十一-4

「ルキト!」

 人気(ひとけ)がなくなった大通りの真ん中に立って巨大傀儡の様子を伺っていたエレンは、怪物の懐に穿たれた傷口が塞がったのを見て思わず叫んた。あの中にはまだルキトがいる。傀儡の図体に白い霜が広がっていくところまでは良かったが、ルキトが怪物に取り込まれてしまうのは納得できない。

 反射的にエレンは前へと踏み出した。が、すぐに後ろから誰かに肩を掴まれた。

「どうして止めるのよ!」

「彼を信じましょう、エレンさん」

 いつの間にか後ろに立っていたフールは冷静な瞳で傀儡を見上げていた。楽観視しているわけではなく、慎重に事態を見定めている面持ちだ。エレンは焦れったそうに歯噛みをし、その場に踏み留まる。

 ルキトの姿は確認できなくなったが、氷の勢いはまだ止まってはいなかった。死の温度は怪物の体内から猛威を振るい続けている。つまりルキトはまだあの中で闘っている。

 異形の怪物は不気味な咆哮を上げた後、ついに足元からその巨体を崩壊させ始めた。粘土質だった灰色の体表が、まるで呪文でも解けたかのように大量の毛糸や布となって地面の上に積もっていく。膝、腰、胸と、瞬く間に体形が瓦解していき、残骸が山のようにどんどん高くなっていった。

 瞼を開けていられないほどの埃と塵が煙となってビルの谷間に立ち込める。傀儡の頭部が崩れ落ちたのをエレンは目にしたが、そこから先は粉塵の霧に視界を奪われた。ルキトの姿は最後まで見つけることができなかった。

 火山灰のように無数の綿が音もなく空から降ってきた。先程までの災害が嘘のように街は静まり返る。マキの操縦するヘリも上空からいなくなっていた。

 自分の呼吸が聞こえるほどの静寂だったが、エレンの息は荒れていた。

「無事なんでしょうね……」

 ビル風に押し出され、やがて煙が晴れた。綿の雨が降る道路の中心に堆く積もった糸屑と布切れの山。街を蹂躙していた巨人の面影は皆無で、ビルとビルの合間に張られた拘束用のワイヤーだけが闘いの名残となっていた。

