十一-1

 連立する高層ビルの合間を、途轍もなく大きなモノが闊歩している。頭と手足が付いている辺りは人間の体形だが、体表は艶のない灰色一色で、顔もない。重量感のある体躯は身動ぎするだけで多大な被害を齎す。一歩歩けば路上の車や電信柱が蹴り払われ、腕を振るえばビルの壁が砕け散る。

 傀儡が歩いてきた方角を上空から視認すると、数ブロック離れた場所に地盤沈下のような大穴が空いていた。傀儡が地下から這い出てきた地点だ。厄災が形を成して動き回っているような印象を受け、マキは息を呑んだ。

「見つけたわ。攻撃に移る」

 通信を切り、マキは傀儡の背後へ回り込むようにヘリを急降下させる。頭と同じ高さにやって来るとヘリをホバリングさせ、怪物の大きな後頭部に狙いを定めて操縦桿のトリガーを引いた。

 ヘリの底部に搭載された機関砲が怒涛の勢いで火を噴く。轟音を響かせながら目標の頭部に無数の弾丸が降りかかり、全ての弾が内部にめり込んだ。体表はそれほど硬くはないようだ。

 巨体を大きく揺らしながら怪物がゆっくりとこちらを向いた。全弾直撃のはずなのに活動が停止していない。スイの傀儡は甚大な損傷を受けるとその形状を保っていられなくなり、糸屑となって瓦解する。裏を返せば巨大傀儡に今の攻撃は通用していないという証拠。

 羽虫を叩き落とそうとするかのように、怪物が長い腕を振り薙いできた。

「ちょっと揺れるわよ!」

 キャビンにいる二人へ大声を飛ばし、マキは操縦桿を思い切り横に倒した。ヘリの機体が横倒しになりながら傀儡から離れる。そのすぐ後ろを、まるで大型トラックでも吹っ飛んでいったかのような暴風を巻き起こしながら怪物の腕が素通りしていった。

 ヘリの体勢を立て直し、マキは機体の頭をもう一度傀儡の方へ向ける。距離をキープした状態で再度引き金を引く。眩い火花を夜空に散らしながら対戦車機関砲が咆哮を上げた。

 ――弾丸を浴びてもびくともしていない異形の怪物をヘリの窓から見ながら、エレンはギフトという力の強大さを実感していた。

 これは災害だ。ブレシスはここまで世界を混沌に陥れることができるのだ。

 破壊的なギフトを持っているのはエレンも同じだ。物を壊し、人を傷つけることに特化した異能を所持している。故に悪戯に街を壊している怪物の姿が自分と重なり――不快だった。

 ブレシスを捕まえて管理することがこの世のバランスを保つために必要であるとナースの女は言っていた。街を蹂躙する巨人を見ていると確かにその通りだと同意せざるを得ない。だからこそエレンは、あのようなギフトの使い方はしたくないと純粋に思った。

 エレンはシートベルトを外し、席から立ち上がった。対面のシートに座っているルキトがこちらを見上げる。

「何をするつもりだ?」

 エレンは乗降口の横についていた赤いボタンを押した。

「何もしないつもり?」

 横目でそう返したと同時に両開きのスライドドアが素早く開いた。風が強く吹き込んできて摩天楼の夜景が視野に広がる。非現実的な異物を取り込んで大都市が揺れている。

 ヘリは敵の周りを旋回していた。マキは次なる攻撃の一手を模索しているようだったが、そうしている内に怪物が長い腕を振りかぶってパンチを繰り出してきた。

 巨岩を思わせる拳がヘリの脇腹めがけて飛んでくる。エレンは強靭な意志を孕む目でそれを見据え――両足から拒絶の力を放ってヘリから勢いよく飛び出した。

「エレン!」

 珍しくルキトが叫んだようだったが、エレンの意識は前方に向けられている。眼前に迫りくる巨大な豪腕。加減は要らない。エレンは思い切り腕を引き絞り、真正面から襲い掛かってくる怪物の拳めがけて己の拳を突き出した。

 激突と同時に手中のエネルギーを一気に爆発させる。途轍もない轟音と衝撃波が迸り、周囲のビルの窓が一斉に割れた。突風に煽られてマキの操縦するヘリがふらついたが――それよりも大きく体勢を崩していたのは巨大傀儡の方だった。常人が食らったらひとたまりもない怪物の攻撃を、エレンはギフトをもって打ち返したのだ。

 身に降りかかるもの全てを片っ端から吹き飛ばすギフト『拒絶の力』――その突発的な破壊力は怪物の拳すらも跳ね返す。

 エレンは近場のビルの屋上に衝撃波を利用して難なく着地した。灰色の巨人は体を揺らしてよろめいている。狙うは追撃。エレンは間髪入れずに両足から拒絶の力を放出させて大ジャンプし、一瞬にして夜空を飛び抜けて傀儡の横顔をぶん殴った。

 強烈な力の塊が怪物の顔面に叩き込まれる。少女の小さな拳が齎したとは思えない威力の衝撃波が再度空気を震動させ、地上から巻き上がった土煙が吹っ飛ぶ。あまりの威力に傀儡は上半身を大きく仰け反らせた。

 反動で真横に跳んだエレンは近くにあったビルの側面を衝撃波混じりの両足で蹴り、再度敵の許へ飛翔した。隕石さながらの勢いと速さで傀儡の横顔にもう一発拒絶の力をぶっ放す。爆撃のようなパワーに打たれた頭を震わせる巨人。跳ね返るようにエレンは別のビルの屋上へ舞い降りた。

 宙を翔ける怒涛の攻撃を浴びせたエレンは、しかし表情に笑みや余裕感を見せない。ビルの谷間からゆっくりとこちらに向き直る化け物を睨み付けながらもどかしそうに右手を開閉させる。まるでサンドバッグを殴っているようだ。手応えはあるが壊れる兆しがない。

 エレンが決め手を見つけかねていると、空から流れ星のように煌めく一筋の水が降ってきた。水は一直線に傀儡の肩に当たると、その部分を瞬時に真っ白く氷結させた。

 エレンは頭上を仰ぎ見る。上空を旋回するヘリから、ルキトが身を乗り出して水鉄砲を連射していた。

 冷たい光を零しながら夜空を横切る複数の水弾。それらは全て同じ箇所に命中し、巨人の右肩が広範囲に渡って蒼白の霜で覆われた。巨大傀儡は何が起きたか分からない様子で自分の肩に顔を向ける。

 ルキトと一瞬だけ視線を交差させた後、エレンは衝撃波を利用した大ジャンプで傀儡に躍りかかった。拳を振りかぶり、凍りついている傀儡の肩めがけて衝撃波混じりのパンチを食らわせる。金属の粉砕音のような甲高い音と共に、傀儡の肩部が大きく砕け散った。

 舞い上がる無数の氷の粒を潜り抜けてエレンは反対側のビルの屋上に着地する。肩の部分が欠けた傀儡は困惑するように身を捩っている。凍らせてあえて固くすれば、衝撃をより強く伝えて損壊させることが可能だ。

 上空から再びルキトの水鉄砲が流星群のように降り注ぐ。死の温度を宿した水弾は本物の銃弾と遜色ないスピードで傀儡の片足、脇腹、胸、横顔に次々と着弾していき、巨体の至る所に白銀の氷結を広げた。そしてその箇所をまるで的にでもするかのように、マキの操縦するヘリの機関砲が火を噴いた。

 弾丸の雨が白い凍結部分に的確に命中し、何百枚ものガラスが割れるような情景がエレンの前で巻き起こる。傀儡の足や胴体に大きな穴が穿たれ、頭部も欠ける。

 三様の波状攻撃に傀儡は怯む様子を見せていたが――体中に刻まれた傷はそう深くはなかった。巨大な図体の表面を少しだけ削ったに過ぎず、傀儡は邪魔な羽虫を払い除けるようにヘリに向かってビルの一角を殴り飛ばした。

 瓦礫を回避するためにヘリが素早く後退していく様を見送っている暇は、エレンにはなかった。続けて傀儡が重々しい腕をエレンに向かって振り下ろしてきたのだ。エレンは脚部から衝撃波を放って素早く横方向へ跳び退く。豪腕が屋上の一画を叩き潰し、濃い粉塵が吹き荒れた。

 一瞬だけ視界が悪くなったのがエレンにとって不利となった。息つく暇もなく煙の向こうから傀儡の拳が横薙ぎに飛んできた。エレンは咄嗟に両腕を交差させて身を屈め、豪腕がぶつかってくる直前に拒絶の力を放射する。紙一重で攻撃を弾き返すことができたが、押し出されるような形でエレンはビルの屋上から吹き飛ばされた。

