーにしては珍しく鋭い指摘だ」

「へへへ、そうでしょお。あれ、これ褒められてる?」


普段通りのドーピーさんのおかげで気持ちが和らいだ。目下最大の心配といえば、最後まで体力が持つかどうかだ。

この物語もさすがにそろそろ終盤に近付いている、はず。というかそうであってほしい。



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