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「──き様、白雪様」


優しく呼び掛けられて、深く沈んでいた意識が次第にはっきりしてくる。

ゆっくりと目を開けると、アレクさんが薄い布の向こう、ベッドの傍に立っていた。


「えっ……と?」

「何度か扉をノックしたのですがお返事がなかった為、お部屋へ入らせて頂きました。そろそろ御夕食のお時間です。食堂へご案内します」


どうやら僕はあのまま眠ってしまったらしい。

外で遊んだり勉強したりの疲れもあったんだろうけど、一番はきっとこの寝心地の良すぎるベッドが原因に違いない。


お昼を食べてすぐに寝てしまったので、なんだかついさっきご飯を食べたばかりな気がしていたのに、廊下に漂ってくる美味しそうな匂いを嗅いだら僕のお腹がキュルルッと小さく空腹を主張した。成長期の子どもとはいえ、我ながらなかなかに現金なお腹だと思う。


中庭に面しているらしい食堂は天井がとても高く広々としていて、片側の壁一面に大きな窓がいくつも並んでいたけれど、今は分厚いカーテンで閉じられていて外の景色は窺えない。


部屋の真ん中には数メートルある長いテーブル。その上座に当たる位置に貫禄のある男性が、斜向かいには綺麗な女性が座っている。

あれが王様とお妃様なんだろう。

あのお妃様が毒林檎を……。人は見掛けによらないとは言うけれど、綺麗で優しそうなあの人が白雪姫の命を狙ってるなんてとても思えない。


「白雪、おいで」

「は、はい……」


お妃様が自分の隣の椅子を示す。

変な事を考えていたからつい返事がぎこちなくなってしまった。あんまり怪しまれないようにしないと。平常心、平常心。


「あら?」


不意に頭の上へ伸ばされた手に咄嗟に身構えてしまったけれど、触れた手は優しく髪を撫でただけだった。


「寝癖が付いているわ。お昼寝していたの?」

「……あ、はいそうです」

「今日は特に勉強を頑張ったそうね。いつも言っている事だけれど、時によく遊んで、たくさんの事を学びなさい。そして相手を思いやれる人になりなさい」

「はい」


今度はしっかり頷いて、言葉の意味を噛み締める。実際に間近で話してみても、白雪姫の事を大切に想う気持ちが伝わってくる。本当にこの人が悪役なのかな……。

いまいち釈然としないまま、テーブルに向き直ると、お皿が次々と運ばれてくるところだった。


サラダにスープ、一口サイズの彩り豊かな可愛らしい料理に、さっきお腹が反応したいい匂いのお肉。他にもお魚料理と、フルーツが添えられたデザートらしきものまである。

これ、全部食べていいのか……!


「いただきます!」


両手を合わせてからナイフとフォークを手にした僕を、王様もお妃様も不思議そうに見詰めている。その視線につられるように首を傾げてから、自分がやらかした事に気が付いた。

もしかしなくても「いただきます」と「ごちそうさま」って日本独自の文化だったかもしれない。


「あのっ、これは料理や食事に携わってくれた人たちへの感謝と、食材の命への感謝の気持ちを表す言葉なんだ」

「そんな難しい事、よく知っているのね」

「本で!前に本で読んだ事があったから!」

「そう、素敵な考え方ね。私たちも真似していいかしら」

「もちろん!」


改めて手を合わせ、お皿に手を伸ばした瞬間、脳裡にコヨミちゃんの言葉が蘇った。


──白雪姫が命を狙われるのは一度じゃないからね。


なんでこのタイミングで思い出しちゃったんだろう……。

白雪姫殺害計画が毒林檎だけじゃないとすると、今目の前にあるこの料理も百%安全とは言い切れないかもしれない。

原作を覚えていないから相手がどういう風に仕掛けてくるかがわからないし、それ以前に確かこの世界はコヨミちゃんが遊びで書いたメモの内容も組み込まれてるって言ってたような……。


「白雪?どうかしたの」

「いえ、何でもっ」


大丈夫、主役はそう簡単に死なない。

覚悟を決めて口に運び、ゆっくり咀嚼してから飲み込んだ。料理の味にも体調にも変なところはない。それどころか。


「……美味しい」


お腹が空いていた事もあるけれど、繊細な味付けの料理はどれも見た目以上に美味しくて、出されたお皿をどんどん空けていく。

カラトリーの使い方は、幸いにも今日授業で習ったばかりだ。少々ぎこちなさはあるだろうけど、目の前には完璧なお手本になる二人がいるし、食べ方がわからなくてあたふたする事はない。


もしかして。タイミングの良すぎる食事マナーの授業。落ち着いて考えてみれば、これはコヨミちゃんの言っていた『少しだったら物語を調整出来る』という力の影響なのかもしれない。

もしそうなら、本当にピンチの時にはきっと手助けしてくれるはず。


頼りにしてるよ……!

届くかどうかわからない思いをコヨミちゃんに向けて念じつつ、僕は目の前の料理をデザートまでしっかりたっぷり味わい尽くしたのだった。

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