十-3

「なんだよ、巨大傀儡って?」

 いきなり飛び出した初耳の単語にルキトは混乱を覚えた。激闘の過ぎ去った並木道。ルキトとエレンはマキと距離を開けたまま向かい合い、今しがた彼女の口から衝撃的な事実を聞かされたところだった。

「円田翠というブレシスがギフト『偽生の繰糸』を駆使して作り出した動く人形よ。今まさに都心部でその巨大な傀儡が暴れているの。重要度を鑑みて、あなた達の確保は二の次になったわ」

 先程から遠くで何台ものパトカーのサイレンが鳴っている。都心部で起きている異常事態によるものだろう。それとは別に、どこからともなくヘリコプターのプロペラ音が聞こえてきた。

「私はこれからヘリで都心部に向かい、巨大傀儡を止めるわ。あなた達は大人しくお家に帰りなさい。すぐにまた捕まえに行ってあげるから」

 ホスピタル側は既にマキを都心部に送る準備を進めていたようだ。未だ状況の理解が追いついていないルキトが隣に立つエレンの方を見やると、彼女もまた狼狽した表情を浮かべていた。

「なんだか、とんでもないことになっているみたいね」

「ああ。けど――」

 ルキトの声はけたたましいプロペラ音に掻き消された。頭上に飛来する一機のヘリコプター。道の両脇に並ぶ木々を乱暴に風圧で揺さぶりながら、白一色に塗りつぶされた武装ヘリがマキの後方に着陸した。

 ウェーブのかかった長い髪と、あちこちが血に染まった白衣を風にはためかせながらマキは踵を返してヘリへと足を向ける。しかしすぐにその体がふらついた。マキは先程まで二人のブレシスを相手に闘いを繰り広げており、エレンの拒絶の力の直撃と、ルキトの氷柱の弾丸を浴びて傷だらけの状態だった。

「……あんた、そんな体でも行くのか?」

 片手で腹部を庇いながら、マキがこちらに横顔を向ける。

「ブレシスに心配されたくないわね」

 強情な笑みを作ってみせるマキだったが、眉間に浮かぶ皺は隠しきれていない。当然だ、マキの体の至る所には裂傷が刻まれ、今もなお出血している。そんな状態で敵と満足に闘えるはずがない。

 都心部では現在も巨大傀儡が人々を危機に追いやっている。ルキトは風に揺れる長い前髪の奥から決意を秘めた視線をナースに送りつつ、一歩前に踏み出した。

「俺も行く」

「ちょっと!」

 すぐさまエレンが声を上げた。

「ホスピタルに手を貸そうっていうの!?」

 当然のことながらマキも首を縦には振らない。

「悪いけど冗談に付き合っている時間はないの。これはホスピタルの仕事よ。あなたの出る幕じゃないわ」

「誰が何をすべきかとか、そういう些細なことにこだわっている場合じゃないだろ。俺は、俺のギフトが今街で起きている事態を治めるのに少しでも役に立てるなら、そうしたいと思ってるだけだ。俺がギフトを振るうなら、そういうことに使いたい」

 マキは苛立たしげに髪を掻き上げる。

「思い上がらないでちょうだい。援軍が必要ならホスピタルに要請できるわ」

「俺はあんたを助けたいと思ってる訳じゃない。自分なりのギフトの使い方に従って行動したいと思ってるんだ」

 マキは閉口してルキトを睨み付ける。何を優先させるべきか、どんな利害が発生するかを慎重に、かつ迅速に判断しようとしている。

 回り続けているヘリのプロペラ。その音と、ざわつく並木道が、この場にいる者達の焦燥感を身勝手に掻き立てる。

「……言っておくけど、危なくなっても助けてあげないから、そのつもりでね」

 黙考の末、背に腹は代えられないといった苦い表情でそう言い捨てると、マキは白衣の裾を翻してヘリに乗り込んでいった。ヘリの両開きの乗降口はすぐには閉まらない。マキがルキトの同行を許可したということ。

