9-1

 


 港にやってきた小野寺さんが制服を着ていないのは初めてのことだった。


「誰かと思った」

「似合う?」


 彼女は真っ黒なワンピースを身に纏っている。


「魔女みたい」


 言ってしまって我ながら馬鹿だったと思った。


「魔女だもん」


 僕の予想に反して、小野寺さんがくすくすと笑う。

 手摺に背中を預けた僕の横で、彼女は海を見ていた。海からの風が小野寺さんの黒い髪とワンピースを大きくなびかせる。

 同時に、一番近くの外灯が消えた。


「……やっとだ」


 ぽつりと言った小野寺さんの声が海風と一緒に耳へ届いた。


「僕、なにかする?」

「ここにいてくれたらいいよ。ありがとう」


 しゃがみ込んだ小野寺さんは、ポケットからチョークのようなものを取り出して、足元のコンクリートにそれを滑らせていく。不思議な模様に、魔法陣という言葉が浮かんだ。その魔法陣を挟んで、小野寺さんの向かいにしゃがむ。


 しばらくのあいだ、彼女がそれを描くのを眺めていた。


 目の前に魔女がいる。波の音を聞きながら、改めてそう思った。非現実的な数週間が春と同じスピードで流れ、きっと、もうすぐ終わる。手を止めた小野寺さんが顔を上げた。


「これが終わったらまた、都築くんから私の記憶を消さなきゃいけないな」


「え?」

「高校に一年間通うごとに、学校で会ったことのある人みんなの記憶から私を消すことにしてる、というか、そういう決まりなの。一応毎年学校は変えてるけど、念のためね。だから、都築くんの記憶からも一回、私を消したことがある。今回は学校じゃなかったけど、魔女のこと喋っちゃったから」


「ちょっと待って、僕、小野寺さんのこと覚えてたよ」


 小野寺さんは目を伏せて左手で髪の毛を耳にかけたあと、僕に視線を戻す。


「初めてここで都築くんに会ったとき、ほんのちょっとだけ、思い出してもらっちゃった」


「……そう、なんだ」

「新しい学校に入って、次の春が来たら、それまでの一年を全部なかったことにして、また新しい学校に行っての繰り返し。この春が、十回目」


「十年……」

「昔のクラスメイトに会って、久しぶりとか言って、そういうのやってみたかったんだ。本当はあの日、一人でここに来て、魔女をやめようと思ってた。でも、都築くんがいて、思わず声かけちゃった」


「僕のこと、覚えてたの?」

「覚えてるよ。今までのクラスメイト、全員のこと。みんなの記憶から私を消して、その上私までみんなのこと忘れちゃったら、私の十七歳、意味がなかったことになっちゃうもん。だから都築くんのこともちゃんと、覚えてるよ。クラスで一番、優しい人だった」


「優しい?」


 僕は思わず、鼻で笑ってしまった。

 僕はクラスメイトとろくに話もしなかったはずだ。人付き合いが苦手だということは中学の頃には自覚して、高校では必要以上の関わりをやめた。できないことから、僕は逃げ続けている。


 

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