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きっかけは、とある小説だった。
中学生の僕の読書への興味は、周りとほとんど変わらなかったと思う。本を読むことは嫌いではなかったけれど、読むと言ったら朝のホームルーム前に設けられた十五分間の読書タイムだけ。僕は教室に置かれた学校の本を適当に選んではその時間を潰した。
そんな僕が初めて自分で本を買ったのは、中学三年のときだった。文房具を買うために行った本屋で、なんとなく立ち寄った小説のコーナー。どうやって選んだのかは覚えていない。
主人公は自分と同じ歳だった。僕の心は、その物語に激しく揺れた。読み終わって本を閉じた時、帯に目が留まった。アニメーション映画化の告知と、一週間前の公開日付。
次の週末に僕は初めて一人で映画館へ行った。
自分の脳内で思い描いていたものが大きなスクリーンに次々と流れていくのを観ながら、それまで体験したことのなかった感動を覚えていた。想像した景色に目に見える色が付いて、好きだった台詞に息が入り、風や音楽が流れて物語が呼吸する。
とにかくその全てに胸を打たれていた。いや、殴られていたのだ。
こんなふうになにかを創ることができたなら、どんなに楽しいのだろうと思った。
小説家に憧れたのはその時だった。
でも、その頃の僕の中にはすでに、別の夢が巣食っていた。
海へ行くと、小野寺さんは僕よりも先にそこにいた。彼女は芝生にしゃがみ込んで大きな黒い影を撫でていた。近づくとそれがカラスだとわかって思わず「うわっ」と声を出してしまう。
「怖くないよ」
小野寺さんの静かな声は、僕ではなくてカラスに向けられたものだった。
「……好きなの? カラス」
「友達だよ」
「……」
「また。なに言ってんだこいつって思ったでしょ」
「思ってないよ」
彼女はカラスの頭を撫でながら、僕を振り仰いで「冗談だよ」と笑った。
「あのさ」
「なあに?」
「聞いてもいい?」
「うん」
「小野寺さん、魔女ってことは魔法が使えるんだよね。空を飛んだりできるの?」
「ホウキに乗って?」
嘲笑とも自虐とも思える声色に戸惑って、僕は頷くこともできなかった。小野寺さんはカラスに視線を戻して、彼女の表情は見えなくなる。撫でられたカラスは小野寺さんの手にすり寄った。
「魔法って、どんなことだと思う?」
僕は、今まで映画や本で見た魔法使いを思い浮かべる。
「空を飛んだり、物を浮かせたり、魔法で料理したり、とか」
「私、ママは魔女だけどパパは人間だから、魔法はほとんど使えないの。都築くんが思ってるようなことはたぶん、なんにもできない」
「じゃあどうして迷ってるの?」
「迷ってるって?」
「魔女のままでいるかどうかってやつ。十七歳のままってことは、まだ決めてないからなんでしょ?」
「あはは、そうだね」
「どうして?」
「んー、どうしてだろう」
静かな港で、明るい調子に戻った彼女の声は宙に浮かんでいつまでも僕の耳元を漂っているようだった。
「やっぱり羨ましいよ」
「……なにが?」
「だって、将来をどうするのかとか、好きなだけ決められるってことだよ」
「そんなにいいものでもないよ」
僕は彼女に、腹が立っていたのだと思う。
「……そんなのは、」
贅沢なんじゃないのか。
僕は言葉を飲み込んで彼女に背を向けた。
家に帰るまでのあいだ、胸の中でぐちゃぐちゃと感情が混ざり合って波を立てていた。どうすることもできない、後悔と同じくらい無駄なものだと解っている。
深呼吸を何度も何度も繰り返して、ようやく心が空っぽになったとき、ふとあることを思い出した。
小野寺さんの頼みとは、いったいなんなのだろうか。
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