 ルキトは後ろで不服そうにしていた少女を振り返る。

「エレンは巻き込まないよ。俺のことは気にせず家に帰ってて」

 固く腕を組み、エレンは厳しい視線を突き刺してくる。

「あなたがどう考えてようが勝手だけど、見境なく人を助けるヒーローにでもなるつもり?」

「俺は空なんか飛べないよ」

 自虐的に言い残し、ルキトは体を反転させてヘリへと歩を向ける。現地に行ったところで何ができるか分からない。しかしルキトは、今都心部で人々を恐怖に陥れているような行為を止めるために己のギフトを振るいたいと思っている。ここで見過ごしては、ルキトのギフトはいつまでも不吉なままだ。

 横からエレンに追い抜かされたのはすぐだった。

「勘違いしないで。こっちの闘いに水を差してきた奴を一発ぶん殴ってやりたいと思っただけよ」

 エレンは早足で先にヘリに乗り込んでいった。ルキトは多少の困惑と、多大な心強さを抱きつつ、先程よりも力強く地面を踏みしめた。

 去り際に一瞬だけ後ろを振り返る。あれだけの数の弾丸が撒き散らされたにも関わらず、思い出のベンチに一発も当たっていなかったのは、正に奇跡というものだった。

 一方のマキは操縦席について計器類を操作していた。「私も乗せてもらうわ」とぶっきらぼうに言いながらエレンがキャビンに搭乗してきたことに対しては別段驚かなかった。連れて行くブレシスが一人から二人になったところでもはや変わりはしない。ルキトが乗り込んだのを確認するとマキは操作盤のスイッチを押して乗降口を閉め、「椅子に座ってシートベルトを締めなさい」と振り返らずに指示した。

「リンサ、操縦をリモートからマニュアルに」

 一時的に切っていた通信機をオンにし、襟元の小型マイクに早口で告げる。感情性の乏しい声で『了解』という応答がイヤーモニター越しに返ってきた。ヘリはホスピタルからこの場所までリンサの遠隔操作によって無人飛行をしてきたわけだが、複雑な操縦を要する場合は人間が手動で行わなければならない。

 離陸の準備が整うと、マキは操縦桿のスティックを握って一気にヘリを急上昇させた。キャビンにある向かい合わせのシートに座っていたルキトとエレンは慣れない乗り物の激しい揺れに驚いたようだった。乗客の乗り心地などは気にせず、マキはスピード重視でヘリを飛ばす。

 ――マキがこれまで遭遇してきたブレシスは、揃いも揃ってスイのように身勝手にギフトを振り回す輩ばかりだった。マキがナースになった理由も、そういったブレシスの横暴な行為を封じ込めたいという強い想いからだった。しかし、碓井瑠己人という少年は他の異能者とは明らかに違っている。ブレシスの悪事を止めようとするブレシスなど、今まで出会ったことがない。

 現にルキトはエレンの凶行を阻止し、それだけでなく彼女を少しずつ改心させるにまで至っている。ホスピタルの役割と同等のことを、いやそれ以上のことを成し遂げている。マキの中の常識が揺らぎ始めたのは事実だ。

 ルキトは先程言っていた。ブレシスは間違いを犯すかもしれないが、それを正すこともできる。争いが起きたとしても、きっと治められる――と。

 それが夢物語かどうか、見定める価値はあるだろう。マキはそう思いながら操縦桿を握る。

『巨大傀儡は都心部の東から中央へ進行中です。円田翠はまだ発見されていません』

 リンサの声に重なって、都心部の煌々とした明かりが前方に映り込んできた。

「傀儡の足を止めるのと、円田翠を見つけるのとで、私はどっちを優先させればいいの?」

『前者を。後者に関しては捜索班の第二班が現在都心部へ急行しています』

 巨大傀儡は、都心部の地下でスイを探し回っていた捜索班の前に大蛇ような姿を取って出現した。その後捜索班を撃退して地上へ這い出、巨人の姿に変身して街を蹂躙し始めたとのことだった。それほどの体積を持つ傀儡を作り上げるには膨大な量の材料が必要であり、スイは何年もかけて秘密裏に化け物を生成していたということだろう。

 円田翠の執着心にマキが狂気的なものを感じていると、綺麗な夜景の中心から立ち上る黒い煙と、それを背にしてゆっくりと移動する大きな影が見えてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る