第18話
「リア、どうした?」
スプーンを危うく落としかける。食堂の端のテーブルで、遅めの朝食をとりながら、考え事をしていた。そのせいで、前方から近づいて話しかけてきたミランダにさえ、全く気づかなかった。
「え、あ……何?」
「顔色が良くないぞ。湯冷めしたんじゃないのか? 暖かくしないとダメだろう」
「……えっ、と……」
なんと返していいかわからない。どうしてこう、急に優しくなったのだろう。ここで目覚めてからというもの、いやに誰も彼もが優しい。罪悪感から、だろうか? でもそんなものを感じる必要なんて、どこにもないのに。
ミランダは自分の着ていたガウンをすばやく脱ぐと、私の肩にかけて、隣の椅子に座った。私には拒む間も、戸惑う暇さえ無く、とりあえず大人しくスープをすする。今日の朝食のメニューは、鶏肉とかぶの入った、豆乳仕立てのスープだった。豆乳はあまり馴染みがなかったけれど、まろやかな中にもちゃんと野菜の甘みと塩味が効いて、とても美味しい。
「……」
温かさが身体に染み渡るようで、思わず息を吐くと、ミランダの美しい顔がこちらを凝視しているのに気づいた。途端に顔が熱くなって、慌てて指で唇を拭った。
「あんまり、その、見ないでほしい」
「でも見なければ、お前のことがわからない」
「また、そんなこと言って……暇なだけでしょ?」
「また? またって、なんだ」
ミランダは天然で意地悪なのか、それとも純粋に疑問なのか、そんなことを畳み掛けるように言ってくる。私は肩をすくめ、スプーンをお皿の中でぐるりと回す。
「シノはまだ先生のとこ?」
「ああ、アレのことだからな。『でもでもだって』と不安がって、いつまでもごねてるんだろう。ま、仮に黒だったとしても、ロリコンが薬で治るとも思えないが」
「う、うん……」
ミランダの嗜虐癖の方がよっぽど要治療——のような気も少ししたが、黙っておいた。よく考えなくても、精神治療の優先度に関する知識なんて、私にはない。
「ペットって、いつもどんなことしてるの?」
「ん? シノは手紙にそういうことは書かなかったのか。あいつにそれ以外書くことなんてないと思ってたが」
手紙の内容を思い出し、少し後ろめたい気持ちになる。
「ま、まあ、書いてあったのはだいたいミランダとのことだったけど……本当なのかなって」
「お前にはまだ刺激が強すぎるよ。シノの筆致がどれくらい真に迫ってたかは知らないが、初めの頃なんて、もう壮絶だったからな。あの泣き叫ぶ声をそっくりそのまま正確に文字に写しとれるとしたら、よほどタフで、文才がある奴だけだろう」
「ミランダは、シノが好きなの? それとも嫌い?」
「さあな。あの頃は私もどうかしていたと思うよ。今でも十分におかしいのは自覚してるが、でもやはり今にも増して、あの頃は頭がイかれてた。自分の狂気に怯えて、恐怖を誤魔化すために狂ったことをしでかして、それでまたどんどん深みに嵌っていく……孤独っていうのは、きっとそれだけで人をおかしくする、たちの悪い呪いみたいなものなんだ。お前にはそうなってほしくない」
スプーンの先でスープの具材を刻みながら、私は笑った。
「それを精神障害者に言うの? もう手遅れだし、意味もないのに」
「いいじゃないか。こんな世の中、どうせ誰も彼もが狂人みたいなものだ。お前が今よりひどくならなければ、私はなんだって構わないよ」
私は喉元まで出かけた言葉を、ひと匙のスープと共に飲み込んだ。どうしてそんなに私に優しくするの? どうして今更になって?
「あら。おはよう、リアさん。それにミランダさんも」
すると穏やかな声がして、食堂に入ってくる二人の人影が見えた。一人はドロテーア、もう一人は青いガウンの看護師だった。二人ともにこやかに微笑んで、まるで十年来の友人かのように見えた。それはとても穏やかで、平和な光景だった。吹雪続きだった外の天気も、わずかながらも収まったようで、固く閉じられた窓のガラス越しに、柔らかな日の光が差し込んでいた。
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