九-1
ルキトの昔語りは終わった。いつの間にか暗くなっている空に視線を投じながら、ルキトはベンチの隣に黙って座っているエレンにこう告げる。
「――だから、勝手な話だけど、俺はあんたに会えて良かったと思ってる。あんたとの闘いを通じて、俺は自分にとってのギフトの在り方を見つけ出すことができた。まぁ、あんたにとっては俺は邪魔者以外の何者でもなかったわけだけど」
「ええ、本当に勝手ね。おかげで私の方が、振り出しに逆戻りよ」
どこか寂しそうにエレンは瞳を揺らす。
「ねぇ、ギフトって一体何なの? 何のためにあるの?」
エレンが縋り付くように頼りない声で質問してきた。これまでに見せたことのない弱々しい一面にルキトは少し意外性を感じた。
「ギフトを得た理由は人によって違う。あんたにも、あんたなりの理由があったはずだ。だからギフトの意味も人によって全然違ってくる。自分で見つけ出すしかないんだよ」
「見つけたわよ、一度は。ギフトとは自分の理想を実現させるための力――私の中ではそれが唯一無二の真実だった。でも、本当にそれが正しいのか分からなくなってきたのよ」
「別の目的をまた探せばいい。あんたは今まで自分のギフトを物や人を傷つけるための力、邪魔なものを排除するための力だと考えていた。けどこれら以外にも力の使い方はあるはずだ。それを探せばいい」
「簡単に言ってくれるわね」
「簡単じゃないことは俺だって知ってるよ」
エレンは黙する。強靭な意思を携えていたブレシスの少女が、今ではとてもか弱く、孤独に見えた。
不幸な経験と引き換えにギフトは齎される。しかしギフトを手に入れたからといって幸福になれるとは限らない。使い方によっては報われることもあるだろうし、逆に破滅することだってあるだろう。『天秤の理念』を念頭に置いて言えば、ギフトの役目は『普通の人間が持つことのできない特別な能力を獲得した』というプラス要素の経験を生んだ時点で完遂されており、そこから先、ギフトを使うことでどのような結果が得られるかは全く別の話だ。
けれど、どうせなら良い結果を招いた方がいい。ギフトは悲しみの代わりに得たものなのだから、ギフトを使ってまた悲しみを引き寄せるのは矛盾している。どうせなら幸福になるために、誰かを幸福にするために、使った方がいい。
そして出来ることなら――エレンにもそうなってほしいとルキトは思った。
「ギフトの使い道に迷っているなら、大切なものを守るために使えばいいと思う。大切なものがないのなら、自分のことを大切に想ってくれている人を、大切にすればいい。あんたにもきっと見つかるはずだ、ミトエレン」
エレンが下げていた目を持ち上げ、ルキトの顔を見つめてくる。何も言わず、しかし頭では何かを考えながら、黙ってルキトを見る。
肩の力を緩め、エレンは感情を誤魔化すようにふっと鼻を鳴らして小さく笑った。
「あのねぇ、いい加減その呼び方やめてくれない? 本名で呼ばれ続けるのって居心地悪いし、あなたが言うと何だか薬品みたいに聞こえるわ」
言われてみればそう聞こえなくもない。似ている響きを挙げるとすれば劇薬の一つであるトルエンか。
「じゃあ、ミトサン」
「それじゃまるで酸性の物質じゃない。これからは素直に名前で呼んでくれていいわよ」
ルキトは頷き、「分かった、エレン」と、言葉をもって了解を示した。二人の間に流れていた空気が僅かに和んだ気がした。
「あ」
ルキトは空の彼方にとあるものを発見した。
「どうしたの?」
「あの星、見える?」
ルキトが細い指で空の一点を指す。エレンもその方へ目を凝らす。
「どれ?」
「あの緑色っぽく光ってる星」
「あー……薄っすらと見えるわね」
ベンチに並んで座って星空を眺める。昔もよく、姉とこうしてこの場所から星座を眺めた。時は違えども、見える景色は違わない。
「肉眼で見える明るい星の中で、緑色の光を放つ星は珍しいんだ。その星の下にも二個目立つ星が並んでるんだけど、分かる?」
「んー……」
「三つ結ぶと、『く』の字を裏返した形になる」
「ああ、あれね。見つけたわ」
「その三つの星を中心にして作られる星座が、てんびん座。学名は『libra(リーブラ)』。夏の時期によく見える星座だ。正義の女神アストライアが持っていた天秤だって、神話では伝えられている」
「へぇ。詳しいのね」
全て姉から教えてもらった知識だということは伏せたまま、ルキトは「まぁね」と言って続けた。
「その天秤は人の善悪を測るためのもので、地上に降りたアストライアは天秤を使って人々に正義を訴え続けた。けどいつの時代も人々は争いをやめようとはせず、アストライアはとうとう人間を見限って天上へと帰っていってしまった。空にかかるてんびん座は、最後まで人間に正しき道を示そうとしたアストライアの愛用品――つまり正義のシンボルみたいなものなんだ」
ルキトの説明を真面目に聞いていたエレンは最後に口角を上げた。
「ねぇ、それ、お姉さんの受け売りでしょ」
「……バレた?」
「あなたって分かりやすいわね」
エレンは肩を震わせ、歯を見せて笑った。それは彼女がこれまで見せたことのないような可憐な笑顔で――ルキトは思わず見惚れて頬を赤らめてしまった。
「さてと」
エレンは気持ちを切り替えるように短く息を吐くと、颯爽と立ち上がった。
「色々為になるお話だったわ、ルキト。じゃあ私はそろそろ行くわね」
ルキトはベンチに座ったままエレンを見上げて「ああ」と頷いた。
「できれば今夜くらいは、橋とか電車とかを壊さずに真っ直ぐ家に帰ってほしい」
「気が変わらなければ、今のところそうするつもりよ」
「じゃあね」と言って素っ気なく背を向けるエレンは、すぐにこちらを振り返った。その顔には疑問の色が浮かんでいた。
「ちょっと、『電車』って何のこと?」
「え?」
予想外のリアクションにルキトは面食らう。もしかしたらルキトはとんでもない思い違いをしていたのかもしれない。そのことを説明しようと立ち上がったとき――
「イチャついているところ邪魔して悪いんだけど、ちょっといいかしら? お二人さん」
聞き覚えのない色っぽい声と共に、危険を予兆する突風が並木道を吹き抜けた。
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