8-2
「どうして?」
「……」
僕は立ち上がって海の目の前まで逃げ出した。
大学を辞めて、結局二十歳の誕生日を迎えてしまった僕は、ようやく本物の現実を見ることになった。小説を書くというそれまで僕の生活の全てだったものが、生きていく上で何に分類されるのかをようやく知った。
「ただの趣味」だ。
そしてそれを続けていくには、それ以前に当たり前のように生きるということと向き合わなければならない。でも、そうするには、僕は生きるということをあまりにも放棄しすぎてしまっていた。
生きるために働いて稼ぐこと、一円にもならない文章を書くこと。
後者だけでは生活ができなくなって、前者だけで毎日が手一杯になる。なにかを書くことで生活していくには、売れる文章を書かなければいけない。
たとえば、誰かにとって一番になるようなそれを。
小説を書いた。書いて、書いて、書いて、形になったのは生活なんかではなく、薄々気づきかけていた僕自身の欠陥部分だった。
僕には、人を想う気持ちが決定的に欠落している。
本物の悲しみを知らないくせに、涙を書いた。本物の寂しさを知らないくせに、孤独を書いた。知らない愛を知ったように書き、命を冒涜しながら死を書いた。知っているのは怒りや嫉妬ばかりで、同情も愛も理解ができない。
次第に、なにかを書くたび自分の心が空っぽだということが明白になっていくような気がして、それを見せびらかすのが嫌になって、高校生の頃からネットで公開していた小説サイトを辞めた。無意識のうちに比較をして自分の小説をこれ以上嫌ってしまうのが怖くなって、人の小説を開けなくなった。
たとえば姉の一番になったクロだとか、たとえば佐々木の一番になる女子だとか、そういう「特別」な存在に、僕はずっと憧れていた。だけど同時に、そうなれないことだって解っていた。
あの白いUSBに入っていた薄っぺらい僕の言葉は、誰の一番にもなれやしない。
後ろで小野寺さんが立ち上がる気配がした。なにか話題を変えたくて、僕は振り返る。
「そういえば、小野寺さんが初めに言ってた頼み事って結局なんだったの?」
喋る前に一度微笑むのは、彼女の癖なんだと思った。
「まだ、言ってなかったね。魔女をやめるには、簡単な手続きが必要なの。でもそれを一人でやるのがちょっとだけ怖くて、誰か一緒にいてほしかった」
「どうして僕に?」
「ここに都築くんがいたから。……一緒に、いてくれる?」
僕は劇的な運命よりも、単なる偶然を信じる質だ。いつもと何一つ変わらない匂いの潮風を飲み込んで、僕はなんとか頷いた。
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