第10話
『窓の鍵を手に入れろ。このメモは読んだら燃やせ。』
翌日の朝のことだった。冷え切った湯たんぽを抱えてベッドから起きると、床にそんなメモの切れ端が落ちていた。外はひどい吹雪で、びゅうびゅうと強く吹き付ける風の音が聞こえてくる。メモの文章は日本語だったが、自分の筆跡ではない。裏返してみると、小さな走り書きがあった。Asgerd。癖の強いアルファベットの字で、ただ一言、そう書かれている。使ったのは鉛筆らしい。
「……足が冷たい」
燃やすのに使えるものなんて、あったろうか。
そう思いながらも、ベッドの下から昨日もらった箱を引きずり出して、中をよく探してみる。マッチやライターなどは、やはりどこにも入っていない。困ったな、と寝ぼけ眼で中身を戻しながら、ふと、どうしてこのメモを燃やせという謎の命令に、自分は迷うことなく従おうとしているんだろうと疑問に思った。けれど、すぐに納得した。私は結局、そうして誰かに従うしかない。そういう星の下に生まれてきたのだ、きっと私は。
「しょうがない」
箱をベッドの下にしまった時、ちょうどドアがノックされた。わずかに開けてみると、そこには寝癖をつけたままの、眠たげなシノが立っていた。寝起きであの可愛いモコモコパジャマのままなのに、シノの目にはもうちゃんとカラコンが嵌っていて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す瞳の奥のちぐはぐな色だけが、白い服と白い髪に異様に映えていた。
「おはよ。ごはん食べに行こ」
「うーん」
「どしたの?」
今起きたばかりに見えるわりに、ちゃんとひげやら剃ってあるのをみると、ミランダが律儀に毎朝やってあげてるのかもな、と思いながら、私は尋ねた。
「ねえ、シノはタバコ吸う?」
「ボク? いや、ボクはタバコはもらえないよ。贅沢品だし、病人だし」
「そう」
「急にどうし……あ、もしかしてボクタバコ臭かった? ミランダがいつも吸うから、匂い移っちゃったのかな……シャワーはちゃんと浴びてるんだけど……」
シノが自分の服をくんくんやっているのを見ながら、少し考えて、私はもう一度小さな声で尋ねる。
「あのね、お願いがあるんだけど」
「なーに?」
「ミランダの部屋に行って、灰皿とライター、貸してもらってきてくれない?」
「へっ?」
しばらくの間、沈黙が訪れた。びゅうびゅう、と風雪の音。
「……えー、っと、なんで?」
「だめ?」
「いや、だめってわけじゃないけど……何に使うの?」
「それは秘密」
「ひみつって?」
私は少し目線を下げた。
「女子には、ほら……色々あるから」
「あっ」
そう言うと、シノは短く驚きの声を発して、しばらくじっと考え込むような顔をした後、やがて困ったような笑顔になった。
「そ、そうだよね、ごめん。ボク貸してもらってくるよ」
私はニッコリと笑って「ありがとう。ごめんね」と言いながらも、こんな気弱で騙されやすいことでは、どうにも心もとないと、そう思っていた。だが物は試しと数分間、いなくなった友人を待ってみると、予想に反して彼はきっちりと金のライター、そして鈍い銀の平灰皿を持って帰ってきた。
「はい。気をつけて使ってね」
彼は少しだけ開いたドアの隙間から、そっと手を差し入れ、私にそれらの道具を手渡してきた。不思議なことに、彼の指は義指以外の全てがぽかぽかとあたたかく、ほんのり石鹸の良い香りがした。
「ねえ、リアちゃん」
「なに?」
「ボクはたとえどんな秘密があっても、君を裏切ったりしないよ」
私はどんな風に答えて良いかわからなかった。わからなかったが、ただこくりと、頷いてみせた。それだけが、私に許された最後で最上の意思表示の手段だと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます