2-2

 


「びっくりした?」


「急に、現れるから」


――私は、魔女の末裔です。

 三日前の夜、彼女はそう言い残してどこかへ消えてしまった。突拍子もない冗談か、そもそもあの夜自体が僕の妄想か夢だったのかと思い始めていたけれど、少なくとも後者ではなかったらしい。


 視線を小野寺さんの足元まですべらせて、再び顔まで引き戻す。彼女は今夜も制服を着ていた。


「そんなに見つめられると照れちゃうな」


「な、なんで制服?」


 小野寺さんはどこか誇らしげな様子で腰に手を当てる。


「十七歳だもん」


 何を言っているのだろう、と思った。彼女は高校時代の同級生だ。卒業からは四年が経って、僕は二十二歳になった。


「なに言ってんだこいつ、って顔」


「……」

「そりゃあ信じられないよね。突然、私魔法使いですー、なんて。私も言ってて馬鹿みたいって思うんだ」


「じゃあ、どうして僕にそんなこと」

「都築くんに頼みたいことがあるの。そのためには私が魔女だって言わなきゃいけないと思った」


「……よくわかんない」


 まるで自分で好き勝手に作った妄想の世界みたいな状況に、思考が追いついていかない。

 見上げた先の小野寺さんの大きな瞳は、なにかに似ていた。夜の港、黒い水面、それとも別のなにか。瞬きをしてようやく、彼女としばらくのあいだ見つめ合っていることに気がついて目を逸らす。


 沈黙に微かな海風が通った。息が詰まる。こういう瞬間がすごく苦手だ。自分の言葉で会話が終わる瞬間。きっと何時間も経ったあとで、「こうやって言えば良かった」と思う羽目になる。いくら無駄だとわかっていても、後悔は僕を見逃さない。


「じゃあ」


 頭上の声に視線を惹かれた。少しの驚きと、残りは安堵で息を吐く。


「今日は一つ、魔女の話をするね」


 小野寺さんの髪が風に揺れる。僕は頷いていた。



 ふらふらと落ち着きのない小野寺さんに「座ったら?」と勧めると、思ったよりも控えめに頷いた彼女は僕の左隣へ座った。向かい合わせではなくなって肩の力が抜ける。


「魔女はね、十七歳になったら、魔女をやめるかどうか決めなきゃいけないの」


「やめる?」

「そのまま魔女として生きるのか、それとも普通の人間になるのかを決めるの。魔女はこれを決めるまで、十七歳をやめられない」


 海を見たままだった僕は、ちらりと左に視線を移した。小野寺さんは真っ直ぐな瞳で瞬きもせずに海を見つめている。

 十七歳をやめられない……? 彼女の横顔は、四年前からなにも変わっていないとでも言うのか。


 小野寺さんがふいにこちらを見る。急に目が合ってしまってたじろいだ僕を彼女は笑った。心の端をつままれたような小さな不快感に海へと視線を戻す。


「……年齢に、やめるとかやめないとか、ないでしょ」

「それがあるんだよ。私がその証明」


「……」

「決めるまで私は、大人になれない」


 落ち着けようとした心が、すっと冷たくなるのを感じた。


「羨ましいね」


 なにも考えないままに思ったことを口にしたのは久しぶりだった。


「そうかな」


「うん」


 再び沈黙が訪れようとした瞬間、小野寺さんがパンっと一度手を叩く。渇いた音が空気を震わせて、夜に吸い込まれた。


「今日のお話はここまで!」


 弾んだ声と共に、彼女の気配がふっと消える。


 

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