 少女の体がビルの谷間を背中向きに滑空していく。普通ならまず助からないが、エレンは足から衝撃波を連発して抵抗を付けながら何とか車道の上に滑るように着地した。

 反り返った後ろ髪を揺らしながら前方を見据える。傀儡からだいぶ遠ざかってしまっていた。しかしエレンの瞳からは闘志が一片も消えておらず、怪物もまた、巨体をエレンの方に向けていた。

「上等だわ」

 拳を強く握り、いざ駆け出そうとしたとき――

「御戸さん!?」

 思いもよらない声に名前を呼ばれた。

 後ろを振り向くと、少し離れたところに何人か人がいて、その中にメアルの姿があった。

 エレンは驚きに声を張り上げる。

「あなた、こんなところで何してるのよ!」

「瓦礫に道を阻まれて逃げ遅れてしまって――御戸さん、あれ!」

 唐突にメアルが傀儡の方を指差した。急いで前に顔を戻すと、大型トラックがこちらに向かって吹っ飛んでくる光景が目に飛び込んできた。道路に乗り捨ててあったトラックを傀儡が投げつけてきたのだ。

 ギフトの力をもってしても跳ね除けれるか不安になる程の質量に、エレンは気圧される。

 背後にいる人たちの悲鳴が聞こえた。エレンは肩越しに一瞬だけ後ろを見遣る。迫り来る死の恐怖に全員が瞳を震わせている。

 エレンにとって他人など邪魔で不快な存在でしかなかった。とりわけメアルに関しては自らの手で危害を加えようとまでした相手だ。だからエレンはここで全員を見捨てて自分だけ跳び逃げることだってできるはずだ。

 しかし、エレンならこの危機を打破することができるかもしれない。ここにいる全員を助けることができるかもしれない。

 負の経験の産物でもある拒絶の力を使って、もし彼らを救うことができたら、守ることができたら――。

 自分がこの世界に生きる意味というものが、少しは見出だせるかもしれない。

 エレンは覚悟を決めて両腕を前へ突き出す。

 エレンのギフトはこれまで幾度となくエレンの願望を叶えてきた。その力を今こそ信じ、エネルギーを手中にめい一杯結集させる。

 視界を覆う巨大な鉄の塊。エレンはトラックが激突してくるタイミングに合わせて、開いた両手からありったけの拒絶の力をぶちまけた。

 爆発音を響かせ、これまでにない強さの衝撃波が掌から一気に放出される。あまりにも強烈な波動に地面が揺れた。大型トラックはくの字に拉げて弾け飛んでいき、生じた余波で周囲の建物のガラス窓が粉砕した。

 物を壊すためではなく、人を守るために行使された拒絶の力。轟音を立てて遠くに落下したトラックと、自分の両手を順に見つめ、信じられないことのようにエレンは唖然とする。だがそれも一瞬のことで、すぐさまエレンは後ろで立ち尽くしている人たちに怒鳴った。

「早く逃げなさい!」

 呆気に取られた様子でエレンのことを見ていたメアルも我に返り、「わ、分かったわ!」と力強く頷いた。



「それのどこが『壊すことしかできないギフト』だよ」

 ヘリの開け放たれたドアからエレンの行動を見下ろしていたルキトは、そう独り言ちると操縦席の方へ顔を向けた。

「アレに何か弱点はないのか?」

 どんな攻撃を受けてもびくともしなかった巨大傀儡は大通りを踏み散らかしながら尚も前進している。相手は命のない人形だ、操っている者を止めない限り、傀儡はいくらでも動き回る。

 マキは操縦桿を操りながら焦り気味に答えた。

「あるわ、火よ。傀儡は糸とか布とかそんなものの寄せ集めで作られているの。だから燃やすのが一番手っ取り早いわ。けどこんな大都市のど真ん中であんな巨大なモノに火を着けたら、それこそ二次被害がとんでもないことになる。同じ理由で、このヘリに積んであるミサイルも使えないわ」

 打撃も通じないし、重火器類も使えない。そして傀儡を操っている円田翠という名のブレシスも見つからない。そうしている内に、傀儡再び進行を始める。せめて奴の足を止めないと被害は拡大する一方だ。

 そう思った矢先、傀儡の大きな足が唐突に止まった。

 直前に何が起きたのか、ルキトは目に捉えていた。道路脇に建っていた立体駐車場からワイヤー付きの尖ったものが突然飛び出したかと思うと、前進する巨大傀儡の脇腹を左から右に貫通して対面の大型ビルの壁に深々と突き刺さったのだ。

 怪物をその場に留めておく楔の役割となったそれは――見覚えのある黒い傘だった。

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