第4話



「まあそれはそれとして、だ」

 エレミヤは話を続ける。

「君をここに連れてきたのはミランダだよ。彼女はもう僕たちの側にいる」

「ミランダが?」

「ああ。でも、僕たちに連絡を取ってきたのはユウ。彼は、このシェルターの受け入れ準備が整っていることを知っていたからね。でも結社のエージェントが現場に駆けつけた時には、もうミランダと君の二人しか残っていなかった。それからシノを拾って、ここまでやってきたというわけだ」

「ユウはいなかったの?」

「ああ。あの子が一度その気になれば、行方なんて誰にも追えないよ。何しろ彼は殺し屋で、あまりにも自分というものがないんだからね」

「そう……」

 自分より昔からユウを知っている人がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

 何もすることがないので、とりあえず、コンソメスープにそっとスプーンを入れた。かすかに湯気の立つ水面は、よくよく目を凝らしてみると、わずかだが不規則的に揺れている。そういえば、上の階から足音がするような気がするし、廊下からも若干話し声が聞こえてくる。ずっと二人でアパートで静かに暮らしていたから、通路や街で人を見かけることはあったが、こんなに近くに他人の気配を感じるのは、学校に通っていた頃以来だ。

「とにかく、君たちにはしばらくここにいてもらうことになる。食事が済んだら、僕がこの施設を案内しよう。ミランダも一緒にね」

「はい」

「それにしてもリア、君はとても英語がうまいね」

「え……いや、別に……」

 そう言われて、思わずスープに目線を落とした。あまり話す方でもないし、知っている言葉をいくつか組み合わせているだけだ。そうしないと、イギリスでは色々と都合が悪かっただけで、決して上手くはない。しかし、エレミヤはにこやかに続けた。

「君の英語は流暢って言うより、とても自然だ。まるで昔から英語を使っていたみたいに聞こえる」

 それは褒めすぎだろう。

 そう心の中で言って、スープを飲む。ほどよい塩味、とろけた野菜の香り。しばらく使われていなかった脆い消化管に染み渡る、やさしい味がする。

「あ、ねえ」

 パンを頬張っていたシノが、不意にこちらを向く。

「なあに?」

「ミランダのこと、怒ってない?」

「なんで?」

「だって、ボクのためにミランダはリアちゃんとユウを利用したんだよ。そのせいであんな、ひどい怪我をして……点滴のまま何週間も寝ていたんだよ、リアちゃん」

「うん……」

 たぶん、そう言われるということは、怒るのが普通なのだろう。でも、そうだとしても、それは仕方ないことのような気がした。もし私たちがあの場所に行かなかったとしても、それで友達のシノが死んでしまったなら、どちらにせよ私は不利益を被っていたに違いなかった。

 そこまで考えた時、あのロンドンのアパートにミランダが持ってきた、不気味な小箱のことがふと頭をよぎった。

「あの、シノ」

 小さく名前を呼ぶと、「ん?」と彼は子供をあやす母親のように微笑む。口の周りに少しパンくずとバターをつけているのに、それを指先で拭って取ろうともしない。身だしなみに気を使わないというよりも、きっと、自分ではそのことに気づいていないのだ。

「シノ、指……」

「ああ、これ?」

 指輪をはめた指を眺める女の人のように小さく小首を傾げて、シノは自らの右手を見た。遠目からはわからないほどリアルな色味をしているが、その人差し指は、確かにシリコン製の義指だった。

「大丈夫だよ。切られた時は全身麻酔をされて意識もなかったし、その後も、フェリスに痛み止めをもらってたから。目が覚めた時は少し泣いたけど、これくらいの不幸、今更、どうってことない」

 ミランダならもっと痛くする。

 おどけたようにそう言って、シノは造り物の人差し指を「内緒」の印のように、そっと唇に当ててみせた。

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