一-3
学校に到着して昇降口で上履きに履き替えている際、傍を通りかかった複数人の生徒の話し声が聞こえた。その内容は、エレンが昨夜ありったけの『力』をぶつけて損壊させた橋の支柱に関するものだった。
エレンは土手の道を通学路として利用しておらず、自分の行いが結構な騒ぎを招いていることに今気づいた。鬱陶しさは感じたものの、知ったことではないとすぐに片付けた。エレンはただ単に自分のやりたいことをやっただけだ。
エレンの持つ異形の波動――『拒絶の力』。つい一月前に突如として舞い降りたこの異能は、エレンのために齎されたエレンだけの特別な力だ。使い方も使い道も意のままであり、エレンの望むような効果を確実に発揮してくれる力であると信じている。
自分の心にそう言い聞かせながらエレンは二階にある一年B組の教室に入った。教室の中は朝から騒々しい。いっそこの場で思い切り衝撃波をぶちまけることができればどんなに気持ちがいいことかと思いながら、エレンは自分の席へと向かった。苗字がミトであるエレンの座席は窓際の列の一番先頭にあった。
「おはよう、御戸さん」
鞄を机の脇に掛け、椅子を引いていざ腰を下ろそうとしたとき、後ろの席に座わっていた女子が教科書から顔を上げて声をかけて来た。
エレンは応える代わりにその少女の顔を睨み返す。
「おはよう、御戸さん」
少女は怖じることなくもう一度同じ台詞を吐く。若干の圧力を声音と視線に含ませながら、それでいて社交的な笑顔を作って。
彼女の名前は山津芽在(やまつめある)といい、このクラスの学級委員長だ。前髪をきっちりとピンでとめ、縁のない眼鏡を鼻に掛けたその風貌はいかにも規律と風紀を重んじる生真面目な女史といった感じだ。実際のところメアルはその通りの人間で、生徒たちからの人望も厚かった。
「煩いわね、話しかけないで」
エレンはあからさまに不愉快な顔で言い捨て、さっさと椅子に座った。
「ちょっと御戸さん、挨拶ぐらいしなさいよ」
メアルは正義感の強い少女だ。曲がったことを嫌い、相手の間違った点を見つけるととことん正そうとする。だからエレンが反発すればするほどそれを正そうと一層躍起になるのだ。
「挨拶挨拶って、一々煩いわね。どうして親しくもないのに挨拶しなきゃいけないのよ」
エレンは振り返って反撃する。メアルは簡単に引き下がる性格ではないし、エレンも背後からの欝陶しい小言を無視し通せるほど我慢強くもない。
「親しいかどうか関係なしに挨拶はするものよ。それが常識なの。それとも、御戸さんは『おはよう』というその一言すらも口にできない非常識人なのかしら?」
「なんですって!?」
「そしてすぐ怒るのね。どうしていつもそんなにカリカリしてるのか知らないけど、学校っていうのは集団生活の場なんだから少しは周りの環境に順応したらどう?」
勘に障ることを平然と並べる少女の顔を、エレンは奥歯を噛み締めながら射るように睨みつける。
「……分かったわよ。『おはよう、山津さん』。これで満足?」
無愛想に言い、エレンは早急にこの争いに終止符を打つことにした。こちらから折れるのは釈然としなかったが、このままだといつまで経っても終わらない。
「ええ。今日もよろしくね、御戸さん」
メアルは頷き、再び教科書に目を戻した。ふん、と鼻を鳴らし、エレンも前を向いた。
エレンとの会話を終えた矢先、一人の女子が緩やかな足取りでやって来てメアルに話しかけてきた。
「メアル、おはよー」
気の抜けた脳天気な声。メアルは顔を上げ――更に首を擡げて少女の顔を見上げた。彼女は女子にしては背が高いのだ。
「おはよう、カイミ」
エレンと話をしていた時とは全く違う穏和な顔でメアルは微笑む。すると彼女――彩代快美(あやしろかいみ)は栗色の長いお下げ髪を揺らしながら尋ねてきた。
「またエレンとケンカしてたの? 懲りないんだねメアルは」
「いいえ、別に喧嘩してたわけじゃないわ。少なくとも私にはそんなつもりないわよ」
「そうなの? 私にはよく分からないよ」
「カイミは気にしなくてもいいのよ」
メアルが優しく笑いかけるとカイミは「分かった」と言ってこくりと頷き、次いで片手に持っていたスマートフォンの画面を見せてきた。
「でさぁ、メアル。今朝学校に来るときに撮ったんだけど、河川敷のコレ知ってる?」
「なに?」
眼鏡のブリッジを押し上げてメアルはスマートフォンの画面を注視する。そこにはぼろぼろに凹んだ橋の柱の写真が映っていた。
「なにこれ? 酷い壊れようね」
「そうそう。何が原因でこうなったのか分からないけど、チョーすごくない? メアルはここを通って来てないから知らないだろうけど、朝から結構話題だよ」
「どうせ誰かのイタズラでしょ。迷惑極まりないわね」
「イタズラにしては手が込みすぎてない? 目的も分からないし」
「こういう大掛かりなイタズラをする人は、大低は目立ちたいだけなのよ。もしくは自分の理念を象徴(シンボル)として世間に主張したいかのどちらかね」
目を丸くして小首を傾げるカイミ。
「シンボル? このボッコボコの凹みが何かを象徴してるって言うの?」
「うーん。そうね、例えば――」
強大な力が何回も叩き込まれたように見える橋脚の壁面をじっと見つめ、メアルは率直に頭に浮かんだ印象を口にする。
「社会に対する拒絶心とかかしら」
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