7

 


 この町で桜が咲いている場所を、僕は一つしか知らない。海からは歩いて行くと三十分はかかると告げると、それでも小野寺さんは楽しそうに「いいよ」と言った。

 スキップをするみたいに進んでいく彼女の半歩後ろを歩きながら、道を曲がるときだけ声をかける。弾む後ろ姿とは裏腹に、彼女はなにも喋らなかった。


 目的の公園に辿り着いて、僕は桜が咲いているはずの広場へと小野寺さんを案内する。しかし、そこにあったのは枝が剥き出しになった木ばかりで、花びらはすでに濡れた地面に散らばって汚れていた。連日の雨で全て散ってしまったのだと思った。


「……遅かったね」


 そっと小野寺さんの横顔を見た。いつもの真っ直ぐな瞳で、桜の枝を見上げている。


「目を閉じて」


「え?」

「目、閉じて」


 僕は、彼女の言う通りにした。


「満開の桜を思い浮かべて。とびきり綺麗な」


 暗闇の中で聞こえる声に、脳内で桜並木が出来上がる。海の底以外を想像するのは、本当に久しぶりだった。


「もうちょっと、そのまま。数え終わったら、目を開けるんだよ」


 小野寺さんの初めて潜めるような声。


「3、2、」

――1。


 今度はしっかりと聞こえた彼女のカウントと一緒に心の中でそう言って僕は目を開ける。


 瞬間、視界一杯に広がったのは息をのむほど綺麗な桜吹雪だった。


「っ、……」


 ついさっきまで夜空に張り巡らされていた枝には、一本残らず淡いピンク色の花が満開に咲き乱れ、まるでその全てが自ら光を放っているように輝いて、僕らを囲む夜を照らしていた。

 僕は口を半分開いたまま、目の前の光景に目を瞠った。


「こ、これ、……魔法で?」


 辺りを見回したあとで、小野寺さんに視線を向ける。彼女は、ぼうっと中空を見つめていた。それから数秒間の空白のあと、僕の声に微笑みを返して、


「ごめんね」


 と言った。



 あまり長くは続かないから綺麗なうちに帰ろうと言う小野寺さんと、早々に公園をあとにする。彼女がどうして謝ったのかについて考えているうちに、港までの道を半分ほど過ぎたところの赤信号に行き当たった。人も車もいないからそのまま行ってしまおうと思ったけれど、小野寺さんがぴたりと止まったので僕も立ち止まる。


「都築くん、あのね、私魔法なんて使えないんだよ」


 一歩先に立っている小野寺さんの表情は見えなかった。


「でも、さっきのは」

「私は空を飛ぶことだってできないし、花を咲かせることだってできないの」


「……」


 なにを言いたいのかいまいちわからなかった。そんな僕を置いていくように話は続いた。


「私ができるのはね、人の見ているものとか記憶とかを操ることだけ。でもこんなのは魔法でもなんでもない。ただ、騙してるだけ」


「でも、」


 小野寺さんが振り返る。


「私、魔女をやめる」


 

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