十-2

 その時セオは愛車の黒い高級セダンで都心部の道路を走っていた。学校での職務を終え、都心部の一等地に建つ高級タワーマンションに帰るまでのいつもの道だ。今は帰宅ラッシュで交通量も多く、歩道にも多くの人々が行き交っている。

「で、そのナースって奴が、もうこの街に来てるんスか?」

 いつもと違うのは、助手席にリュウヤが座っていることだ。学校から出る際、部活を終えたリュウヤを見かけたセオは、帰る方角が一緒だったため彼を途中まで乗せてやることにしたのだ。

 セオはリュウヤにホスピタルについて話していた。

「ああ。ギフトの痕跡を目立つように残してしまったエレン君がターゲットになってしまっている可能性が高い。だが、そうだと確定したわけでもない。ルキト君も標的に含まれているかもしれないし、そもそもナースは全く別の目的でこの街にやって来たとも考えられる」

 きらびやかな街の夜景をサイドウィンドウに見遣りながらセオは片手で滑らかにハンドルを繰る。

「対策とかあるんですか?」

「ナースがいつどこで誰にどのような襲撃を仕掛けてくるかは予測できるものではない。ブレシスの身はブレシス自身で守るしかないのだ。まぁ、せめて警告だけは早いうちにしておこうとは思っているよ」

「早いうちって、もう襲われてるかもしれないじゃないですか」

「その時は不運だったということさ。もっとも、私じゃなくてもお節介な誰かさんが見張っててくれているかもしれないがね」

 銀マントの青年を脳裏に思い浮かべたのと重なって、赤信号に当たった。セオはゆとりのあるブレーキングで車を停めた。

「何かよく分からないスけど、俺にも何か手伝えることがあったら言ってくださいね、面白そうなんで!」

 セオは脳天気に笑うリュウヤを呆れた様子で見やり、「頼りにしている」と苦笑した。

 しかし前方に目を戻すと、転じてその表情が強張る。

「何事だ?」

 ――フロントガラスから見える街の景色に異変が生じていた。前方にある大きな十字路の右折方面から、大勢の人たちが慌てた様子で走って来るではないか。窓を締め切った車内にまで、彼らの悲鳴が聞こえてきた。

 目の前の横断歩道を歩いていた人々もその騒ぎに気づき、一斉に十字路に顔を向けた。遂には車が数台、何かから逃げるように曲がり角の向こうから乱暴に走ってきた。

「事件とかですかね?」

 リュウヤも眉をひそめたのと重なって、今度は地響きが一回、街を震わせた。下から上に突き上げるような揺れに車が弾む。間髪入れずにもう一度地面が震え、周囲を歩いていた人々が皆例外なく身を竦ませた。

「うわ! 何だ何だ!?」

 リュウヤは慌てていたが、セオは前方に注意深く目を凝らしていた。地響きはだんだん近づいてくるように強まっていく。地震というよりは超重量の物体が地面に続けざまに落下するような震動だ。そう、例えるならまるで――巨人の足音。

 セオの馬鹿げた想像は次の瞬間現実のものとなった。

 途轍もなく大きな、動く物体。

 十字路の角にそびえ立つ高層ビルの陰から、図太い手足を持った巨大な化け物が車を蹴散らしながら姿を現した。

 フロントガラスから夜空の高さまで首を持ち上げ、セオとリュウヤは揃って目を見開く。

「せ、先生、あれって……」

「何の冗談だろうねぇ……」

 突如として出現した怪物。街角は一瞬にして大混乱に包まれ、人々は縦横無尽に逃げ回り始める。巨人の形状は人間のそれに酷似していたが、頭部や体には一切の凹凸がなく、全身の色も濃いグレー一色だった。顔がない巨大な粘土の人形とでも言うべきか。長い手足を大振りに振り回しながら、正体不明の巨人は都心部のど真ん中で暴れ回る。

 声を失っていたセオは、すぐさまアクセルを踏んだ。エンジンが唸り声を上げ、タイヤをスピンさせてから黒のセダンが勢い良く発進する。人や車が我先にと逃げてくる中、セオだけが唯一怪物に向かっていった。

「ちょちょちょ! 先生! 何してるんスか!?」

「とりあえず確かめておきたくてね」

 道の上にあるもの全てを滅茶苦茶に蹴飛ばして巨人はゆっくりと前進してくる。ビルと同じくらいある背丈は脅威そのものだ。この世のものとは思えない光景を真っ向から視界に収めながら、セオはハンドル横にあるヘッドライトのレバーを捻った。元々ライトは点いているため、つまり見た目では分からない別の機能が作動したということだ。

 更に車のスピードを上げ、セオは巨人の足元へと一直線に走っていく。縋り付くようにシートベルトを握り締めていたリュウヤが悲鳴を上げた。

「うわわわわ! ぶつかるぶつかる! ぶつかるー!」

 アスファルトを踏みつける灰色の大きな足に限界まで接近すると、セオはすかさずハンドルを切って避けた。車の脇腹すれすれを巨人の足が通り過ぎていき、すれ違いざまにセオは重要な情報をしかと目に捉えていた。

 車のヘッドライトは先程の操作で赤写灯に切り替わっていた。異端の力を赤く照らし出すアーティファクトのスポットが当たった巨人の体は、蛍光塗料でも塗りたくられたように赤々と発光していた。

 サイドミラー越しに怪物の姿を見、距離を取った位置でセオは巧みにハンドルを捌く。甲高い音を立てながら車が半回転して再び巨人の方を向いた。ギフトの力が影響していると思しき異形の怪物はビルを叩き壊しながら好き勝手に暴れている。

 間違いなくブレシスが関与している。そしてそういった事件が発生すると必ずホスピタルが登場する。

 セオの予想通り、夜空の向こうから一機の白い武装ヘリが飛んできた。ホスピタル特有のカラーリング。巨人が現れた時間はセオが都心部に差し掛かる少し前だったのだろう、ホスピタルは既に怪物の出現を察知しており、ナースを送り込んできていたようだ。

 だが――破壊される摩天楼と、逃げ惑う人々を目にし、セオは思った。今は誰がブレシスを止めるかなどを気にしている場合ではないと。

「少しだけ職場復帰するか。リュウヤ君、キミは下りて逃げたまえ」

 助手席を見ると、シートにぐったりと背中を預けながらリュウヤが力なく親指を立てた。

「ははは……面白いんで、付き合うっス」

 口の端を上げ、セオはハンドルを強く握り締めて再び愛車を急発進させた。

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