 エレンはフールから離れて残骸の山へと駆け出した。青年の気配が背後から消えたようだったが、気にはしなかった。

 一心不乱に車道を走り抜け、残骸の山に辿り着くとエレンは目を凝らしてルキトを探す。死の温度の冷気は幻のように霧消している。

「ルキト!」

 大声で呼びかけるが、反応がない。

「ルキト! どこ!?」

 もう一度叫ぶ。すると傍の斜面の一部が動き、華奢で色白の腕が出てきた。

 エレンは急いで駆け寄り、その腕を掴んでルキトを地面の上へと引っ張り出した。

 よろよろと力なく四つん這いに崩折れるルキト。

「大丈夫!?」

「ああ、なんとか」

 ルキトはそう言ってふらふらと立ち上がった。瞳は虚ろげだったが、体は無事のようだ。

 エレンが安堵に息を吐く。その直後、ルキトがいきなり両手でエレンの首に掴みかかってきた。

「がッ……!?」

 訳も分からずエレンは声にならない悲鳴を吐く。喉が絞まり、息ができなくなる。驚愕に見開かれたエレンの瞳には、やけに無表情なルキトの顔が映っている。

「よくも邪魔してくれたね」

 何のことか理解できずにエレンはただ呻き苦しむ。両手でルキトの手を引き剥がそうとするが全く動かない。呼吸ができず次第に目が眩んできた。

 意識がなくなる寸前、目の前に立つルキトが、脳天から縦に真っ二つに切り裂かれた。血飛沫は上がらず、少年の体は布と毛糸の寄せ集めとなって地面に崩れ落ちた。

 首を解放され、エレンは激しく咳き込みながら息をする。顔を上げると、偽物のルキトの亡骸のすぐ後ろにもう一人のルキトが氷柱のように佇んでいた。

「あなた……本物?」

「傀儡でもギフトの真似まではできないよ」

 そう言ってルキトは右手に装着していた氷の剣を氷解させた。最後の最後までしぶとく人形を使役したスイの姿は、ここからは確認できなかった。

 巨大傀儡の残骸の天辺から、もはや聞き慣れた色っぽい声が降ってきた。

「無事だったのね、坊や。一石二鳥になるかと思ってたのに、残念だわ」

 マキはいつの間にかヘリから降りていたようだ。憎まれ口を叩きながら白衣の女は立てた親指で山の後方を指した。

「円田翠はあっちの方でのびてたわ。たった今収拾班が麻酔銃を撃ち込んで護送車に収容したところよ。ところで……あなたたちもついでに乗っていく?」

 マキは肩にぶら下げていたアサルトライフルを唐突にこちらへ向けてきた。ルキトとエレンは身構える。そう、ルキトたちがナースの標的から外れたわけではない。一時的に共同戦線を張ったものの、共通の敵がいなくなれば再び敵対関係に戻るのは当然の流れだ。

 ルキトはマキを睨みつけ、マキはルキトたちを嘲るように見下ろす。一触即発の緊迫感が過ぎり――

「……けど残念ながら、今からこの場で傀儡の残骸の焼却作業が始まるの。もうドンパチできるような状況じゃないのよ」

 マキはからかうような笑みを浮かべて銃を下ろした。

「俺たちのことを見逃してくれるのか?」

「聞こえが悪いわね。今この場所は戦闘不可領域になったと言っているのよ。それから、さっきまで偶然通信機を切りっぱなしにしていたから、あなたたちが傀儡との闘いに関わったことはホスピタルには感知されていないわ。運が良かったわね」

 どこまでが本当なのか掴めない台詞を吐き、マキはウェーブのかかった長い前髪を妖艶な仕草で掻き上げた。

「ホスピタルの人間に見つからない内にさっさとこの場から離れることね。次に会ったときはまた容赦なく引き金を引かせてもらうから、覚悟していなさい」

 「じゃ、またね」と言い残し、ナース・マキは白衣を翻して山の反対側へ降りていった。

 ルキトとエレンは顔を見合わせる。

「追い払ったってことでいいのかな」

「そのようね、たぶん」

 普段無表情なルキトの顔に、僅かに安堵の色が滲んだ。エレンも溜め息を吐き、肩の力を抜く。常人離れした戦闘力を持つナースを退かせ、人形使いのブレシスが操る巨大な怪物をも打倒した。

「一人じゃどうにもならなかった。助かったよ、エレン」

「別に私は大したことしてないわよ」

 どことなく強がるようにエレンはそっぽを向いた。どうであれ構わない。今こうして二人が無事でいられるならそれでいい。

 二人は並んで道を歩いて行く。周囲に人はいない。ホスピタルの関係者は山の向こう側だ。

「あのマキって人、ホスピタルはまだ諦めないようなこと言ってたね。また別のナースが現れるかもしれない。それに、円田翠のような危険なブレシスも」

「その時はまた返り討ちにしてやればいいわ」

 それを聞いたルキトはエレンの顔色を伺う。

「じゃあ、一応確認しておくけど……俺たちはこれからも味方同士ってことでいい?」

 エレンは呆れたような微笑を浮かべた。

「次また野暮な質問してきたら、怒るわよ?」

 影で活躍してくれたセオとリュウヤは姿を見せず、勝機を作ってくれた謎の銀マントの青年もどこかへと消えていた。メアルもきっと無事に避難できただろう。残るルキトたちも早めにこの場から退散した方がいい。

「……ところで、俺こっち方面なんだけど、一緒に帰る?」

「私は真逆の方向よ」

 少しだけ残念な気持ちになったが、ルキトは決して顔には出さなかった。

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